平成16年12月8日
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阿寺断層帯の長期評価について
地震調査研究推進本部は、「地震調査研究の推進について −地震に関する観測、測量、調査及び研究の推進についての総合的かつ基本的な施策−」(平成11年4月23日)を決定し、この中において、「全国を概観した地震動予測地図」の作成を当面推進すべき地震調査研究の主要な課題とし、また「陸域の浅い地震、あるいは、海溝型地震の発生可能性の長期的な確率評価を行う」とした。
地震調査委員会では、この決定を踏まえつつ、これまでに陸域の活断層として、69断層帯の長期評価を行い公表した。
今回、引き続き、阿寺断層帯について現在までの研究成果及び関連資料を用いて評価し、とりまとめた。
評価に用いられたデータは量及び質において一様でなく、そのためにそれぞれの評価の結果についても精粗がある。このため、評価結果の各項目について信頼度を付与している。
平成16年12月8日 地震調査研究推進本部 地震調査委員会 |
阿寺断層帯の評価
阿寺(あてら)断層帯は、阿寺山地と美濃高原の境界に位置する活断層帯である。ここでは、昭和54−57、60年度に地質調査所(現:産業技術総合研究所)によって実施された調査をはじめ、これまでに行われた調査研究成果に基づいて、この断層帯の諸特性を次のように評価した。
1.断層帯の位置及び形態
阿寺断層帯は、阿寺断層帯主部、佐見断層帯及び白川断層帯からなる。
阿寺断層帯主部は岐阜県下呂市から恵那郡加子母(かしも)村、付知(つけち)町、坂下町、長野県木曽郡山口村などを経て、岐阜県中津川市北東部に至る断層帯である。全体の長さは約66kmで、概ね北西−南東方向に延びる。本断層帯は過去の活動時期から、下呂市の北部に南北に位置する北部と、郡上市から中津川市北東部にかけて、北西−南東方向に延びる南部に区分される。いずれも左横ずれが卓越する断層からなり、東側隆起成分を伴う(図1、2及び表1)。
佐見断層帯は、岐阜県恵那郡加子母村から、加茂郡白川町を経て、七宗(ひちそう)町に至る断層帯である。長さは約25kmで、概ね東北東−西南西方向に延びる。本断層帯は、右横ずれが卓越する断層からなる。また、室山断層や鳥屋峠断層などの左横ずれを示す副次的な断層を伴う(図1、2及び表3)。
白川断層帯は、岐阜県恵那郡加子母村から、加茂郡東白川村、白川町を経て七宗町に至る断層帯である。長さは約31kmで、概ね東北東−西南西方向に延びる。本断層帯は、右横ずれが卓越する断層からなり、南東側隆起成分を伴う。また、東白川断層などの左横ずれを示す副次的な断層を伴う(図1、2及び表4)。
2.断層帯の過去の活動
(1)阿寺断層帯主部
北部の最新活動時期は約3千4百年前以後、約3千年前以前と考えられ、平均活動間隔は約1千8百−2千5百年であったと推定される(表1)。
南部の平均的な左横ずれの速度は約2−4m/千年であった可能性があり、活動時には、4−5m程度の左横ずれが生じたと推定される。また、南部の最新活動時期は1586年(天正13年)の天正地震であった可能性があり、平均活動間隔は約1千7百年であった可能性がある(表1)。
(2)佐見断層帯
佐見断層帯では、過去の活動に関する資料は得られていない。
(3)白川断層帯
白川断層帯では、過去の活動に関する資料は得られていない。
3.断層帯の将来の活動
(1)阿寺断層帯主部
阿寺断層帯主部は、北部と南部の2つの区間に分かれて活動すると推定される。その場合、北部ではマグニチュード6.8程度の地震が発生すると推定され、その際には1−2m程度の左横ずれが生じる可能性がある。南部ではマグニチュード7.8程度の地震が発生し、その際には4−5m程度の左横ずれが生じると推定される。また、断層帯全体が同時に活動する可能性もあり、その際にはマグニチュード7.8程度の地震が発生すると推定される。
北部と南部の最新活動後の経過率及び将来このような地震が発生する長期確率は表2に示すとおりである。北部は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層帯の中では高いグループに属することになる(注1、2)。
また、阿寺断層帯主部全体が同時に活動する場合の地震発生確率は、南部が単独で活動する場合の確率を超えないものと考えられる。
(2)佐見断層帯
佐見断層帯では、全体が1つの区間として活動する場合、マグニチュード7.2程度の地震が発生し、その際には2m程度の右横ずれが生じる可能性がある。ただし、過去の活動履歴が明らかでないため、将来このような地震が発生する長期確率を求めることはできない。
(3)白川断層帯
白川断層帯では、全体が1つの区間として活動する場合、マグニチュード7.3程度の地震が発生し、その際には2−3m程度の右横ずれが生じる可能性がある。ただし、過去の活動履歴が明らかでないため、将来このような地震が発生する長期確率を求めることはできない。
4.今後に向けて
佐見断層帯と白川断層帯に関しては、過去の活動についてほとんど資料が得られていない。したがって、平均的なずれの速度や最新活動時期など、過去の活動履歴を明らかにする必要がある。
表1 阿寺断層帯主部の特性
項 目 | 特 性 | 信頼度 (注3) |
根 拠 (注4) |
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1.断層帯の位置・形態 | ||||
(1) 断層帯を構成す る断層 |
北部 : 萩原断層 南部 : 湯ヶ峰断層、小和知 (おわち) 断層、 阿寺断層、城ヶ根山断層、小川断層、 柿坂断層、西上田断層、下呂断層、 下呂西断層、宮地断層、野久保断層 |
文献 8、19 による。 |
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(2) 断層帯の位置・ 形状 |
地表における断層帯の位置・形状 断層帯の位置 北部 : (北端) 北緯 36°00′東経 137°11′ (南端) 北緯 35°51′東経 137°13′ 南部 : (北西端) 北緯 35°52′東経 137°06′ (南東端) 北緯 35°30′東経 137°36′ 長さ 全体 : 約 66 km 北部 : 約 17 km 南部 : 約 60 km |
◎ ◎ △ ◎ ◎ ◎ △ |
文献 8、19 による。 位置及び長さは図 2 から計測。 |
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地下における断層面の位置・形状 長さ及び上端の位置 地表での長さ・ 位置と同じ 上端の深さ 0 km 一般走向 全体 : N 35°W 北部 : N 10°W 南部 : N 50°W 傾斜 北部 : 高角 (地表付近) 南部 : 高角 (地表付近) 幅 北部 : 15km 程度 南部 : 15km 程度 |
◎ ◎ ○ ◎ ○ ◎ ◎ ○ ○ |
上端の深さが 0 km であることから推定。 一般走向は、断層の 両端を直線で結んだ 方向 (図2参照)。 傾斜は文献9、12、 18、19等に示された 断層露頭や断層の形 状から推定。 幅は、傾斜と地震発 生層の下限の深さ (約15km)から推定。 |
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(3) 断層のずれの向 きと種類 |
北部 : 左横ずれ断層 (東側隆起成分を伴う) 南部 : 左横ずれ断層 (北東側隆起成分を伴う) |
◎ ◎ |
文献8、10、19等に 示された地形の特徴 などから推定。 |
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2.断層帯の過去の活動 | ||||
(1) 平均的なずれの 速度 |
北部 : 不明 南部 : 約 2−4m/千年(左横ずれ成分) |
△ |
説明文2.1.2(1) 参照。 文献4、19、20等に 示された資料等から 推定。 |
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(2) 過去の活動時期 | 北部 : 活動 1 (最新活動) 約 3 千 4 百年前以後、約 3 千年前以前 活動 2 ( 1 つ前の活動) 約 6 千 8 百年前以後、約 6 千 5 百年前 以前 活動 3 ( 2 つ前の活動) 約 8 千年前以後、約 7 千年前以前 活動 4 ( 3 つ前の活動) 約 9 千年前以前 |
◎ ○ ○ ○ |
北部の活動時期は、 文献18に示された 資料から推定。 |
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南部 : 活動 1 (最新活動) 1586 年 (天正 13 年) 天正地震 (地形地質調査では 15 世紀以後、17 世紀以前) 活動 2 ( 1 つ前の活動) 7 世紀以後、15 世紀以前 活動 3 ( 2 つ前の活動) 約 4 千 4 百年前以後、約 3 千 2 百年前 以前 活動 4 ( 3 つ前の活動) 約 5 千 9 百年前以後、約 4 千 1 百年前 以前 活動 5 ( 4 つ前の活動) 約 6 千 5 百年前以後、約 6 千年前以前 活動 6 ( 5 つ前の活動) 約 9 千年前以後、約 8 千 8 百年前以前 活動 7 ( 6 つ前の活動) 約 1 万 1 千年前以前 |
△ ○ △ △ △ ○ △ ○ |
南部の活動時期は、 文献1−3、5、6、 11−17、19、21等 に示された資料から 推定。 |
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(3) 1 回のずれの量 と平均活動間隔 |
1 回のずれの量 北部 : 1−2 m 程度 (左横ずれ成分) 南部 : 4−5 m 程度 (左横ずれ成分) 平均活動間隔 北部 : 約 1 千 8 百−2 千 5 百年 南部 : 約 1 千 7 百年 |
△ ○ ○ △ |
断層の長さから推定。 文献 19 から推定。 最近 3 回の活動から 推定。 最近 6 回の活動から 推定。 |
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(4) 過去の活動区間 | 最新活動時には北部、南部の 2 区間 それ以前の活動時には、断層帯主部全体 が同時に活動した可能性もある。 |
