平成12年11月27日
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宮城県沖地震の長期評価
表2、表3および注*1)を変更しました。(平成15年11月12日)
宮城県の沖合 から日本海溝までの海域では、ここを震源 域 として大地震が繰り返し発生していることが知られている。また、こ の海域では、陸寄り及び日本海溝寄りの2つの海域それぞれを震源域として発生する地震が知られている。ここでは、このうち、
1978年に宮城県沖で発生したマグニチュード(M)7.4の地震に代表される、 陸寄りの海域を震源域として繰り返し発生する大地震(以下「宮城県沖地震」という。)に関して、長期的な観点で次のように評価した。
評価に当っては、同海域に発生した地震について行われた調査研究の 成果を参考にした。
1 地震の発生位置
宮城県沖 地震は、 東北地方の陸側のプレートの下へ太平洋プレートが沈み込むことに伴って、これら2つのプレートの境界面(以下「プレート境界面」という。)の、牡鹿(おじか)半島沿岸からその東方へ拡がる範囲で発生している と考えられる。
2 地震活動
宮城県沖地震の震源域での過去の活動及び将来の活動についての特性等は表1のとおりであり、これらについて次のように考えられる。
<過去の活動について>
歴史地震の記録や観測成果の中に記述された、津波の記録、震度分布等に基づく調査研究の成果を吟味した結果、1793年以降現在までの200年間余りに6回活動したと考えられる。 この結果、活動間隔は26.3年から42.4年までの範囲となり、 平均活動間隔は37.1年となる。最新の活動は、1978年6月12日であることから、最新活動からの経過時間は2001年1月1日現在で22.6年となり、 平均活動間隔の61%に達する。
また、地震の規模は、通常は M7.3〜7.5の範囲にあったと考えられる(陸寄りの海域に想定される震源域の中だけが破壊した地震の場合を、以下「単独の場合」という。)。但し、 1793年の地震は、陸寄り及び日本海溝寄りの震源域が連動して破壊したため(以下「連動した場合」という。)、その規模は他の地震より大きいM8.2程度 [1]であったと考えられる。
なお、1793年より前の地震についてはデータが十分でないと判断し評価を行わなかった。
<将来の活動について>
地震発生の可能性は、 年々高まっており、今後20年程度以内(2020年頃まで)に次の地震が起こる可能性が高いと考えられる。
また、地震の 規模 は、単独の場合にはM7.5前後、連動した場合にはM8.0前後となると考えられる [2]。但し、次の活動が単独の場合となるか連動した場合となるかは、現状では判断できない。
3 今後に向けて
形状、ずれの向きなど強震動評価に必要な事項は、今後別途評価する。
表1 宮城県沖地震の長期評価のまとめ
注:評価時点は全て2001年1月1日現在。有効数字一桁で表示。
地震後経過率 :最新活動時期から評価時点までの経過時間を平均活動間隔で割った値。
集積確率 :前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率。
指標(1)経過年数:当該地震系列に対数正規分布モデルを適用した場合の、1年間当りの発生確率(以下「危険率」という。)が、指数分布モデル(以下「ポアソン過程」という。)を適用した場合の危険率を超えてからの経過年数(負符号の場合は、その危険率を超えるまでに残された年数)
指標(1)比 :前回の地震発生時から評価時点までの経過時間(B)と前回の地震発生時から 対数正規分布モデルによる危険率がポアソン過程とした場合の危険率を超えるまでの時間(A)との比(B/A)。
指標(2) :評価時点の対数正規分布モデルによる危険率とポアソン過程とした場合の危険率の比。
指標(3) :評価時点での集積確率。
指標(4) :評価時点以後30年以内に発生する確率とその最大の値との比。
指標(5) :ポアソン過程とした場合の危険率。
表2 宮城県沖地震であると評価した地震の発生年月日
説明
1 宮城県沖地震の系列の同定に関するこれまでの主な調査研究
地震調査研究推進本部地震調査委員会(1999)は、東北地方について次のように述べている。
