平成15年6月11日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会


野坂・集福寺断層帯の長期評価について


地震調査研究推進本部は、「地震調査研究の推進について −地震に関する観測、測量、調査及び研究の推進についての総合的かつ基本的な施策−」(平成11年4月23日)を決定し、この中において、「全国を概観した地震動予測地図」の作成を当面推進すべき地震調査研究の主要な課題とし、また「陸域の浅い地震、あるいは、海溝型地震の発生可能性の長期的な確率評価を行う」とした。

地震調査委員会では、この決定を踏まえつつ、これまでに陸域の活断層として、34断層帯の長期評価を行い公表した。

今回、引き続き、野坂・集福寺断層帯について現在までの研究成果及び関連資料を用いて評価し、とりまとめた。

評価に用いられたデータは量及び質において一様でなく、そのためにそれぞれの評価の結果についても精粗がある。このため、評価結果の各項目について信頼度を付与している。


平成15年6月11日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会

野坂・集福寺断層帯の評価

野坂・集福寺(のさか・しゅうふくじ)断層帯は、若狭湾から琵琶湖北方の野坂山地にかけて分布する活断層帯である。ここでは、平成9、11年度に地質調査所(現:産業技術総合研究所)によって行われた調査をはじめ、これまでに行われた調査研究成果に基づいて、この断層帯の諸特性を次のように評価した。

1.野坂・集福寺断層帯の位置及び形状

野坂・集福寺断層帯は、野坂断層帯と集福寺断層の二つに区分される。
野坂断層帯は、若狭湾から福井県三方(みかた)郡美浜(みはま)町を経て敦賀市に至る断層帯である。長さは約31kmで、北西−南東方向に延びており、左横ずれかつ北東側が相対的に隆起する逆断層である(図1、2、表1)。
集福寺断層は、敦賀市から滋賀県伊香(いか)郡西浅井町に至る断層である。長さは約10kmで、北西−南東方向に延びており、左横ずれを主体とする断層である(図1、2、表3)。

2.断層帯の過去の活動

野坂断層帯の最新活動時期は、15−17世紀と推定され、その平均的な活動間隔は、約5千6百−7千6百年もしくはこれらよりも短い間隔であった可能性がある(表1)。
集福寺断層の過去の活動に関する資料は得られていない。

3.断層帯の将来の活動

野坂断層帯では、全体が1つの区間として活動し、マグニチュード7.3程度の地震が発生すると推定される。この場合、2−3m程度の左横ずれと断層の北東側が南西側に対して高まる段差が生じる可能性がある(表1)。本断層帯の最新活動後の経過率及び将来このような地震が発生する長期確率は、表2に示すとおりである。
集福寺断層では、マグニチュード6.5程度の地震が発生すると推定され、0.8m程度の左横ずれが生じる可能性がある(表3)。集福寺断層の将来における地震発生の可能性は不明である。

4.今後に向けて

野坂断層帯では平均活動間隔が精度よく求めてられていない。このため、平均的なずれの速度や1回のずれの量など、過去の活動に関する精度のよい資料を得る必要がある。また、海域においても過去の活動に関する精度のよい資料を得る必要がある。
集福寺断層は長さが10km程度で比較的規模の小さな断層であるが、過去の活動に関する資料はほとんど得られていないため、最新活動時期や平均活動間隔を特定するための資料を得る必要がある。

表1 野坂断層帯の特性

表2 野坂断層帯の将来の地震発生確率等

表3 集福寺断層の特性

注1: 我が国の陸域及び沿岸域の主要な98の活断層帯のうち、2001年4月時点で調査結果が公表されているものについて、その資料を用いて今後30年間に地震が発生する確率を試算すると概ね以下のようになると推定される。
  98断層帯のうち約半数の断層帯:30年確率の最大値が0.1%未満
  98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が0.1%以上−3%未満
  98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が3%以上
(いずれも2001年4月時点での推定。確率の試算値に幅がある場合はその最大値を採用)
この統計資料を踏まえ、地震調査委員会の活断層評価では、次のような相対的な評価を盛り込むこととしている。
今後30年間の地震発生確率(最大値)が3%以上の場合:
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる」
今後30年間の地震発生確率(最大値)が0.1%以上−3%未満の場合:
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになる」
注2: 1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震及び1847年善光寺地震の地震発生直前における30年確率と集積確率 (うち、1995年兵庫県南部地震と1858年飛越地震については「長期的な地震発生確率の評価手法について」(地震調査研究推進本部地震調査委員会,2001)による暫定値)は以下のとおりである。