○ | 過去の活動、断層の位 置・形態から推定。 |
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3.断層帯の将来の活動 | ||||
(1) 将来の活動区間 及び活動時の地 震の規模 |
活動区間 北部、南部の 2 区間 断層帯主部全体が同時に活動する場合 もある。 地震の規模及びずれの量 北部 : 地震規模 マグニチュード 6.8 程度 ずれの量 1−2 m 程度 (左横ずれ成分) 南部 : 地震規模 マグニチュード 7.8 程度 ずれの量 4−5 m 程度 (左横ずれ成分) 断層帯全体 : 地震規模 マグニチュード 7.8 程度 |
○ ○ △ △ ○ ○ |
過去の活動、断層の位 置・形態から推定。 断層の長さから推定。 断層の長さから推定。 断層の長さから推定。 文献 19 から推定。 断層の長さから推定。 |
表2 阿寺断層帯主部の将来の地震発生確率等
項 目 | 将来の地震発生確率等 (注5) |
信頼度 (注6) |
備 考 |
(北部) 地震後経過率 (注7) 今後 30 年以内の地震発生確率 今後 50 年以内の地震発生確率 今後 100 年以内の地震発生確率 今後 300 年以内の地震発生確率 集積確率 (注8) |
1.2−1.9 6 %−11 % 10 %−20 % 20 %−30 % 50 %−70 % 80 %−90 %より大 |
a | 発生確率及び集積確 率は文献 7 による。 |
(南部) 地震後経過率 (注7) 今後 30 年以内の地震発生確率 今後 50 年以内の地震発生確率 今後 100 年以内の地震発生確率 今後 300 年以内の地震発生確率 集積確率 (注8) |
0.2 ほぼ 0 % ほぼ 0 % ほぼ 0 % 0.02 % ほぼ 0 % |
c | 発生確率及び集積確 率は文献 7 による。 |
表3 佐見断層帯の特性
項 目 | 特 性 | 信頼度 (注3) |
根 拠 (注4) |
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1.断層帯の位置・形態 | ||||
(1)
断層帯を構成す る断層 |
佐見断層、門和佐
(かどわさ) 断層 笹峠断層、室山断層、鳥屋峠断層 |
文献
8 による。 |
||
(2)
断層帯の位置・ 形状 |
地表における断層帯の位置・形状 断層帯の位置 (北東端) 北緯 35°43′東経 137°21′ (南西端) 北緯 35°37′東経 137°06′ 長さ 約 25 km |
○ △ △ |
文献 8 による。 位置及び長さは図 2 から計測。 |
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地下における断層面の位置・形状 長さ及び上端の位置 地表での長さ・ 位置と同じ 上端の深さ 0 km 一般走向 N 60°E 傾斜 高角 (地表付近) 幅 15 km程度 |
◎ ◎ ○ ○ △ |
上端の深さが 0 km であることから推定。 一般走向は、断層の 両端を直線で結んだ 方向 (図2参照)。 傾斜は断層の形状か ら推定。 幅は、傾斜と地震発 生層の下限の深さ (約15km) から推定。 |
||
(3)
断層のずれの向 きと種類 |
右横ずれ断層 |
◎ | 地形の特徴から推定。 室山、鳥屋峠断層は左 横ずれ断層 (説明文 2.2.1 (3) 参照)。 |
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2.断層帯の過去の活動 | ||||
(1)
平均的なずれの 速度 |
不明 (活動度はB級) |
括弧内の活動度 (注 9) は文献8による。 |
||
(2) 過去の活動時期 | 不明 | |||
(3)
1回のずれの量 と平均活動間隔 |
1 回のずれの量 2m 程度(右横ずれ成分) 平均活動間隔 不明 |
△ | 断層の長さから推定。 | |
(4) 過去の活動区間 | 断層帯全体で1区間 | ○ | 断層の位置関係・形 状等から推定。 |
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3.断層帯の将来の活動 | ||||
(1)
将来の活動区間 及び活動時の地 震の規模 |
活動区間 断層帯全体で 1 区間 地震規模 マグニチュード 7.2 程度 ずれの量 2 m 程度(右横ずれ成分) |
○ △ △ |
断層の位置関係、形 状等から推定。 断層の長さから推定。 断層の長さから推定。 |
表4 白川断層帯の特性
項 目 特 性 信頼度
(注3)根 拠
(注4)1.断層帯の位置・形態 (1) 断層帯を構成す
る断層白川断層、白川口−水戸野 (みどの) の断層、
若松断層、宇津尾断層、田代山断層、
神渕付近の断層、東白川断層、
捨薙山 (すてなぎやま) 断層、
捨薙山南方の断層文献 8、10 による。
(2) 断層帯の位置・
形状地表における断層帯の位置・形状
断層帯の位置
(北東端) 北緯 35°41′東経 137°23′
(南西端) 北緯 35°35′東経 137°04′
長さ 約 31 km
○
△
△
文献 8、10 による。
位置及び長さは図 2
から計測。地下における断層面の位置・形状
長さ及び上端の位置 地表での長さ・
位置と同じ
上端の深さ 0 km
一般走向 N 65°E
傾斜 高角 (地表付近)
幅 15 km 程度
◎
◎
○
△
△
上端の深さが 0 km
であることから推定。
一般走向は、断層の
両端を直線で結んだ
方向 (図2参照)。
傾斜は断層の形状か
ら推定。
幅は、傾斜と地震発
生層の下限の深さ
(約15km) から推定。(3) 断層のずれの向
きと種類右横ずれ断層 (南東側隆起成分を伴う)
◎ 地形の特徴から推定。
東白川、捨薙山南方の
断層は左横ずれ断層
(説明文 2.3.1 (3)
参照)。2.断層帯の過去の活動 (1) 平均的なずれの
速度不明 (活動度は B 級) 括弧内の活動度 (注
9) は文献 8 による。(2) 過去の活動時期 不明 (3) 1回のずれの量
と平均活動間隔1 回のずれの量 2−3 m 程度
(右横ずれ成分)
平均活動間隔 不明△ 断層の長さから推定。 (4) 過去の活動区間 断層帯全体で1区間 △ 断層の位置関係・形
状等から推定。3.断層帯の将来の活動 (1) 将来の活動区間
及び活動時の地
震の規模活動区間 断層帯全体で1区間
地震規模 マグニチュード 7.3 程度
ずれの量 2−3 m 程度
(右横ずれ成分)△
△
△断層の位置関係、形
状等から推定。
断層の長さから推定。
断層の長さから推定。
注1: | 我が国の陸域及び沿岸域の主要な98の活断層のうち、2001年4月時点で調査結果が公表されているものについて、その資料を用いて今後30年間に地震が発生する確率を試算すると概ね以下のようになると推定される。 | ||
98断層帯のうち約半数の断層帯:30年確率の最大値が0.1%未満 98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が0.1%以上−3%未満 98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が3%以上 (いずれも2001年4月時点での推定。確率の試算値に幅がある場合はその最大値を採用。) |
|||
この統計資料を踏まえ、地震調査委員会の活断層評価では、次のような相対的な評価を盛り込むこととしている。 | |||
今後30年間の地震発生確率(最大値)が3%以上の場合: | |||
「本断層帯は、今後30年の間に発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる」 | |||
今後30年間の地震発生確率(最大値)が0.1%以上−3%未満の場合: | |||
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになる」 | |||
注2: | 1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震及び1847年善光寺地震の地震発生直前における30年確率と集積確率(うち、1995年兵庫県南部地震については「長期的な地震発生確率の評価手法について」(地震調査研究推進本部地震調査委員会,2001)による暫定値)は以下のとおりである。 |
地震名 活動した活断層 地震発生直前の
30 年確率 (%)地震発生直前の
集積確率 (%)断層の平均活動
間隔 (千年)1995 年兵庫県南部地震
(M 7.3)野島断層
(兵庫県)0.4 % − 8 % 2 % − 80 % 約 1.8 − 約 3.0 1858 年飛越地震
(M 7.0−7.1)跡津川断層帯
(岐阜県・富山県)ほぼ 0 % − 13 % ほぼ 0 % −
90 %より大約 1.7 − 約 3.6 1847 年善光寺地震
(M 7.4)長野盆地西縁断層帯
(長野県)ほぼ 0 % − 20 % ほぼ 0 %−
90 %より大約 0.8 − 約 2.5
「長期的な地震発生確率の評価手法について」に示されているように、地震発生確率は前回の地震後、十分長い時間が経過しても100%とはならない。その最大値は平均活動間隔に依存し、平均活動間隔が長いほど最大値は小さくなる。平均活動間隔が2千年の場合は30年確率の最大値は12%程度である。 | ||
注3: | 信頼度は、特性欄に記載されたデ−タの相対的な信頼性を表すもので、記号の意味は次のとおり。 ◎:高い、○:中程度、△:低い |
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注4: | 文献については、本文末尾に示す以下の文献。 文献1:粟田(1988) 文献2:粟田ほか(1993) 文献3:平野(1981) 文献4:平野・中田(1981) 文献5:廣内ほか(2003) 分軒6:廣内ほか(2004a) 文献7:地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001) 文献8:活断層研究会編(1991) 文献9:河田ほか(1988) 文献10:中田・今泉編(2002) 文献11:岡田(1981) 文献12:岡田ほか(1987) 文献13:岡田(1988) 文献14:岡田・松田(1976) 文献15:遠田ほか(1994b) 文献16:遠田ほか(1995) 文献17:遠田ほか(1996a) 文献18:遠田ほか(1996b) 文献19:佃ほか(1993) 文献20:佃・山崎(1986) 文献21:山崎(1988) |
