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  1. 地震・津波の提供情報
  2. コラム
  3. 千葉県の海岸で歴史記録にない津波の痕跡を発見

 九十九里浜地域を擁する房総半島の東方沖は、太平洋プレート、大陸プレート、フィリピン海プレートが一つの場所で接しており、「プレートの三重点」と呼ばれています。古文書の記録をみると、九十九里浜地域では1677年の延宝地震(延宝五年)、1703年の元禄地震(元禄十六年)による津波の被害が知られていますが、それより以前の大きな津波の被害は明らかにされていませんでした。そこで私たちは、1677年より前の地震・津波の履歴を明らかにするため、国内外の研究者と協力して地質の調査を行ってきました(Pilarczyk et al., 2021)。本稿では、その研究成果について紹介します。

 私たちが注目したのは、「津波堆積物」と呼ばれる地層の痕跡です。巨大な津波が発生すると、押し寄せる波によって海岸が侵食され、土砂が陸上に運搬されます。そうして残された土砂が津波堆積物と言われるもので、過去のものを調べることによって当時の浸水範囲や津波の再来間隔を推定することができます。

 九十九里浜地域では、津波堆積物が残されやすい堤間湿地という環境が広がっています。私たちは、匝瑳市、山武市、一宮町の堤間湿地に相当する場所で、合計140地点余りの掘削調査を行いました。この結果、山武市と一宮町の湿地環境で堆積した泥炭層の中に、2層の砂層が見つかりました(図1)。砂層の堆積構造やそこに含まれる化石の特徴などから判断して、これらは過去の大きな津波が残した津波堆積物であると推定されました。

 本研究では、津波堆積物の年代を知るために放射性炭素(14C)を利用しました。大気中に存在するごく少量の14Cは光合成によって植物に取り込まれます。その植物が死んだ後は炭素の取り込みが止まるため、それまでに植物内に固定されていた14Cは放射性崩壊によって減少していくことになります。この減少率を利用して、その植物が死んでからの時間(炭素年代)を計算します。私たちは、津波堆積物の直上と直下の泥炭層から水生植物の化石を拾い出し、放射性炭素年代を測りました。この結果、砂層AとBはそれぞれ西暦900年~1700年、西暦800年~1300年に堆積したと考えられました。この年代から判断すると、砂層Aは1677年の延宝地震あるいは1703年の元禄地震に対応する津波堆積物であると考えられます。一方で、歴史記録には砂層Bに対応するものはありません。

 まず砂層Bの起源として考えたのは、相模トラフ沿いで過去に発生した巨大地震による津波でした。房総半島南部に広がる岩石海岸には、過去に発生した地震性地殻変動の繰り返しが海岸段丘として記録されています(Shishikura, 2014)。これまでの研究によって明らかにされてきた段丘群の年代をひとつひとつ見ると、九十九里浜地域で見つかった砂層Bに対比できるものは見当たりませんでした。これは、砂層Bが、大正地震や元禄地震のように房総半島を隆起させる地震によるものではないことを示しています。

 砂層Bの起源を推定するため、砂層Bの分布を再現するようなプレート間地震を計算機上で考えました。計算を行う際には、過去数千年間の海岸線の移動速度を考慮して、砂層Bが堆積した当時の海岸線の位置を復元しました。本研究で仮定した地震は、大陸プレートに対してフィリピン海プレートが沈み込む境界(CON/PHS境界)で4ケース(モデル1~4)、大陸プレートに対して太平洋プレートが沈み込む境界(CON/PAC境界)で4ケース(モデル5~8)、フィリピン海プレートに対して太平洋プレートが沈み込む境界(PHS/PAC境界)で2ケース(モデル9,10)、さらに、モデル5とモデル10が連動する地震で延宝津波の波源とされてきたものに近いケース(モデル11)、869年の貞観地震の波源と考えられているもの(モデル12,Namegaya and Satake, 2014)、2011年の東北地方太平洋沖地震の波源(モデル13,Fujii et al., 2011)でした(図2)。この結果、CON/PHS境界とCON/PAC境界を20mあるいは25m滑らせた場合(モデル3,4,8)、津波が大きく浸水して砂層Bの分布位置まで到達することが分かりました。また、PHS/PAC境界でも砂層Bの位置まで津波は浸水し(モデル10,11)、この場合はCON/PHS境界とCON/PAC境界よりも小さい滑りでも再現可能でした。砂層Bの分布を再現できるモデルの地震規模は、マグニチュード(Mw)に換算すると、8.5以上でした。

 現在得られている結果では、砂層Bを残した津波の波源が、日本海溝南部の比較的小さな領域が大きく滑るようなもの(モデル8)だったのか、あるいは房総半島東方沖におけるフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界が単独で滑るようなもの(モデル10)であったのか、あるいはそれらの領域が連動するようなもの(モデル11)だったのかを明らかにすることができません。しかしながら、少なくとも2011年のような波源(モデル13)ではなく、九十九里浜地域の正面である房総半島東方沖に波源が存在したと考えるべきです。

 砂層Bの発見と浸水計算の結果は、これまで想定されてきた相模トラフや日本海溝に加え、房総半島東方沖周辺におけるフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界も九十九里浜地域に大きな津波浸水を発生させる可能性があることを示しています。今後は、より詳しい地質の情報を収集してモデルの信頼性を高めるとともに、砂層Bを残すような津波の再来間隔を知ることが重要です。

引用文献

Fujii, Y., Satake, K., Sakai, S., Shinohara, M., Kanazawa, T. 2011. Tsunami source of the 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake, Earth Planets Space, 63, 815-820.

Namegaya, Y., Satake, K. 2014. Reexamination of the A.D. 869 Jogan earthquake size from tsunami deposit distribution, simulated flow depth, and velocity. Geophysical Research Letters, 41, 2297-2303.

Pilarczyk, J.E., Sawai, Y., Namegaya, Y., Tamura, T., Tanigawa, K., Matsumoto, D., Shinozaki, T., Fujiwara, O., Shishikura, M., Shimada, Y., Dura, T., Horton, B.P., Parnell, A.C., Vane, C.H. (2021) A further source of Tokyo earthquakes and Pacific Ocean tsunamis. Nature Geoscience 14, 796-800

Shishikura, M. 2014. History of the paleo-earthquakes along the Sagami Trough, central Japan: Review of coastal paleo-seismological studies in the Kanto region. Episodes, 37, 246-257.

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