      

「長期的な地震発生確率の評価手法について」に示されているように、地震発生確率は前回の地震後、十分長い時間が経過しても100%とはならない。その最大値は平均活動間隔に依存し、平均活動間隔が長いほど最大値は小さくなる。平均活動間隔が5千年の場合は30年確率の最大値は5%程度、8千年の場合は3%程度である。
注3: 信頼度は、特性欄に記載されたデータの相対的な信頼性を表すもので、記号の意味は次のとおり。
    ◎:高い、○:中程度、△:低い
注4: 文献については、本文末尾に示す以下の文献。
    文献1:地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)
    文献2:海上保安庁(1980)
    文献3:小松原ほか(2000)
    文献4:岡田・東郷編(2000)
    文献5:杉山ほか(1998a)
    文献6:東郷(1974)
注5: 評価時点はすべて2003年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を示す。
注6: 地震後経過率、発生確率及び現在までの集積確率(以下、発生確率等)の信頼度は、評価に用いた信頼できるデータの充足性から、評価の確からしさを相対的にランク分けしたもので、aからdの4段階で表す。各ランクの一般的な意味は次のとおりである。
a:(信頼度が)高い b:中程度 c:やや低い d:低い
発生確率等の評価の信頼度は、これらを求めるために使用した過去の活動に関するデータの信頼度に依存する。信頼度ランクの具体的な意味は以下のとおりである。分類の詳細については付表を参照のこと。なお、発生確率等の評価の信頼度は、地震発生の切迫度を表すのではなく、発生確率等の値の確からしさを表すことに注意する必要がある。
発生確率等の評価の信頼度
a:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が比較的高く、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性が高い。
b:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が中程度で、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性が中程度。
c:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が低く、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性がやや低い。
d:過去の地震に関する信頼できるデータの充足度が非常に低く、これを用いて求めた発生確率等の値の信頼性が低い。このため、今後の新しい知見により値が大きく変わる可能性が高い。または、最新活動時期のデータが得られていないため、現時点における確率値が推定できず、単に長期間の平均値を確率としている。
注7: 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間を、平均活動間隔で割った値。最新の地震発生時期から評価時点までの経過時間が、平均活動間隔に達すると1.0となる。今回の評価の数字で、0.04は300年を7600年で割った値であり、0.1は600年を5600年で割った値。
注8: 前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率。
注9: 平均活動間隔の最小値が絞り込まれていないため、地震後経過率、発生確率及び集積確率の最大値は不明である。しかし、最新活動後、評価時点までの経過時間は3百−6百年程度で、我が国の一般的な活断層の平均的な活動間隔と比べると短い時間しか経過しておらず、また、我が国の他の活断層に対して野坂断層帯の活動度が特段に高いことを示す資料もないことから、野坂断層帯でごく近い将来にここで評価したような地震が発生する可能性は低いと考えられる。



(説明)

1.野坂・集福寺(のさか・しゅうふくじ)断層帯に関するこれまでの主な調査研究

山崎・多田(1927)は、琵琶湖北方の野坂岳の北東方に北西−南東方向に延びる新期断層崖の存在を指摘し、これを黒河川断層崖と呼んだ。東郷(1974)は、野坂山地における変位地形を調査し、活断層の分布を示すとともに、山崎・多田(1927)の黒河川断層崖を野坂断層と呼び、集福寺断層も含め、これら北西−南東方向に延びる活断層が左横ずれ断層であることを明らかにした。同様に、村井・金子(1975)は、琵琶湖周辺の活断層及びリニアメントを示し、本地域で北西−南東方向に延びる断層が左横ずれ変位を示す断層であるとした。このほか、Huzita(1962)、伊藤・藤田(1971)、藤田・岸本(1972)、東郷・仲川(1973)、Okada(1978)、などによっても本断層帯付近の断層が示されている。
杉山(1997)及び杉山ほか(1998a)は、野坂断層においてボーリング、トレンチ調査等を行い、過去の活動に関する資料を得た。
本断層帯の陸域における活断層の位置は、活断層研究会(1991)、岡田・東郷編(2000)などに示されている。若狭湾においては、海上保安庁(1980)及び小松原ほか(2000)により音波探査が行われており、断層位置が示されている。