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注5: | 評価時点はすべて2004年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を示す。なお、阿寺断層帯主部(南部)に関しては、計算に当たって用いた平均活動間隔の信頼度が低い(△)ことに留意されたい。 | |
注6: | 地震後経過率、発生確率及び現在までの集積確率(以下、発生確率等)の信頼度は、評価に用いた信頼できるデータの充足性から、評価の確からしさを相対的にランク分けしたもので、aからdの4段階で表す。各ランクの一般的な意味は次のとおりである。 a:(信頼度が)高い b:中程度 c:やや低い d:低い 発生確率等の評価の信頼度は、これらを求めるために使用した過去の活動に関するデータの信頼度に依存する。信頼度ランクの具体的な意味は以下のとおりである。分類の詳細については付表を参照のこと。なお、発生確率等の評価の信頼度は、地震発生の切迫度を表すのではなく、発生確率等の値の確からしさを表すことに注意する必要がある。 発生確率等の評価の信頼度 |
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a:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が比較的高く、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性が高い。 b:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が中程度で、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性が中程度。 c:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が低く、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性がやや低い。 d:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が非常に低く、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性が低い。このため、今後の新しい知見により値が大きく変わる可能性が高い。または、最新活動時期のデータが得られていないため、現時点における確率値が推定できず、単に長期間の平均値を確率としている。 |
||
注7: | 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間を、平均活動間隔で割った値。最新の地震発生時期から評価時点までの経過時間が、平均活動間隔に達すると1.0となる。今回評価した数字のうち、阿寺断層帯主部(北部)の1.2は3,000年を2,500年で割った値、1.9は3,400年を1,800年で割った値である。 | |
注8: | 前回の地震発生から評価時点までの間に地震が発生しているはずの確率。 | |
注9: | 佐見断層帯及び白川断層帯では、平均的なずれの速度を具体的に示すことはできないが、活断層の活発さの程度、すなわち活動度(松田,1975)は推定できるので、それを示した。 ・活動度がAの活断層は、1千年あたりの平均的なずれの量が1m以上、10m未満であるものをいう。 ・活動度がBの活断層は、1千年あたりの平均的なずれの量が0.1m以上、1m未満であるものをいう。 ・活動度がCの活断層は、1千年あたりの平均的なずれの量が0.01m以上、0.1m未満であるものをいう。 |
(説明)
1.阿寺(あてら)断層帯に関するこれまでの主な調査研究
本断層帯の主部をなす阿寺断層系については、最初に辻村(1926)、岡山(1930)等が阿寺山地と美濃高原を分ける顕著な断層崖として記載した。その後、Sugimura and Matsuda(1965)は詳細な地形・地質調査を実施し、阿寺断層系の活断層としての実体を定量的に明らかにした。この他、岡田(1975,1981)、岡田・松田(1976)及び平野・中田(1981)等が本断層系に関する地形・地質学的調査を行い、その形態等を明らかにしている。また、山田ほか(1976)は阿寺断層系の周囲に分布する、東北東−西南西走向の主要な断層について記載を行い、各断層を命名した。
活断層研究会編(1980,1991)はこれらの研究を総括して、本断層帯を構成する各断層を活断層として図示した。また、佃ほか(1993)は、本断層帯周辺の活断層や第四系の情報をストリップマップとして取りまとめた。中田・今泉編(2002)では、本断層帯を構成する主要な断層を第四紀後期に活動した断層として図示している。
本断層帯の第四紀後期の特性に関する最近の調査としては、Tsukuda and Yamazaki(1984)、岡田ほか(1987)、岡田(1988)、山崎(1988)、粟田(1988)、粟田ほか(1993)、遠田ほか(1994b,1995,1996a,b)、廣内ほか(2003,2004a)による地形地質調査やトレンチ調査等がある。
また、1586年(天正13年)の天正地震をはじめとする歴史地震との関係に関しては、飯田(1980,1987)等の研究がある。
2.阿寺断層帯の評価結果
阿寺断層帯は、岐阜県東部から長野県南西端部にかけて分布する断層帯である。
本断層帯は、阿寺山地と美濃高原の境界を北西−南東方向に延びる阿寺断層系(活断層研究会編,1991)と、阿寺断層系の周囲に延びる東北東−西南西走向の断層群からなる(図1、2)。ここでは、松田(1990)の起震断層の定義に基づいて、前者を阿寺断層帯主部として1つの断層帯とみなし、後者を若栃断層、白巣峠断層、久野川断層帯、佐見断層帯、白川断層帯、かかりき峠断層の各断層帯に区分した。このうち、若栃断層、白巣峠断層、久野川断層帯及びかかりき峠断層については、長さがそれぞれ20kmに満たず、単独では地震調査研究推進本部(1997)による基盤的調査観測の基準に達しないため、詳細な評価は行わないこととした(図3)。
以上のことから、本評価では、阿寺断層帯主部、佐見断層帯及び白川断層帯を主な評価対象とした。
2.1 阿寺断層帯主部
2.1.1 阿寺断層帯主部の位置及び形態
(1)阿寺断層帯主部を構成する断層
阿寺断層帯主部は、岐阜県下呂市から、恵那郡加子母村、付知(つけち)町、福岡町、川上町、坂下町及び長野県木曽郡山口村等を経て、岐阜県中津川市北東部に至る断層帯である(図1、2)。本断層帯は、過去の活動時期の違いから(後述)、北部と南部の2つの区間に区分される。
北部は下呂市北部に延びる萩原断層からなる。また、南部は岐阜県郡上市から、下呂市、恵那郡付知町等を経て、中津川市の北東部に至る断層帯で、湯ヶ峰断層、小和知(おわち)断層、阿寺断層、城ヶ根山断層、小川断層、柿坂断層、西上田断層、下呂西断層、宮地断層及び野久保断層により構成される。
断層帯の位置・形態については、活断層研究会編(1991)、佃ほか(1993)及び中田・今泉編(2002)で概ね一致する。ただし、佃ほか(1993)及び中田・今泉編(2002)では、本断層帯南部の北端に位置する小川断層と柿坂断層については断層トレースを認めていない。また、佃(1993)では城ヶ根山断層に関しても断層トレースを示していない。
ここでは、断層帯の位置・形態は主に活断層研究会編(1991)によった。ただし、断層帯南端部に関しては、佃ほか(1993)に基づいて、岐阜県中津川市川並付近とした。また、本断層帯を構成する各断層の名称は、萩原断層、湯ヶ峰断層及び小和知断層については佃ほか(1993)に従い、その他の断層に関しては活断層研究会編(1991)に基づいた。
(2)断層面の位置・形状
阿寺断層帯主部の長さと一般走向は、断層帯の両端を端点に持つ線分と考えると、北部では約17km、N10°W、南部では約60km、N50°Wとなる。また、阿寺断層帯主部全体の長さと一般走向は、北部の北端と南部の南東端を結ぶと約66km、N35°Wとなる(図2)。
断層面の上端の深さは、北部、南部とも断層による変位が地表に認められることから0kmとした。
断層面の傾斜に関しては、北部では、断層露頭において80°東傾斜−垂直の断層面が確認されていること(河田ほか,1988;佃ほか,1993;遠田ほか,1996b)、また、断層トレースが直線的であることから地表付近では高角と考えられる。南部に関しても、断層露頭により垂直−70°程度の断層面が確認されていること(岡田ほか,1987;佃ほか,1993)、断層の地表トレースが直線的であること等に基づくと、地表付近では高角と考えられる。
断層面の幅は、北部、南部ともに地下深部の傾斜も地表付近と同様に高角であるとすれば、地震発生層の深さの下限(約15km:後述)から、15km程度であると推定される。
(3)断層の変位の向き(ずれの向き)(注11)
阿寺断層帯主部のうち北部は、系統的な左方向への河川の屈曲や、東側隆起を示す低断層崖などの地形の特徴(活断層研究会編,1991;佃ほか,1993;中田・今泉編,2002)から、左横ずれが卓越する断層で、東側隆起成分を伴うと考えられる。
南部に関しても、北部と同様に系統的な左方向への河川の屈曲が認められるほか、北東側隆起の高度不連続等が認められることから、左横ずれが卓越する断層からなり、北東側隆起成分を伴うと考えられる。また、地形の変位量に基づくと、左横ずれ成分と北東側隆起成分との比は5:1−8:1程度と推定される(説明文2.1.2(1)参照)。
2.1.2 阿寺断層帯主部の過去の活動
(1)平均変位速度(平均的なずれの速度)(注11)
<北部>
北部では、平均横ずれ変位速度として評価できる資料は得られていない。
上下成分に関しては、下呂市四美辻(しみつじ)に分布する扇状地性の低位段丘1面(立川面相当:約2−3万年前)に2−3m程度の上下変位が推定され、下呂市下羽根に分布する同段丘に4mの高度差が確認されている(河田ほか,1988;佃ほか,1993)。この値は、断層帯南部の阿寺断層における同段丘の上下変位量(11−26m)よりも有意に小さく、本値に基づくと、北部の平均上下変位速度は0.1−0.2m/千年程度と推定される。