2.野坂・集福寺断層帯の評価結果

野坂・集福寺断層帯は、若狭湾から福井県三方郡美浜町を経て滋賀県伊香郡西浅井町に至る断層帯である。全体として北西−南東方向に延びているが、敦賀市南部で約4kmの不連続が認められる。この不連続区間には、北東−南西方向に湖北山地断層帯北西部が延びており、本断層帯を二分している(図1−2)。湖北山地断層帯北西部の北東端に位置する敦賀断層は、更新統堆積以降活動していない可能性も指摘されている(杉山ほか,1998b)。仮に敦賀断層が現在では活動していないとすれば、本断層帯を二つに区分する根拠は認められないことになる。しかし、ここでは湖北山地断層帯北西部が野坂・集福寺断層帯を切ってさらに北東側に延びている可能性を考慮し、北西側の野坂断層帯と南東側の集福寺断層の二つをそれぞれ独立の起震断層として評価することとした。なお、集福寺断層は長さが約10kmであり、単独では地震調査研究推進本部(1997)の基準を満たしておらず、過去の活動に関する資料もほとんど得られていないため、ここでは詳細な評価は行わないこととし、簡単な記述にとどめることとした。

2.1 野坂断層帯

2.1.1 断層帯の位置・形態

(1) 野坂断層帯を構成する断層

野坂断層帯は、若狭湾から福井県三方郡美浜町を経て敦賀市に至る断層帯である(図1、2)。
本断層帯は、若狭湾のB断層系、若狭湾から敦賀平野の南部に至る野坂断層、野坂断層の南東部分とほぼ並走してその南西側に分布する野坂南方断層より構成される。本断層帯は大部分が海域に位置する。断層帯の北西端付近では、B断層系を構成する断層が右雁行配列している。また、B断層系と野坂断層の海底延長部との間は、約4kmにわたって断層の存在が確認されていない。
本断層帯を構成する各断層の位置及び名称は、海域は海上保安庁(1980)及び小松原ほか(2000)に、また、陸域は岡田・東郷編(2000)によった。

(2)断層面の位置、形状

野坂断層帯の長さ及び一般走向は、断層帯の北西端と南東端を直線で結ぶとそれぞれ約31km、N50°Wとなる。
断層面上端の深さは、断層による変位が海底もしくは地表に達していることから0kmとした。
後述のように本断層帯は左横ずれ成分と北東側隆起成分をもつ断層である。海底及び地表における断層トレースが直線的であること、断層露頭やトレンチ壁面に認められる断層の傾斜や海域における音波探査結果(海上保安庁,1980;小松原ほか,2000)などから、断層面の傾斜は浅いところでは高角と推定される。また、この付近では東西圧縮の地殻応力が推定されることから、北東傾斜と推定される。
なお、野坂断層で行われた反射法弾性波探査結果(杉山,1997)によると、断層の傾斜は明確ではないが、断層付近で地層が全体として南西に撓み下がる構造がみられる。
後述のように、地震発生層の下限の深さは約15kmと推定される。地下深部の傾斜も地表付近と同様であるとすれば、断層面の幅は15km程度となる。

(3)断層の変位の向き(ずれの向き)(注10)

本断層帯は、東郷(1974)に示された陸域における変位地形などから、左横ずれ、かつ北東側隆起の逆断層であると考えられる。

2.1.2 断層帯の過去の活動

(1)平均変位速度(平均的なずれの速度)(注10)

杉山(1997)は、敦賀市長谷(ながたに)南東方の扇状地で野坂断層をはさんで掘削したボーリング結果に基づき、約4万年前から2万5千年前の地層に約5−7mの上下方向の変位があると推定し、この付近の平均上下変位速度を0.2−0.3m/千年とした。
なお、上記地点よりもやや北西側の低位扇状地上で掘削したトレンチの一つ(Aトレンチ)で、杉山ほか(1998a)は、2つの地層の基底の上下方向の変位をそれぞれ約2m及び約1.3m強としており、これらの地層から概ね2万年前頃の14C年代値(暦年未補正値)が得られていることから、この付近の過去約2万年間の平均上下変位速度を0.1m/千年と求めた。ただし、これはトレンチ内のみから得られた変位量をもとにした推定であり、実際にはさらに大きくなる可能性がある。
一方、小松原ほか(2000)は、若狭湾で音波探査を行い、断層による海底堆積物の変位を明らかにした。このうち、野坂断層の海底延長部では約1万年前の堆積物と仮定した地層が約8m上下変位しているとして、その平均上下変位速度を0.8m/千年前後と推定した。ただし、この地層の年代値は直接求められているものではないためその信頼度はやや低い。
以上のことから、野坂断層帯の平均上下変位速度は、陸域部で概ね0.2−0.3m/千年程度と推定され、また、海域では0.8m/千年程度であった可能性がある。
なお、杉山ほか(1998a)の調査地点の東方では、扇状地を開析する谷が野坂断層により60m(東郷,1974)ないし50−60m(活断層研究会,1991)程度屈曲しているとの報告がある。杉山(1997)は、この扇状地構成層の年代値を約4万年前と求めており、これらの数値から過去約4万年間の平均左横ずれ変位速度が1.3−1.5m/千年と求められる。しかし、断層を挟む扇状地上の上・下流の谷がかつて同一の河川であったかどうか確実ではないことから、その値の信頼度は低いとみなしここでは採用しない。

(2)活動時期

○地形・地質的に認められた活動

a)陸域の調査

杉山ほか(1998a)は、野坂断層の南東部にあたる敦賀市長谷の低位扇状地面上で、3つのトレンチ(A、B、Cトレンチ)及び2つのピットを掘削した。

@ Bトレンチ

断層は各トレンチで確認されたが、Bトレンチでは、断層がB6層以下の地層を切り、B7層に覆われていることが認められた(図3)。B6層及びB7層から得られた14C年代値から、本地点における最新活動は15−17世紀(注11)にあったと推定される。
また、B6層中に含まれる腐植層はほぼ水平であるのに対し、この下位の地層は乱れており、B1層中に含まれる腐植層は変形しているように見える。このこととB1層、B6層から得られた14C年代値から、最新活動に先行する活動が約2万3千年前以後、15世紀以前にあった可能性がある。ただし、この間に複数回の活動があった可能性もある。

A Cトレンチ

Cトレンチは、Bトレンチから約40m北西側で比高1−1.5mの低断層崖をはさんで掘削された(図4)。このトレンチでは東西両壁面のほぼ中央に断層が認められ、トレンチ底面付近の1条の断層が上方に向かって複数の断層に枝分かれしている。枝分かれした断層の一部は東側壁面ではC7層を切っている。したがって、C7層堆積後に活動があったと推定され、C7層から得られた14C年代値からその時期は4世紀以後となる。
これらの断層の中にはC6層を切り、C7層に覆われているものもある。したがって、C6層堆積後C7層堆積前にも活動があったと推定される。C6層及びC7層から得られた14C年代値から、この活動の時期は約2万3千年前以後、約1万年前以前となる。ただし、この間に活動は複数回あった可能性もある。

B Aトレンチ

Aトレンチは、Bトレンチの南東約50mの位置で掘削された。トレンチの中央にほぼ垂直の断層が認められ、表土以外のすべての地層を切っている。断層に切られる地層の14C年代値から、本地点の最新活動は7世紀以後にあったと推定される。

C C1、C2ピット

Cトレンチ付近でC1、C2の2つのピット調査が行われているが、C1ピットからは約3千6百年前以後、また、C2ピットからは3世紀以後の活動時期が得られている。

b)海域の調査

小松原ほか(2000)は海域で音波探査を実施した。その結果、野坂断層の海域延長部で地層の上下変位とその累積性を認め、完新世に少なくとも2回の断層活動があった可能性を指摘した。ただし、海域においては杉山ほか(1998a)による陸域の最新活動と同時に活動したか否かは断定できないとしている。
また、水野・島崎(2002)は海上保安庁(1980)及び小松原ほか(2000)の結果を再検討し、本断層帯海域部の完新世の活動を推定している。
以上のことから、海域においても完新世に活動があったと推定され、複数回であった可能性がある。