なお、遠田ほか(1996b)は、下呂市四美辻において、トレンチ掘削地点の南側の小尾根が7.5m屈曲していることを見出し、その形成時期を約1万年前以前−低位段丘1面形成時期とみなすと、同地点における平均左横ずれ変位速度は0.7m/千年以下と求められるとしている。
<南部>
坂下町坂下には7段の河成段丘面が分布し、本断層帯の活動に伴う段丘面の累積変位が認められる(Sugimura and Matsuda,1965;平野・中田,1981;佃ほか,1993など)。
このうち、最も古い松源地面(中位段丘1面)の上下変位量は34mと推定されている(平野・中田,1981;佃ほか,1993)。また、より下位の坂下上位面(低位段丘1面)と坂下下位面(低位段丘2面)の上下・横ずれ変位量がそれぞれ11m・90±20m及び10m・50±7mであること(佃ほか,1993)から、坂下地点における変位量の縦横比は1:5−1:8と推定される。よって、松源地面の左横ずれ変位量は170−272mと求められる。また、松源地面の年代は、御岳Pm−2A,Pm−3火山灰層(70−90ka:酒井,1981)を挟むことから、約7−9万年前と考えられる。したがって、松源地面の累積変位量に基づくと、本地点での平均左横ずれ変位速度は約2−4m/千年、平均上下変位速度は約0.4−0.5m/千年の可能性があると判断される。
また、高部面(中位段丘2面)の左横ずれ変位量は140±35m(Sugimura and Matsuda,1965;佃ほか,1993)、上下変位量は19m(平野・中田,1981;佃ほか,1993)とされている。ただし、佃ほか(1993)に示された地形図に基づくと、この値には若干幅があると判断される。高部面は、木曽川泥流堆積物(50ka:中村ほか,1992)を挟むことから約5万年前に形成されたと考えられる。これらに基づくと、平均左横ずれ変位速度は約2−4m/千年、平均上下変位速度は約0.4m/千年となる。
以上の検討結果を基に、断層帯南部の平均左横ずれ変位速度は約2−4m/千年、平均上下変位速度は約0.4−0.5m/千年の可能性があると判断する。
なお、断層帯南部のほぼ中央に位置する付知町倉屋付近では、低位段丘1面相当面の上下変位量は17.5−26mとされている(佃・山崎,1986)。また、下呂市御厩野(みまやの)付近では、低位段丘1面の上下変位量は、平行する3断層の変位量を併せて13.4−16m(北東側隆起)と求められている(安江・廣内,2002)。これらは、上記の坂下地区の低位段丘1面(坂下上位面)の上下変位量より若干大きく、断層帯南部の中央部−北西部では平均変位速度がやや大きくなる可能性もある。
(2)活動時期
a)地形・地質的に認められた過去の活動
<北部>
萩原断層四美辻(しみつじ)地点(トレンチ調査)
萩原断層のほぼ中央に位置する下呂市四美辻では、断層変位した尾根によって閉塞された低湿地においてトレンチ(A・Bトレンチ)が掘削された(遠田ほか,1996b)。トレンチ壁面には、腐植土層、砂層及び砂礫層からなる完新世の堆積物と中生代の美濃帯堆積岩類とを切る断層が確認されている。また、断層近傍では、隆起側の美濃帯堆積岩類中の断層破砕帯から、断層活動により直接もたらされた楔状の崩積性堆積物が4層準(C,F,I,J層)で認められる(図4、5:遠田ほか,1996b)。
Bトレンチの南東側壁面では、D層(腐植土層及び腐植土混じり砂−シルト層)以下の地層が断層に切られ、B層(腐植土層)に覆われる。また、Aトレンチでは、崩積性堆積物のC層(礫混じり砂層)がD層を覆って楔状に分布する。これらより、D層堆積より後、C層堆積より前に断層活動が生じたと考えられ、その年代は、D層とB層から得られた14C年代値から、約3千4百年前以後、約3千年前以前と求められる。
同様に、崩積性堆積物であるF層(礫混じり砂層)がG層(腐植土層)を覆って楔状に分布することから、G層堆積より後、F層堆積より前にも断層活動があったと推定される。その年代は、F層とG層から得られた14C年代値から、約6千8百年前以後、約6千5百年前以前と推定される。
また、同様の崩積性堆積物であるI層(腐植土混じり砂層及びシルト混じり砂層)がJ’層(J層の腐植土化部分)を覆って分布する。よって、J’層とI層上位のG層から得られた14C年代値から、約8千年前以後、約7千年前以前に断層活動が推定される。
さらに、Aトレンチの南東側壁面では、小規模な楔状の崩積性堆積物のJ層(腐植土層−腐植土混じり砂礫層)が、K層(礫層及び礫混じりシルト−細砂)を覆って分布する。Aトレンチの北東側壁面にもJ層は認められ、その上位にはJ層が腐植化したJ’層が分布する。これらのことから、K層堆積より後、J層堆積より前に断層活動が推定され、その時期は、J’層の14C年代値から約9千年前以前と求められる。
以上の調査結果から、北部の最新活動時期は約3千4百年前以後、約3千年前以前と考えられる。また、1つ前の活動時期は約6千8百年前以後、約6千5百年前以前、2つ前の活動時期は約8千年前以後、約7千年前以前、そして3つ前の活動時期は約9千年前以前と推定される。
<南部>
西上田断層西上田地点(トレンチ調査)
西上田断層のほぼ中央に位置する下呂市西上田では、山地内に形成された南北方向の凹地でトレンチ(A・Bトレンチ)が掘削された(遠田ほか,1996b)。トレンチ壁面には、破砕された濃飛流紋岩類と、それと断層関係や不整合関係を示す礫層、砂層、粘土層などが認められている(図6)。
本トレンチでは、C層(砂礫層)以下の地層は著しい変形を被るが、それらを覆うA層(腐植土層−腐植質粘土層)とB層(砂混じり粘土質シルト層−礫混じり粘土層)には変位は認められない。また、B層の中部−上部には、姶良Tn火山灰(約2万8千年前、注12)を多く含有する(遠田ほか,1996b)。これらのことから、遠田ほか(1996b)では、本断層は2−3万年前まで活発に活動していた後に活動を停止したと考えるのが妥当としている。ここでは、本地点の最新活動時期は少なくとも2万8千年前以前であると推定した。
なお、C層上部堆積中以後、B層堆積より前、
F層堆積より後、D層堆積より前、
J層堆積より後、H層堆積より前の各層準において変形構造が不連続をなす産状が認められることから、各々の層準に断層活動があったと推定される。ただし、これらの層準からは14C年代値がほとんど得られていないため詳細な活動時期は不明である。
湯ヶ峰断層大林地点(トレンチ調査)
湯ヶ峰断層北部の下呂市大林では、低位段丘1堆積物を切る逆向き低断層崖ないし小凹地においてトレンチが掘削され、F1−F3'断層の存在が確認された(廣内ほか,2004a)。
このうち、F2断層は3b層(礫混じり腐植土層)までを切り、W層(崩積性堆積物)に覆われる。よって、3b層とW層の上位の3a層(礫混じり腐植土層)から得られた14C年代値から、約5千年前以後、約2千6百年前以前に断層活動があったと考えられる。また、廣内ほか(2004a)は、本活動の際に、F1断層も同時に活動し、オープンクラックを形成したとしている。
F1断層近傍では、4層(礫混じり粘土層)中に副次的断層が延び断層破砕帯の断片を含んだ崩積性堆積物であるY層が挟まれる(廣内ほか,2004a)。よって、本層準に断層活動が生じた可能性があり、その年代はY層上位の3b層から得られた14C年代値から約1万年前以前と推定される。
また、F3断層近傍の6層(段丘堆積物)中にも破砕帯の断片を伴う崩積性堆積物であるZ層が認められる(廣内ほか,2004a)ことから、本層準にも断層活動が生じた可能性がある。ここでは、6層が最終氷期極相期(20−30ka)に形成された低位段丘1構成層であることから、本活動は約2万−3万年前に生じた可能性があると判断する。
なお、廣内ほか(2004a)は、緩やかに傾斜する2d層(礫混じり腐植土層)を2a層(礫混じり腐植土層)をフラットに覆うとして、本地点の最新活動をこれらの層準間に認めている。ただし、これらの層準から得られている14C年代値はばらつきが大きく、その詳細な活動時期を求めることはできない。
湯ヶ峰断層三ッ石地点(トレンチ調査)
湯ヶ峰断層のほぼ中央に位置する下呂市三ッ石では、低位段丘2堆積物上に認められる比高5mの逆向き低断層崖においてトレンチ(岡田ほか,1987,1988)とピット(佃ほか,1993)が掘削された。ピット調査地点付近では、用水路の掘削工事に伴って、完新統を切る断層露頭が発見されている(岡田ほか,1987;岡田,1988)。
用水路壁面の断層露頭(岡田ほか,1987;岡田,1988)及びピット(佃ほか,1993)では、それぞれ完新統の腐植土層(8−11世紀、11−12世紀)を明瞭に切る断層が確認されている。よって、ここでは11世紀以後に最新活動があったと考えられる。岡田(1988)のトレンチ(図7)においても、約3千5百−3千2百年前の14C年代値を示す腐植土層(B層)を切る断層が認められるが、最上部の地層が失われていることから、活動年代の上限は不明である。
岡田(1988)のトレンチ壁面では、上記の最新活動以前に5回の断層活動が確認されている(図7)。トレンチ壁面の上部には厚い腐植土層(B,D,F,H層)が堆積し、断層近傍では、これらの腐植土層中に小規模なプリズム層が3層(C,E,G層)ほど楔状に挟まれる。よって、プリズム層の上下の腐植土層から得られた14C年代値から、約4千5百年前以後−約3千2百年前以前、約5千9百年前以後−約4千1百年前以前、約8千1百年前以後−約5千6百年前以前の各年代に断層活動があった可能性がある。さらに、トレンチ壁面では、F3断層がK層(砂礫層)以下の地層を変位させ、J層(細礫層)ないしI層(砂礫層)に覆われる。よってK層堆積より後、J層堆積より前に断層活動が推定される。ただし、これらの地層からは14C年代値が得られていないことから、両層を挟むH層とL層(腐植土層)から得られた14C年代値を基に、その年代を約1万6千年以後、約7千5百年前以前と推定する。
この他、F4断層がM層(礫層)を切り、上位のL層に覆われることから、L層堆積より前(1万6千年前以前)にも断層活動があったと推定される。
湯ヶ峰断層御厩野(みまやの)地点(トレンチ調査)