○先史時代・歴史時代の活動

近畿地方北部の歴史時代の被害地震として、1325年(正中2年)の地震及び1662年(寛文2年)の地震がある。1325年の地震では、現在の敦賀市にある気比神宮が倒壊したとの記録があるが、トレンチ調査の結果とは整合しない。一方、1662年の地震はトレンチ調査結果による最新活動時期と年代的に整合する。金田ほか(2000)はこの付近の離水海食洞の分布高度を調査し、野坂断層北西延長付近で旧汀線高度が不連続に変化し、東側が高くなっていることを示した。ただし、これが1662年の地震時の地殻変動を示すものであるという確証は薄く、1662年の地震で野坂断層が活動したということを積極的に示しているとはいえないとしている。また、この地震の際に本断層帯付近で特別大きな被害があったとの記録は見られない。このため、本断層帯の最新活動が1662年の地震であったかどうかは不明である。

以上をまとめると、Bトレンチの結果から野坂断層陸域部の最新活動は15−17世紀であったと推定され、他のトレンチ・ピット調査の結果から得られた最新活動時期もこれと整合する。また、海域部は陸域の最新活動時に同時に活動したと断定はできないが、ここでは海域も同時に活動したとみなす。少なくとも海域では完新世に別な活動があった可能性もある。また、Cトレンチの結果から、約2万3千年前以後、約1万年前以前に活動があったと推定される。

(3)1回の変位量(ずれの量)(注10)

本断層帯は左横ずれ、かつ北東側隆起の断層と考えられるが、地形・地質調査からは1回の活動に伴う左横ずれ変位量は得られていない。一方、本断層帯は長さが約31kmであることから、経験式(1)、(2)を用いると、1回の活動に伴う変位量は約2.5mと求められる。これを本断層帯の左横ずれ変位量とみなせば、本断層帯の1回の活動に伴う横ずれ変位量は2−3m程度であった可能性がある。
一方、上下変位については、杉山ほか(1998a)が長谷Bトレンチの西壁面において断層を北側のB2層、B3層と南側のB4層、B5層がそれぞれ対比されるとして、B2層とB4層の上面の変位量から1回の活動に伴う上下変位量を約50cmとしている。しかし、この上下変位を与えた断層の活動の回数は1回とは限らず、複数回の活動の累積によるものである可能性がある。したがって、敦賀市長谷付近における野坂断層の1回の活動に伴う上下変位量は約0.5mもしくはそれ以下と推定される。
用いた経験式は松田(1975)による次の式である。ここで、Lは断層の長さ(km)、Mはマグニチュード、Dは1回の活動に伴う変位量(m)である。
   LogL=0.6M−2.9 (1)
   LogD=0.6M−4.0 (2)

(4)活動間隔

杉山ほか(1998a)は、敦賀市長谷で掘削したAトレンチで、約2万年前(暦年未補正値)の年代値が得られている地層の基底の上下変位量を約2mとした。この14C年代値を暦年補正すると約2万3千年前となる。また、上述のようにAトレンチから50m程度北西で掘削されたBトレンチにおいて1回の活動に伴う上下変位量は0.5mもしくはそれ以下と推定される。このことから、累積上下変位量約2mは、4回もしくはそれ以上の活動に相当する。したがって、本断層帯の平均活動間隔は約5千6百−7千6百年もしくはこれらの数値以下と求められる。

(5)活動区間

本断層帯は、松田(1990)の定義に基づくと、全体が1つの起震断層を構成しているとみることができることから、ここでは全体が1つの区間として活動したと推定する。

(6)測地観測結果

1994年までの約100年間の測地観測結果及び1985年から約10年間の測地観測結果いずれにおいても断層帯の周辺で東西方向の縮みがみられる。最近5年間のGPS観測結果では、北西−南東方向の縮みがみられる。

(7)地震観測結果

1963年3月に、本断層帯の北西端付近でマグニチュード6.9の地震が発生した。この地震の余震域は本断層帯とほぼ直交する方向(Abe,1974;菊地ほか,2001)であった。なお、この付近では北東−南西方向に延びる断層の存在が示されている(海上保安庁,1980)。本断層帯付近における地震発生層の下限の深さは15km程度である。

2.1.3 断層帯の将来の活動

(1)将来の活動区間及び地震の規模

野坂断層帯は、断層帯全体が一つの活動区間として同時に活動すると推定される。断層帯の長さは約31kmであることから、経験式(1)を用いて、発生する地震の規模はマグニチュード7.3と求められる。また、その際に野坂断層帯では約0.5mもしくはそれ以下の上下変位が生じると推定され、2−3m程度の左横ずれが生じる可能性がある。

(2)地震発生可能性

野坂断層帯全体が1つの活動区間として同時に活動する場合は、平均活動間隔が概ね5千6百−7千6百年程度もしくはこれら以下で、最新活動時期が15−17世紀と求められていることから、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は、0.04−0.1もしくはそれ以上となり、また、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(BPT分布モデル、α=0.24)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、すべてほぼ0%もしくはそれ以上となる。また、現在までの集積確率もほぼ0%もしくはそれ以上となる。本断層帯では平均活動間隔の最小値が求められていないため、発生確率等の数値の上限値を求めることはできない。しかし、本断層帯の最新活動後の経過時間は3百−6百年程度であり、我が国の一般的な活断層の平均的な活動間隔と比べると短い時間しか経過していない。また、我が国の他の活断層に対して野坂断層帯の活動度が特段に高いことを示す資料もないことから、野坂断層帯でごく近い将来にここで評価したような地震が発生する可能性は低いと考えられる。表4にこれらの確率値の参考指標(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会,1999)を示す。


2.2 集福寺断層

集福寺断層は、野坂山地(湖北山地ともいう)の南東部に位置しており、敦賀市から滋賀県伊香郡西浅井町にかけて分布している。上述のように本断層は独立の起震断層と推定されるが、長さは10km程度で、単独では地震調査研究推進本部(1997)の基準を満たしておらず、過去の活動に関する調査もほとんど行われていない。したがって、ここでは詳細な評価の対象とはしないこととし、以下簡単にその概要を記述する。
集福寺断層は、野坂断層帯の南東端から約4km左ステップして概ね北西−南東方向に延びている。活断層の位置は、活断層研究会(1991)、岡田・東郷編(2000)などで概ね一致するが、南東端位置は活断層研究会(1991)の方が3km程度長いとされている。ここでは岡田・東郷編(2000)に従うこととし、断層両端を直線で結ぶと、長さは約10km、一般走向はN40°Wとなる。断層の傾斜は明らかではないが、後述のようにこの断層は左横ずれを主体としており、断層の地表トレースが直線的であることから、地表付近ではほぼ垂直である可能性がある。この傾斜が地下深部まで続いているとすれば地震発生層の深さの下限から、断層面の幅は約15kmとなる。
集福寺断層は、東郷(1974)などに示された変位地形などから、左横ずれを主体とし、上下成分を伴う。ただし岡田・東郷編(2000)によれば相対的な隆起の方向は場所により異なる。
過去の活動に関する資料は得られていないが、活断層研究会(1991)はこれを確実度T、活動度Bとしている。岡田・東郷編(2000)も同様である。
本断層は長さが約10kmであることから、単独で活動するとすれば、経験式(1)、(2)によるとその時の地震規模はマグニチュード6.5、その時の変位量は0.8mとなる。ただし、過去の活動に関する資料が得られていないことから、将来における地震発生の可能性は不明である。


3.今後に向けて

野坂・集福寺断層帯の野坂断層と集福寺断層の間には、これらとほぼ直交する方向に敦賀断層が延びており、本断層帯は2つの起震断層に分けられる。しかしながら、敦賀断層については断層そのものが存在しない可能性が指摘されており、また、集福寺断層は過去の活動に関する資料が得られていないため、野坂・集福寺断層帯は、断層帯全体として活動範囲が明らかにされていない。したがって、集福寺断層において、平均変位速度、最新活動時期や平均活動間隔など過去の活動に関する資料を得る必要がある。
一方、野坂断層帯においても平均変位速度やその他の過去の活動履歴に関するデータの信頼度が十分高いとはいえない。このため、野坂断層帯における過去の活動履歴に関してより一層の資料を得る必要がある。また、海域においても過去の活動に関する精度の良い資料を得る必要がある。
また、本断層帯を含む近畿地方北部にはいくつかの活断層が近接して分布していることから、本断層帯が周辺の断層帯と連動して活動する可能性など、相互の関係について今後、調査・研究を進めていく必要がある。