湯ヶ峰断層の中南部に位置する下呂市御厩野では、廣内ほか(2003,2004b)によりトレンチ調査が実施されている(図8)。
トレンチ壁面には、1c層を切り、1a層に確実に覆われる断層(F1)が認められる。よって、1c層が堆積した後に断層活動があったと考えられ、その年代は1c層下位の2a層から得た14C年代値から、15世紀以後と推定される。
また、トレンチ南東側壁面では2b層(腐植土層)と2c層(腐植土層)が変形し、これらが破砕プリズム層(Z層)に覆われている。よって、1つ前の活動時期は2b層堆積より後、Z層堆積以前と推定され、その年代は、Z層の上下に位置する2a層と2b層から得られた14C年代値から、7世紀以後、15世紀以前の可能性がある。
なお、廣内ほか(2003,2004b)は、段丘面上に局所的に湿地を形成する環境が生じたとして、最も下位に分布する腐植土層(2c層:基底の年代は約7千2百−7千1百年前)の形成以前に少なくとも1回の断層活動があったとしている。ただし、腐植土層の形成が断層活動によるものと断定することはできない。
小和知(おわち)断層小郷(おごう)北西地点(断層露頭調査)
湯ヶ峰断層の南東側延長に延びる小和知断層は、低位段丘1を変位させ、概ね北東側隆起の低断層崖を形成する(佃ほか,1993など)。加子母村小郷地区の北西に位置する水無神社付近では、小和知断層から30−50m南西側に位置する副次的断層(佃ほか,1993)の断層露頭が確認されている(平野,1981;平野・中田,1981;Hirano,1982など)。この露頭では、礫層・腐植土層を変位させるほぼ平行する4本の断層(F−1−F−4断層)が認められる(図9)。
このうち、F−1断層の活動により、H−2層とH−2’層(腐植土層)が上位の礫層を複雑に巻き込んだ産状が認められる(平野,1981など)。したがって、H−2層とH−2’層が堆積した後に断層活動が生じた可能性がある。ここでは、確実に変位を被るH−2’層の年代値を基に、約4千9百年前以後に断層活動が生じたと推定する。
また、F−2−F−4断層により、H−3層(腐植土層)が階段状に変位しているが、その上位のH−2層基底にはそのような大きな変形は認められない。よって、両層から得られた14C年代値に基づくと、約6千5百年前以後、約6千年前以前に断層活動があったと推定される。
なお、平野(1981)などは、腐植土層H−2−H−4層の形成直後に砂礫層の供給増加をもたらすような断層活動があったと考え、断層の活動時期を推定している。ただし、これらの砂礫層には直接断層活動に関連する層相や分布の特徴は見出されていない。
小和知断層小郷地点(トレンチ調査)
小和知断層の北西部に位置する加子母村小郷では、低位段丘1面上において、1586年の天正地震の際に陥没したとされる(加子母村史編纂委員会,1972)断層陥没池(岡田,1975)を横切って、約40mに渡るトレンチが掘削された(遠田ほか,1995,1996a)。トレンチ壁面にはOF−1−OF−7まで7本の断層が確認されている(図10、11)。
トレンチ南西部の最上部には、幹と根がそのままの状態で残っている埋もれ木を含むC層が分布する。これらは、一斉に立ち枯れした樹木である可能性が高く、加子母村史編纂委員会(1972)の記述と一致する。また、トレンチ北東端の低断層崖部では、J層(段丘構成層)とB層(礫混じり腐植土層)の下部を切るOF−7断層が認められる。B層のうち、確実にOF−7断層に切られる層準から得られた14C年代値に基づくと、少なくとも3世紀以後に断層活動があったと考えられる。
トレンチ北東部の低断層崖基部では、OF−1断層がF層(腐植土層)を切り、プリズム層であるD−2層に覆われる。この断層に確実に切られるF層からは約9千4百−8千8百年前、またD−2層からは約5千3百−5千年前といった14C年代値が得られている。よって、約9千4百年前以後、約5千年前以前に断層活動があったと考えられる。
また、OF−1断層の副次的断層がF層(泥炭−粘土層)下部を切り、F層中の砂層に覆われるとされている(遠田ほか,1995,1996a)。ここでは、この副次的な断層を覆うF層上部とOF−1断層に近接するF層下部から得られた14C年代値に基づき、約1万1千年前以後、約8千8百年前以前に断層活動があった可能性があると判断する。
トレンチ中央部では、OF−2断層がF層下部を切り、F層中部に覆われる(遠田ほか,1995,1996a)。また、OF−2断層に並走するOF−3断層は、H層(礫混じり粘土層:年代不明)とI層(礫混じり砂層:年代不明)を切り、F層に覆われる。両断層を覆うF層の14C年代値は、OF−2断層で約1万1千−1万年前、OF−3断層で約1万1千年前とほぼ同年代を示すことから、これらの両断層は同時期に形成されたと判断され、その年代は約1万1千年前以前と推定される。
なお、遠田ほか(1995,1996a)は、砂礫層I層を切るOF−4断層の近傍に分布するE層(泥炭層)を、断層の変位により規制された小凹地に堆積した腐植土と考え、腐植土層最下部の14C年代(約6千5百−6千3百年前)を同活動年代と推定している。また、本トレンチ調査地点付近において、岡田(1975)は、泥炭層に挟まれて礫層が分布することを見出し、これを断層活動に起因すると推定している。ただし、これらの腐植土層や礫層の形成が断層活動によるものと断定することはできない。
小和知断層小和知地点(トレンチ調査)
小和知断層のほぼ中央に位置する加子母村小和知地点では、低位段丘2を切る小和知断層の低断層崖と、低位段丘1と低位段丘2とを分ける段丘崖とに挟まれた地溝状の凹地が認められ、この凹地においてトレンチが掘削されている(山崎,1988;佃ほか,1993)。トレンチ壁面には、強く破砕された濃飛流紋岩類と、それと断層で接する礫層や腐植土層が認められている(図12)。
本地点では、B層(腐植土層)を切り、AD1,949年以降に形成された溜池堆積物に覆われる断層が認められる。B層のうち、確実に断層に切られる層準から得た14C年代値に基づくと、約3千7百年前以後に断層活動があったと考えられる。
また、トレンチの南東側壁面では、D層(腐植土層)の中部までを切り、上位のB層(腐植土層)に覆われる副次的断層が認められる。ただし、D層のうち断層に切られた層準からは年代試料が得られていない。よって、D層下位のF層(腐植土層)とB層から得られた14C年代値に基づくと、約8千2百年前以後、約3千8百年前以前に断層活動があったと考えられる。
トレンチの北西側壁面では、G層(巨礫を含む砂礫層)とF層を切る断層がD層とE層(砂礫層)に覆われる。よって、D層とF層から得られた14C年代値に基づくと、約8千2百年前以後、約6千年前以前に断層活動があったと考えられる。
さらに山崎(1988)と佃ほか(1993)は、トレンチ北西側壁面の距離程4−6m付近でG層中の礫が縦方向に回転しており、これが上位のF層に不整合に覆われることから、両層準の間に断層活動を推定している。よって、山崎(1988)により指摘された不整合面の上下から得られた14C年代値に基づき、約9千年前以後、約8千年前以前にも断層活動があった可能性があると判断する。
阿寺断層倉屋地点(トレンチ調査)
付知町倉屋では、阿寺断層による低断層崖が発達しており、付知川沿いの低位段丘1面(付知上位面)をみかけ上北東上がりに変位させている。この低断層崖の北西端付近で、Tsukuda and Yamazaki(1984)、佃・山崎(1986)によりトレンチ調査が実施されている。トレンチ壁面には、高角度の断層が認められ、上盤側には濃飛流紋岩類とそれを覆う段丘堆積物、下盤側には砂礫層と腐植物を多く含む砂質土層との互層が分布する。
トレンチ壁面では、約6千5百−6千3百年前の14C年代値を示す試料を含むC層(腐植土層)が断層に切られている。また、トレンチの南西部ではC層が撓んでいる産状も確認される。よって、本地点での最新活動時期は約6千5百年前以後と考えられる。
なお、佃・山崎(1986)は、主断層から派生する小断層が各腐植土中で消滅することを見出し、また、佃ほか(1993)は、各腐植土層を覆って砂礫層が発達することから、それらが断層活動に伴う堆積物であるとの考えを併用して、腐植土層と砂礫層との間に断層活動を求めている。この考えによると、断層活動の時期は、約6千5百年前以後、約7千4百年前以後−約6千3百年前以前、約1万1千年前以後−約8千3百年前以前、約1万3千年前以後−約1万1千年前以前となる。
阿寺断層田瀬地点(断層露頭調査)
阿寺断層のほぼ中央に位置する福岡町田瀬では、尾根や谷の明瞭な屈曲構造が認められ、リニアメント沿いの林道に断層露頭が確認されている(遠田ほか,1994b)。
露頭では、12−14世紀の14C年代値を示す旧表土を覆って、花崗岩ブロックを含む腐植土層・砂層が分布する。また、これらの腐植土層・砂層を切って、花崗岩が見かけ逆断層で覆う。さらに、15−17世紀の14C年代値を示す表土が断層を覆っている。これらのことから、本地点では12−17世紀に最新活動があったと考えられる。
また、主断層から分岐した断層が、低角度で腐植土層(約9千6百−9千3百年前)と花崗岩を切る。遠田ほか(1994b)は、これを、最初に生じた断層が地表付近で低角となったものとしている。ただし、この低角断層の変位の上限は不明であることから、約9千6百年前以後に1つ前の断層活動があった可能性があると判断する。
なお、上記の露頭の北東側に位置する小谷の斜面基部では、腐植質粘土層と腐植質粘土質角礫層とが30°程度南東に傾斜し、これらの地層を大きな木片を含む淘汰の悪い砂礫層がほぼ水平に不整合関係で覆っている(遠田ほか,1994b)。遠田ほか(1994b)は、それらの地層の傾斜は断層変位による可能性があるとし、上位の水平な分布を示す砂礫層は同一の地震動による崩落性堆積物である可能性が高いとしている。しかし、同時に遠田ほか(1994b)は、一度の断層運動による変位だけで約30°の傾斜を説明することは困難であるとしている。ここでは、これらの地層間には花崗岩を覆ってシルト・砂・礫層が、みかけ上水平に広く分布することから、上記の傾斜は断層による変形ではないと判断する。
阿寺断層小野沢峠地点(断層露頭調査)
阿寺断層のほぼ中央に位置する福岡町小野沢峠では、更新世末−完新世の堆積物を切る断層の露頭が確認され、岡田・松田(1976)により、活動履歴の解明を目的とした古地震学的研究が行われている。
本断層露頭では、N1層(腐植土層:約5千3百−4千7百年前)以下の地層を明瞭に切断する断層(L断層)が確認される。よって、約5千3百年前以後に断層活動があったと考えられる。
また、断層によって変形させられたN4層(砂礫層)とN3層(腐植土層:約9千4百−9千年前)を、N1層が水平に覆う。したがって、N3層堆積より後、N1層堆積より前に断層活動があった可能性があり、その年代は約9千4百年前以後、約4千7百年前以前である。
阿寺断層坂下地点(断層露頭調査、トレンチ調査)
阿寺断層の南部に位置する坂下町坂下付近では、木曽川の右岸に多数の河成段丘群が発達する。阿寺断層は、これらの段丘群を北西−南東に切って明瞭な断層変位地形を出現させており、これらを対象として多数の調査が行われている。
平野(1981)、Hirano(1982)は、これらの段丘群のうち、最も若い西方寺下位面、中位面及び上位面の14C年代値を求めている。それによると西方寺下位面は約2千年前以後、中位面は約2千4百年前以後−約2千1百年前以前、上位面は約7千2百年前以後−約6千7百年前以前の各年代値を示す。これらから、約2千4百年前以後と、約7千2百年前以後−約2千1百年前以前に、それぞれ断層活動が推定される。
岡田(1981)は、JR坂下駅の北方約400mの地点で断層露頭調査を実施している。この露頭では、約2千8百−2千4百年前の14C年代値を示す腐植土層が断層により明瞭に切られている。よって、ここでは約2千8百年前以後に断層活動があったと考えられる。
また、佃(1988)は、完新世の西方寺中位面上に認められる比高約2mの低断層崖上でトレンチ調査を実施した。トレンチ壁面では、西方寺中位面を構成する砂礫層(B、C層)及び大−巨礫を含む礫層(D層)が断層崖に向かって急激に立ち上がり、断層で切られる。また、B層上部に分布する腐植土層からは約2千8百−2千1百年前の14C年代が得られている。よって、ここでは約2千8百年前以後に断層活動があったと考えられる。
阿寺断層青野原地点(トレンチ調査)
阿寺断層の南東端付近に位置する長野県山口村青野原では、高位段丘と花崗閃緑斑岩からなる山地との間に、幅約100mの地溝が発達し、地溝の南西縁には比高約5mの低断層崖が認められる。この低断層崖を対象としてトレンチ調査が実施されている(粟田,1988)。
トレンチ壁面には、沖積層を切る断層が2ヶ所で認められた。このうち、北東側壁面では、最上部の腐植土層(B層:約2千5百−2千2百年前)と花崗岩類(G層)を切る断層(主断層)が認められる。よって、約2千5百年前以後に断層活動があったと考えられる。
また、同じく北東側壁面では砂礫層(C層:約5千6百−5千4百年前)が断層に向かって層厚を増し、また主断層の近傍で小規模な撓曲状の変形を被る産状が認められる。そのうち、C層下部の傾斜は、上位のB層の基底よりも大きい。このことより、粟田(1988)及び佃ほか(1993)は、C層堆積より後、B層堆積より前に断層があったとしている。ここでは、両層から得られた14C年代値から、約5千6百年前以後、約2千2百年前以前に断層活動があった可能性もあると判断する。
なお、北西側壁面では、腐植土層(E層:約4千5百−4千1百年前)を切り、腐植土混じり砂礫層(D層:1−2世紀)に覆われる断層(副断層)が認められる(粟田,1988;佃ほか,1993)。ただし、この活動が北東側壁面の主断層で確認された2つの活動のいずれに相当するかは判断できない。また、粟田(1988)及び佃ほか(1993)は、D層等を断層活動によって形成された地溝中に堆積したものであるとして、それらの堆積開始以前に断層活動があったとしている。
阿寺断層青野原地点(トレンチ調査)
地点の約150m南東では、地溝の南西縁を限る低断層崖を横切ってトレンチ調査(1991年馬籠トレンチ)が実施されている(佃ほか,1993;図13)。
トレンチ壁面では、腐植土層(B層:約2千9百−2千6百年前)と土岐砂礫層を切る断層が認められる。よって、約2千9百年前以後に断層活動があったと考えられる。また、断層近傍では腐植土層(D層:上部は約4千4百−4千年前)を覆って、楔状に砂礫層(C層)が挟まれる。この砂礫層は断層活動による崩積性堆積物と推定される(佃ほか,1993)。よって、B層及びD層から得られた14C年代を基に、約4千4百年前以後、約2千6百年前以前に断層活動があったと推定される。
なお、佃ほか(1993)は、F層より下位の地層を確実に切る2条の小断層を確認しているが、それらの小断層が活動した層準は特定できなかったとしている。また、厚さ1m弱の腐植土層(D層)の堆積中には断層活動の痕跡は認められなかったとした。
阿寺断層青野原地点(トレンチ調査)
地点の約250m南東に位置する低断層崖の南東末端部では、遠田ほか(1995,1996a)によってトレンチ調査が実施されている。
トレンチ壁面には、D層(砂礫層)が液状化して、B層(泥炭層:14−15世紀、15−17世紀)に貫入し、A層(砂質土壌)に覆われる産状が認められる(遠田ほか,1995,1996a)。遠田ほか(1995,1996a)では、この液状化の発生時期が15世紀以後と推定され、本断層帯の他の調査地点で求められた最新活動時期と調和的であること、また数cm程度の礫径を持つ亜角−亜円礫を50%程度含む砂礫層が液状化していることから、ごく近傍の断層運動による可能性が高いとし、阿寺断層が活動したとするのが妥当としている。
阿寺断層伝田原(でんだはら)地点(トレンチ調査)
阿寺断層南東端付近に位置する山口村伝田原では、中位段丘2面に認められる比高約5mの南南西上がりの低断層崖上にトレンチが掘削されている(遠田ほか,1995,1996a)。トレンチ壁面にはDF−1−DF−3断層の3本の断層が確認された(図14)。
トレンチ壁面では、腐植土層を挟む砂層(C層)が断層に切られ、かつ向斜状に大きく褶曲させられている。また、このC層を覆って腐植土層(B層:15−17世紀)が傾斜不整合で接する。よって、C層堆積(最上部の年代は13−14世紀)より後、B層堆積より前に断層活動があったと考えられ、その年代は13世紀以後、17世紀以前である。
なお、遠田ほか(1996a)は、C層より下位の地層の変形や層厚の変化等から、複数回の断層運動の記録が残されている可能性もあるが、本トレンチの壁面からは明瞭な層準を特定することはできないとしている。
以上の地形・地質調査の結果に基づくと、断層帯南部の最新活動時期は15世紀以後−17世紀以前と推定される。また、1つ前、2つ前及び3つ前の活動時期は、それぞれ7世紀以後−15世紀以前、約4千4百年前以後−約3千2百年前以前及び約5千9百年前以後−約4千1百年前以前の可能性がある。さらに、4つ前の活動時期は約6千5百年前以後−約6千年前以前と推定され、5つ前の活動時期は約9千年前以後−約8千8百年前以前の可能性がある。6つ前の活動時期は約1万1千年前以前と推定される。
b)先史時代・歴史時代の活動
1586年(天正13年)の天正地震(マグニチュード8.2:飯田,1980;もしくは7.8:宇佐美,2003)では、中部地方の西部から近畿地方の東部にかけての広い地域で、震度Yに相当する被害があったとされる(宇佐美,2003)。
阿寺断層帯主部付近では、小和知断層に沿う断層陥没地に池が生じたとの伝承がある(加子母村史編纂委員会,1972)。また、小和知断層小郷地点では、トレンチ壁面の最上部に、幹と根がそのままの状態で残っている埋もれ木を含む地層の分布が確認されている。これらは、一斉に立ち枯れした樹木である可能性が高く、加子母村史編纂委員会(1972)の記述と一致する(遠田ほか1995,1996a)。この他、小和知断層近傍の大威徳寺には、1586年の天正地震によって被害を被ったとの記録が残る(飯田,1980)。
さらに、上述した地形・地質的調査の結果からは、阿寺断層帯主部(南部)は15世紀以後、17世紀以前に活動したと推定されている。
以上のことから、1586年の天正地震の際に、阿寺断層帯主部(南部)が活動した可能性があると判断する。なお、阿寺断層帯主部(北部)に関しては、この地震による断層に沿った被害は知られておらず、地形・地質的調査結果からも、該当する年代には活動していないと考えられる。
なお、762年(天平宝宇6年)の地震(マグニチュード7.0以上:宇佐美,2003)では、美濃・飛騨・信濃で罹災者に対し1戸につき穀物2斛を携わったとの記録がある(宇佐美,2003)。ただし、本断層帯の活動との関係は不明である。
(3)1回の変位量(ずれの量)(注11)
<北部>
北部では、1回の活動に伴う変位量を直接示す資料は得られていない。しかし、北部の長さは約17kmと考えられることから、経験式(1)及び(2)を用いると、1回の活動に伴う変位量は約1.4mと計算される。したがって、北部の1回の活動に伴う左横ずれ変位量は1−2m程度であった可能性がある。
用いた経験式は松田(1975)による次の式である。ここで、Lは断層の長さ(km)、Mはマグニチュード、Dは1回の活動に伴う変位量である。
LogL=0.6M−2.9 (1)
LogD=0.6M−4.0 (2)
<南部>
坂下町坂下(阿寺断層)では、阿寺断層による段丘の変位量が計測されている(Sugimura and Matsuda,1965;平野・中田,1981;佃ほか,1993など)。このうち、西方寺上位面の左横ずれ変位量は、Sugimura and Matsuda(1965)に基づくと約14mとされているが、断層北東側の約20m以遠の段丘崖を投影すると20mとなる(佃ほか,1993)。また、西方寺中位面の左横ずれ変位量について、Sugimura and Matsuda(1965)は北東に延びる擁壁を基準として約18mとしている。しかし、この擁壁の南東方には砂礫層からなる尾根状の高まりが残されており、これを段丘崖の名残とみなすと、変位量は約10mとなる(佃ほか,1993)。ここでは、佃ほか(1993)の解釈に基づき、西方寺上位面の左横ずれ変位量は約20m、西方寺中位面の左横ずれ変位量は約10mと判断する。過去の活動時期に基づくと、西方寺上位面は4−5回、西方寺中位面は2回の活動の累積変位を被ると推定されることから、南部の1回の活動に伴う左横ずれ変位量は4−5m程度と推定される。
また、本断層帯南部の長さは約60kmであることから、上述の経験式(1)及び(2)を用いると、1回の活動に伴う変位量は約4.8mと求められる。この値は、坂下地区の段丘面の変位量から求めた値(4−5m程度)と整合的である。