注10: 変位」を、1ページの本文、4、5ページの表1及び6ページの表3では、一般的にわかりやすいように「ずれ」という言葉で表現している。ここでは専門用語である「変位」が本文や表1及び表3の「ずれ」に対応するものであることを示すため、両者を併記した。以下、文章の中では「変位」を用いる。なお、活断層の専門用語では、「変位」は切断を伴う「ずれ」の成分と切断を伴わない「撓(たわ)みの成分」よりなる。
注11: 10,000年BPよりも新しい炭素同位体年代については、Niklaus(1991)に基づいて暦年補正し、原則として1σの範囲の数値で示した。このうち2,000年前よりも新しい年代値は世紀単位で示し、2,000年前よりも古い年代値については、百年単位で四捨五入して示した。また、10,000年BPより古い炭素同位体年代については、Kitagawa and van der Plicht(1998)のデータに基づいて暦年補正し、四捨五入して1千年単位で示した。



文 献

Abe,K.(1974):Fault parameters determined by near− and far−field data:The Wakasa Bay earthquake of March 26,1963.Bull,Seismol,Soc,Am.,64,1369−1382.

地質調査所(1997):近畿三角地帯の主要活断層の先行調査報告No.2. 敦賀断層系 地形地質調査. 地質調査所研究資料集,No.269,52p.

Huzita,K.(1962):Tectonic development of the Median Zone(Setouti)of Southwest Japan,since Miocene.J.Geosci.Osaka City Univ.,6,103−144.

藤田和夫・岸本兆方(1972):近畿のネオテクトニクスと地震活動.科学,42,422−430.

伊藤英文・藤田和夫(1971):西南日本の第四紀地殻変動から導かれた地殻の流動.材料,209,190−196.

伊藤 潔・長尾年恭・田中 豊(1999):琵琶湖付近の地震活動と熱構造.琵琶湖博物館研究調査報告,12,163−167.

地震調査研究推進本部(1997):「地震に関する基盤的調査観測計画」.38p.

地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会(1999):(改訂試案)「長期的な地震発生確率の評価手法について」.74p.

地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001):「長期的な地震発生確率の評価手法について」. 46p.

海上保安庁(1980):5万分の1沿岸の海の基本図海底地形地質調査報告「若狭湾東部」.33p.

菊地正幸・中村 操・山田 真・吉川一光(2001):気象庁強震記録による1963年3月27日越前岬沖地震の震源過程.日本地震学会講演予稿集,111−111.

金田平太郎・岡田篤正・小松原琢(2000):若狭湾沿岸・三方五湖周辺における1662年寛文地震時の地殻変動.月刊地球,号外,28,119−126.

活断層研究会(1991):「新編日本の活断層―分布図と資料―」.東京大学出版会,437p.

Kitagawa, H. and van der Plicht, J. (1998): Atmospheric radiocarbon calibration to 45,000 yrB.P.:Late Glacial fluctuations and cosmogenic isotope production. Science, 279, 1187−1190. 

小松原琢・杉山雄一・水野清秀(2000):若狭湾中部、三方断層及び野坂断層北方延長部の音波探査.地質調査所速報,no.EQ./00/2(平成11年度活断層・古地震研究調査概要報告書),89−118.

栗本史雄・内藤一樹・杉山雄一・中江 訓(1999):敦賀地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1地質図幅),地質調査所,73p.

松田時彦(1975):活断層から発生する地震の規模と周期について.地震,第2輯,28,269−283.

松田時彦(1990):最大地震規模による日本列島の地震分帯図.地震研究所彙報,65,289−319.

水野篤行・島崎哲也(2002):若狭湾東部の海底活断層.第12回環境地質学シンポジウム講演論文集,219−224.

村井 勇・金子史朗(1975):琵琶湖周辺の活断層系.地震研究所彙報,50,93−108.

Niklaus, T. R. (1991):CalibETH version 1.5, ETH Zurich, 2disketts and manual, 151p.