以上の検討結果から、南部の1回の左横ずれ変位量は4−5m程度と推定される。
(4)活動間隔
<北部>
北部では、最新活動時期が約3千4百年前以後、約3千年前以前と考えられ、2つ前の活動時期が約8千年前以後、約7千年前以前と推定されることから、平均活動間隔は約1千8百−2千5百年と推定される。
なお、2つ前から1つ前の活動時期の間隔は、1つ前から最新活動時期の間隔に比べて倍程度と、個々の活動の間隔にはばらつきが認められる。
<南部>
南部では、最新活動が1586年の天正地震、5つ前の活動時期が約9千年前以後、約8千8百年前以前の可能性があることから、平均活動間隔は約1千7百年の可能性がある。また、1回のずれの量(4−5m程度)と平均変位速度(2−4m/千年)から平均活動間隔を求めると約1千−2千5百年となり、上記の値と調和的である。
なお、5つ前から4つ前の活動時期の間隔と2つ前から1つ前の活動時期の間隔は他の活動間隔に比べて長く、個々の活動の間隔にはばらつきが認められる。
(5)活動区間
阿寺断層帯主部は、最新活動(1586年の天正地震)では、南部のみが活動したと考えられることから、少なくとも最新活動時には、北部と南部に活動区間が分けられる。しかし、両者は互いに近接して分布することから、より古い活動においては断層帯主部全体が1つの活動区間として活動した可能性もある。
(6)測地観測結果
阿寺断層帯周辺における1994年までの約100年間の測地観測結果では、断層帯周辺で北西−南東方向の縮みが見られる。
また、1985年からの約10年間の測地観測結果や最近5年間のGPS観測結果では、顕著な歪みは見られない。
(7)地震観測結果
阿寺断層帯周辺の最近約6年間の地震観測結果によると、阿寺断層帯主部の中央部の地震活動は低調である。佐見断層帯付近では微小地震活動が見られるが、白川断層帯付近では活動は低調である。地震発生層の下限の深さは約15kmである。ただし、阿寺断層帯主部の南端付近と佐見断層帯の西端付近では約20kmの深さまで微小地震が発生している。
2.1.3 阿寺断層帯主部の将来の活動
(1)活動区間及び活動時の地震の規模
2.1.2(5)に記述したように、阿寺断層帯主部は北部と南部の2つの区間に分かれて活動してきたと推定される。したがって、将来においても2つの区間に分かれて活動すると推定される。この場合、前述の経験式(1)、(2)によると、北部では長さが約17kmと考えられることから、マグニチュード6.8程度の地震が発生すると推定され、その際には1−2m程度の左横ずれが生じる可能性がある。一方、南部では長さが約60kmの可能性があることから、マグニチュード7.8程度の地震が発生する可能性がある。またその際には、過去の活動に基づくと、4−5m程度の左横ずれが生じると推定される。
さらに、北部と南部はほぼ連続した地表トレースを示し、ずれの方向も同様の傾向を示すことから、断層帯全体が同時に活動する可能性もある。その際には、前述の経験式(1)によるとマグニチュード7.8程度の地震が発生すると推定される。
(2)地震発生の可能性
北部及び南部の最新活動後の経過率及び将来このような地震が発生する長期確率は表2に示すとおりである(注1、2)。
北部は、平均活動間隔が約1千8百−2千5百年と推定され、最新活動時期が約3千4百年前以後、約3千年前以前と考えられることから、平均活動間隔に対する現在までにおける地震後経過率は1.2−1.9となる。また、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(BPT分布モデル、α=0.24)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ6%−11%、10%−20%、20%−30%、50%−70%となる。また、現在までの集積確率は80%−90%より大となる。本評価で得られた地震発生の長期確率は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる。表5にこれらの確率値の参考指標(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会,1999)を示す。
南部は、平均活動間隔が約1千7百年、最新活動時期が1586年の天正地震の可能性があることから、平均活動間隔に対する現在までにおける地震後経過率は0.2となる。また、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(BPT分布モデル、α=0.24)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内の地震発生確率はそれぞれほぼ0%、300年以内の地震発生確率は0.02%となる。表6にこれらの確率値の参考指標(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会,1999)を示す。
なお、断層帯全体が同時に活動する場合の地震発生確率は、南部が単独で活動する場合の確率を超えないものと考えられる。
2.2 佐見断層帯
2.2.1 佐見断層帯の位置及び形態
(1)佐見断層帯を構成する断層
佐見断層帯は、岐阜県恵那郡加子母(かしも)村から加茂郡白川町を経て、七宗(ひちそう)町に至る断層帯である(図1、2)。本断層帯は、佐見断層、門和佐(かどわさ)断層、笹峠断層及び鳥屋峠断層からなり、これらの断層が概ね幅4−5kmの範囲に分布する。本断層帯の位置と形態は、活断層研究会編(1980,1991)、中田・今泉編(2002)等に示されている。ここでは、各断層の位置及び名称は活断層研究会編(1991)に従った。
(2)断層面の位置・形状
佐見断層帯の長さは、断層帯の北東端と南西端を直線で結ぶと約25km、一般走向はN60°Eとなる(図2)。
断層面の上端の深さは、断層による変位が地表に認められることから0kmとした。
断層面の傾斜と深部形状についての資料は無いが、後述のように本断層帯は横ずれを主体とする断層であり、また、断層の地表トレースが概ね直線的であることから、地表付近では高角であると推定される。
断層面の幅は、地下深部でも地表付近と同様に高角であるとすれば、地震発生層の深さの下限から15km程度である可能性がある。
(3)断層の変位の向き(ずれの向き)(注11)
佐見断層帯は、河川の屈曲などの地形的特徴(活断層研究会編,1991など)から、全体に右横ずれが卓越すると考えられる。
なお、室山断層と鳥屋峠断層は、本断層帯の主体をなす佐見断層と斜交して西北西−東南東方向に延び、左横ずれ成分を有する。
2.2.2 佐見断層帯の過去の活動
(1)平均変位速度(平均的なずれの速度)(注11)
佐見断層帯では、平均変位速度に関する資料は得られていない。
なお、活断層研究会編(1991)は、本断層帯を構成する断層のうち、佐見断層、笹峠断層及び室山断層の活動度をB級としている。
(2)活動時期
a)地形・地質的に認められた過去の活動
佐見断層帯では、過去の活動履歴に関する詳細な資料は得られていない。
b)先史時代・歴史時代の活動
2.1.2(2)b)参照。
(3)1回の変位量(ずれの量)(注11)
佐見断層帯では、1回の活動に伴う変位量を直接示す資料は得られていない。しかし、本断層帯の長さは約25kmの可能性があることから、前述の経験式(1)及び(2)を用いると、1回の活動に伴う変位量は約2.0mと計算される。したがって、本断層帯の1回の活動に伴う右横ずれ変位量は2m程度であった可能性があると判断する。
(4)活動間隔
佐見断層帯では、活動時期、平均変位速度が求められていないため、平均活動間隔を求めることができない。
(5)活動区間
佐見断層帯を構成する各断層は概ね4−5kmの幅で分布することから、松田(1990)の起震断層の基準に基づけば、1つの断層帯を構成しているとみなせる。よって、ここでは断層帯全体が1つの活動区間として活動したと推定する。
(6)測地観測結果
2.1.2(6)参照。
(7)地震観測結果
2.1.2(7)参照。
2.2.3 佐見断層帯の将来の活動
(1)活動区間及び活動時の地震の規模
2.2.2(5)で述べたように、佐見断層帯は全体が1つの活動区間として同時に活動すると推定される。この場合、長さが約25kmの可能性があることから、前述の経験式(1)及び(2)により地震の規模を求めると、マグニチュード7.2程度の地震が発生し、その際には2m程度の右横ずれが生じる可能性がある。
(2)地震発生の可能性
佐見断層帯では、過去の活動に関する資料が得られていないため、将来の地震発生確率は不明である。
2.3 白川断層帯
2.3.1 白川断層帯の位置及び形態
(1)白川断層帯を構成する断層
白川断層帯は、岐阜県恵那郡加子母(かしも)村から加茂郡東白川村、白川町を経て、七宗(ひちそう)町に至る断層帯である(図1、2)。本断層帯は、白川断層、白川口−水戸野(みどの)の断層(注10)、若松断層、宇津尾断層、田代山断層、神渕付近の断層(注10)、東白川断層、捨薙山(すてなぎやま)断層及び捨薙山南方の断層(注10)から構成され、これらの断層が概ね5kmの幅をなして断続的に分布する。本断層帯の位置と形態は、活断層研究会編(1980,1991)、中田・今泉編(2002)等に示されている。中田・今泉編(2002)では、白川断層と田代山断層に加えて、田代山断層の4km程度西方の七宗町神渕付近に、長さ約5kmの推定活断層(神渕付近の断層)を認めている。ここでは、各断層の位置と名称は活断層研究会編(1991)に従い、中田・今泉編(2002)に示された神渕付近の断層も併せて評価した。
(2)断層面の位置・形状
白川断層帯の長さは、断層帯の北東端と南西端を直線で結ぶと約31km、一般走向はN65°Eとなる(図2)。
断層面の上端の深さは、断層による変位が地表に認められることから0kmとした。
断層面の傾斜と深部形状についての資料は無いが、後述のように本断層帯の多くは横ずれを主体とする断層からなること、また、断層の地表トレースに関しても概ね直線的であることから、地表付近では高角である可能性があると判断する。
断層面の幅は、地下深部でも地表付近と同様に高角であるとすれば、地震発生層の深さの下限から15km程度である可能性がある。
(3)断層の変位の向き(ずれの向き)(注11)
白川断層帯は、河川の屈曲や山地斜面の高度不連続などの地形的特徴(活断層研究会編,1991、中田・今泉編,2002)から、全体に右横ずれが卓越し、南東側隆起成分を伴うと考えられる。
なお、東白川断層と捨薙山南方の断層は、本断層帯の主体をなす白川断層などと斜交して西北西−東南東方向に延び、左横ずれ成分を有する。
2.3.2 白川断層帯の過去の活動
(1)平均変位速度(平均的なずれの速度)(注11)
白川断層帯では、平均変位速度に関する資料は得られていない。
なお、活断層研究会編(1991)は、本断層帯を構成する断層のうち、白川断層、宇津尾断層及び田代山断層の活動度をB級としている。
(2)活動時期
a)地形・地質的に認められた過去の活動
白川断層帯では、過去の活動履歴に関する詳細な資料は得られていない。
b)先史時代・歴史時代の活動
2.1.2(2)b)参照。
(3)1回の変位量(ずれの量)(注11)
白川断層帯では、1回の活動に伴う変位量を直接示す資料は得られていない。しかし、本断層帯の長さが約31kmの可能性があることから、前述の経験式(1)及び(2)を用いると、1回の活動に伴う変位量は約2.5mと計算される。したがって、本断層帯の1回の活動に伴う右横ずれ変位量は2−3m程度であった可能性があると判断する。
(4)活動間隔
白川断層帯では、活動時期、平均変位速度が求められていないため、平均活動間隔を求めることができない。
(5)活動区間
白川断層帯を構成する各断層は、概ね5kmの幅をなして断続的に分布する。このうち、白川断層と白川口−水戸野の断層間、田代山断層と神渕付近の断層間には、それぞれ長さ3−4km程度の小規模なステップが存在する。ここでは、松田(1990)の基準に基づいて、断層帯全体が1つの活動区間として活動した可能性があると判断する。
(6)測地観測結果
2.1.2(6)参照。
(7)地震観測結果
2.1.2(7)参照。
2.3.3 白川断層帯の将来の活動
(1)活動区間及び活動時の地震の規模
2.3.2(5)で述べたように、白川断層帯は全体が1つの活動区間として同時に活動する可能性がある。この場合、長さが約31kmの可能性があることから、前述の経験式(1)及び(2)により地震の規模を求めると、マグニチュード7.3程度の地震が発生する可能性があり、その際には2−3m程度の右横ずれが生じる可能性がある。
(2)地震発生の可能性
白川断層帯では、過去の活動に関する資料が得られていないため、将来の地震発生確率は不明である。
3.今後に向けて
佐見断層帯と白川断層帯に関しては、過去の活動についてほとんど資料が得られていない。したがって、平均的なずれの速度や最新活動時期など、過去の活動履歴を明らかにする必要がある。
注10: | 白川口−水戸野の断層、捨薙山南方の断層については、いずれも活断層研究会編(1991)では単に白川口−水戸野、捨薙山南方としか記載が無いことから、本評価に際しては便宜上これらの断層を「白川口−水戸野の断層」及び「捨薙山南方の断層」と名称の後ろに「の断層」をつけて表記した。また、七宗町神渕付近に分布する断層については、中田・今泉編(2002)では断層形態の記載のみで名称が付されていないことから、本評価では「神渕付近の断層」と仮称した。 | |
注11: | 「変位」を、1、2頁の本文及び5−10頁の表1、3、4では、一般にわかりやすいように「ずれ」という言葉で表現している。ここでは専門用語である「変位」が、本文や表1の「ずれ」に対応するものであることを示すため、両者を併記した。以下、文章の中では「変位」を用いる。なお、活断層の専門用語では、「変位」は切断を伴う「ずれの成分」と、切断を伴わない「撓(たわ)みの成分」よりなる。 | |
注12: | 姶良Tn火山灰層(AT)の降下年代値については、日本第四紀学会第四紀露頭集編集委員会編(1996)、小池・町田編(2001)等から25,000年BPとし、暦年補正して約2万8千年前とした。 | |
注13: | 10,000年BPよりも新しい炭素同位体年代については、Niklaus(1991)に基づいて暦年補正し、原則として1σの範囲の数値で示した。このうち2,000年前よりも新しい年代値は世紀単位で示し、2,000年前よりも古い年代値については、百年単位で四捨五入して示した。また、10,000年BPよりも古い炭素同位体年代については、Kitagawa and van der Plicht(1998)のデータに基づいて暦年補正した値を用いた。 |
文 献
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粟田泰夫・水野清秀・佃 栄吉・山崎晴雄(1986a):阿寺断層の活動周期と最終活動時期.日本第四紀学会講演予稿集,16,132−133.
粟田泰夫・佃 栄吉・山崎晴雄・水野清秀(1986b):阿寺断層の最近の活動史−加子母・付知・坂下・山口におけるトレンチ発掘調査から−.第2回阿寺断層現地シンポジウム報告集,1−11.
粟田泰夫・佃 栄吉・杉山雄一(1993):1990年阿寺断層系・湯ヶ峰断層(乗政地区)トレンチ調査.活断層研究,11,78−81.
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表5 阿寺断層帯主部(北部)の地震発生確率及び参考指標
項 目 | 数 値 | 備 考 |
地震後経過率 今後 30 年以内の発生確率 今後 50 年以内の発生確率 今後 100 年以内の発生確率 今後 300 年以内の発生確率 集積確率 |
1.2
− 1.9 6 % − 11 % 10 % − 20 % 20 % − 30 % 50 % − 70 % 80 % − 90 %より大 |
発生確率及び集積確率は地 震調査研究推進本部地震調 査委員会 (2001) 参照。 |
指標 (1) 経過年数 比 指標 (2) 指標 (3) 指標 (4) 指標 (5) |
1千3百年
− 2千1百年 1.7 − 2.7 5 − 7 80 % − 90 %より大 0.6 − 0.8 0.0004 − 0.0006 |
地震調査研究推進本部地震 調査委員会長期評価部会 (1999) 参照。 |
表6 阿寺断層帯主部(南部)の地震発生確率及び参考指標
項 目 | 数 値 | 備 考 |
地震後経過率 今後 30 年以内の発生確率 今後 50 年以内の発生確率 今後 100 年以内の発生確率 今後 300 年以内の発生確率 集積確率 |
0.2 ほぼ 0 % ほぼ 0 % ほぼ 0 % 0.02 % ほぼ 0 % |
発生確率及び集積確率は地 震調査研究推進本部地震調 査委員会 (2001) 参照。 |
指標 (1) 経過年数 比 指標 (2) 指標 (3) 指標 (4) 指標 (5) |
マイナス
8 百年 0.4 ほぼ 0 ほぼ 0 % ほぼ 0 0.0006 |
地震調査研究推進本部地震 調査委員会長期評価部会 (1999) 参照。 |
注14: | 評価時点はすべて2004年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を、「ほぼ0」は10−5未満の数値を示す。なお、阿寺断層帯主部(南部)に関しては、計算に当たって用いた平均活動間隔の信頼度が低い(△)ことに留意されたい。 |
指標(1) | 経過年数 | :当該活断層での大地震発生の危険率(1年間当たりに発生する回数)は、最新活動(地震発生)時期からの時間の経過とともに大きくなる(BPT分布モデルを適用した場合の考え方)。一方、最新活動の時期が把握されていない場合には、大地震発生の危険率は、時間によらず一定と考えざるを得ない(ポアソン過程を適用した場合の考え方)。 この指標は、BPT分布モデルを適用した場合の危険率が、ポアソン過程を適用した場合の危険率の値を超えた後の経過年数である。値がマイナスである場合は、BPT分布モデルを適用した場合の危険率がポアソン過程を適用した場合の危険率に達していないことを示す。 阿寺断層帯主部(北部)の場合、ポアソン過程を適用した場合の危険度は、1千8百−2千5百分の1(0.0004−0.0006)であり、いつの時点でも一定である。 阿寺断層帯主部(北部)の場合、BPT分布モデルを適用した場合の危険率は評価時点で0.04−0.06であり、時間とともに増加する。BPT分布モデルを適用した場合の危険率がポアソン過程を適用した場合の危険率に達してから、すでに1千3百−2千1百年が経過したことになる。 |
指標(1) | 比 | :最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間をAとし、BPT分布モデルによる危険率がポアソン過程とした場合のそれを超えるまでの時間をBとする。前者を後者で割った値(A/B)。 |
指標(2) | :BPT分布モデルによる場合と、ポアソン過程とした場合の評価時点での危険率の比。 | |
指標(3) | :評価時点での集積確率(前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率)。 | |
指標(4) | :評価時点以後30年以内の地震発生確率をBPT分布モデルでとりうる最大の確率の値で割った値。 | |
指標(5) | :ポアソン過程を適用した場合の危険率(1年間あたりの地震発生回数)。 |
付表
地震発生確率等の評価の信頼度に関する各ランクの分類条件の詳細は以下のとおりである。
ランク | 分類条件の詳細 |
a | 発生確率を求める際に用いる平均活動間隔及び最新活動時期の信頼度がいずれも比較的高 く (◎または○)、これらにより求められた発生確率等の値は信頼性が高い。 |
b | 平均活動間隔及び最新活動時期のうち、いずれか一方の信頼度が低く (△)、これらにより 求められた発生確率等の値は信頼性が中程度。 |
c | 平均活動間隔及び最新活動時期の信頼度がいずれも低く (△)、これらにより求められた発 生確率等の値は信頼性がやや低い。 |
d | 平均活動間隔及び最新活動時期のいずれか一方または両方の信頼度が非常に低く (▲)、発 生確率等の値は信頼性が低い。このため、今後の新しい知見により値が大きく変わる可能性 が高い。または、データの不足により最新活動時期が十分特定できていないために、現在の 確率値を求めることができず、単に長期間の平均値を確率としている。 |