Okada,A.(1978):Structure of the waste−filled valley and associated crustal movements at the eastern part of the Tsyryga Plain, north of Lake Biwa.Paleolimnology of Lake Biwa and the Japanese Pleistocene., 6, 6−80.

岡田篤正・東郷正美編(2000):「近畿の活断層」.東京大学出版会,395pp.+付図4図葉.

杉山雄一(1997):敦賀断層系の活動性調査.地質調査所研究資料集No.303(平成8年度活断層研究調査概要報告書),1−11.

杉山雄一・粟田泰夫・吉岡敏和(1994):柳ヶ瀬−養老断層系ストリップマップ.1:100,000.地質調査所.

杉山雄一・下川浩一・粟田泰夫・佐竹健治・水野清秀・吉岡敏和・小松原琢・七山 太・苅谷愛彦・吾妻 崇・伏島祐一郎・佃 栄吉・寒川 旭・須貝俊彦(1999):近畿三角地帯における主要活断層の調査結果と地震危険度.地質調査所速報,no.EQ/99/3(平成10年度活断層・古地震研究調査概要報告書),285−309.

杉山雄一・寒川 旭・吉岡敏和・佐竹健治(1998a):野坂断層の活動履歴調査.地質調査所速報,no.EQ/98/1(平成9年度活断層・古地震研究調査概要報告書),113−124.

杉山雄一・吉岡敏和・寒川 旭・佐竹健治(1998b):敦賀断層の活動履歴調査.地質調査所速報,no.EQ/98/1(平成9年度活断層・古地震研究調査概要報告書),101−112.

東郷正美(1974):琵琶湖北岸・野坂山地の変動地形.地理学評論,47,669−683.

東郷正美(1983):近江盆地における変動地形学的研究.私学研修,97,101−118.

東郷正美・仲川信一(1973):湖北における河川争奪.法政大学地理学集報,2,9−19.

宇佐美龍夫(1996):「新編日本地震被害総覧[増補改訂版416−1995]」.東京大学出版会,493p.

山崎直方・多田文男(1927):琵琶湖附近の地形とその地體構造につきて.地震研究所彙報,2,85−108.

表4 野坂断層帯の将来の地震発生確率及び参考指標

注12: 評価時点はすべて2003年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を、「ほぼ0」は10−5未満の数値を示す。なお、計算に用いた平均活動間隔の信頼度は低い(△)ことに留意されたい。
指標(1) 経過年数

:当該断層帯での大地震発生の危険率(1年間当たりに発生する回数)は、最新活動(地震発生)時期からの時間の経過とともに大きくなる(BPT分布モデルを適用した場合の考え方)。一方、最新活動の時期が把握されていない場合には、大地震発生の危険率は、時間によらず一定と考えざるを得ない(ポアソン過程を適用した場合の考え方)。
この指標は、BPT分布モデルを適用した場合の危険率が、ポアソン過程を適用した場合の危険率の値を超えた後の経過年数である。値がマイナスである場合は、BPT分布モデルを適用した場合の危険率がポアソン過程を適用した場合の危険率に達していないことを示す。
ポアソン過程を適用した場合の危険率は、7千6百分の1−5千6百分の1(0.0001−0.0002)もしくはそれ以上であり、いつの時点でも一定である。
BPT分布モデルを適用した場合の危険率は評価時点でほぼ0であり、時間とともに増加する。BPT分布モデルを適用した場合の危険率がポアソン過程を適用した場合の危険率に達するには今後5千年−3千3百年もしくはそれ以上を要することになる。

指標(1) :最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間をAとし、BPT分布モデルを適用した場合の危険率がポアソン過程を適用した場合の危険率を超えるまでの時間をBとした場合において、前者を後者で割った値(A/B)である。
指標(2) :BPT分布モデルを適用した場合と、ポアソン過程を適用した場合の評価時点での危険率の比。
指標(3) :評価時点での集積確率(前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率)。
指標(4) :評価時点以後30年以内の地震発生確率の値をBPT分布モデルでとりうる最大の地震発生確率の値で割った値。
指標(5) :ポアソン過程を適用した場合の危険率(1年間あたりの地震発生回数)。



付表

地震発生確率等の評価の信頼度に関する各ランクの分類条件の詳細は以下のとおりである。