東南東の方向から太平洋プレートが年間 約8cmの速さで近づいている。太平洋プレートは、日本海溝から東北地方の下へ沈み込んでおり、太平洋プレートの沈み込みに伴う地震活動は、東北地方の日本海側では深さ約150〜200km、さらにロシアの沿海州南端付近の地下深く(深さ600km程度)まで見られる。
また、宮城県沖地震の系列の同定に係わる調査研究としては、羽鳥(1975、1987)、瀬野(1979)、Utsu(1984)、Nishenko and Buland(1987) 、宇佐美(1996)、地震調査委員会長期評価部会(1999)、宇津(1999)、大竹(1998a、1998b、1999)、松浦他(2000)、都司(2000)などがあり、その概要は表4のとおりである。
2 宮城県沖地震の評価結果について
2−1 地震の発生位置
宮城県にある牡鹿(おじか)半島の東方沖では、東北地方の陸側のプレートの下へ太平洋プレートが沈み込むことに伴って、大地震が繰り返し発生していることが知られている(例えば、地震調査委員会(1999))。最近では、1978年に、これら2つのプレートの境界面(以下「プレート境界面」という。)を震源域とした低角逆断層型(例えば、瀬野1979)のプレート間地震が発生し、宮城県を中心に強い地震動が生じ、仙台市などで震度5が観測された(気象庁1996)。また、震源の深さは約40kmと推定されており、地震の規模の割に津波はあまり大きくなく、検潮所で観測された津波の最大波高 [3]は最も大きい地点でも 仙台新港の49cmであった(地震調査委員会1999)。
今回の評価では、この1978年の地震を宮城県沖地震の典型的な事例と考えた。このため、評価作業に当っては、宮城県沖地震の震源域は、1978年の地震の発生後3日間の余震発生域(図1)に位置すると想定するとともに、その型も1978年の地震と同様に低角逆断層型であると想定した。
2−2 過去の活動
◇宮城県沖地震の同定
過去の地震について、今回の評価の対象とした宮城県沖地震であるとの同定の作業は、主に、宇津(1999)、羽鳥(1975、1987)、大竹(1999)などの記述を参考にし、これらに記述がない場合及び不確実な場合には、都司(2000)を参考にして検討した。また、地震のMの値は、宇津(1999)及び 都司(2000 )を採用し、両者が一致しない場合は、後者を採用することとした。 但し、1884 年以前は近代観測が行われる前の時点の値であり、 1885 年以降に比べ信頼性が劣ることから、 1884 年以前のMの値には「程度」という言葉を付加した。
宮城県沖が震源であった可能性がある 地震は、1793年 以降については、11回知られている(表3参照)。これらの地震について、@内陸地震、A陸寄りの領域を震源域とする地震、B日本海溝寄りの領域を震源域とする地震、及びC陸寄りと日本海溝寄りの両方の領域が連動した地震に仕分けした。ここでは、陸寄りの領域が活動したA番目の地震( 1978 年の地震が含まれる。)を原則として宮城県沖地震(単独の場合)として同定することとし、C番目の地震を連動した地震(連動の場合)として同定し、両者を平均活動間隔の計算や長期発生確率などの試算に使用することとした。陸寄りの領域だけが活動した場合(A番目の地震の場合)には、津波を伴うものの、その規模の割には津波が顕著には大きくならないという特徴があるが、明治時代より前に発生した地震については津波の記録が残っていない場合が多くあると判断し、津波の有無は参考に止め、主として震度分布によって同定することとした。
1793年の地震より前 については、8回の地震が知られている(表3参照)。これらの地震については、宮城県沖地震の系列かどうかの同定を適切に行うにはデータが十分でないと判断し、評価は行わなかった。
1978年6月12日の地震
震度5(現在の震度階級において、震度5弱または5強に相当)となった範囲は、宮城県、岩手県南部、福島県北部、山形県の一部におよび、また震度4となった範囲は、北は青森県南部、秋田県全域、南は神奈川県東部にまでおよんだ(気象庁 1983 )(図2)。また、 検潮所で観測された津波の最大波高の最も大きい地点は、 仙台新港の49cmであった。 ここでは、この地震を宮城県沖地震の典型例として扱うこととした。
1936年11月3日の地震
震源、規模ともに1978年の地震とほぼ等しく(宇津1999)、また仙台市などで震度5(現在の震度階級において、震度5弱または5強に相当)が観測されている(図3)。 この地震による津波の波源域は、1978年の地震による波源域の南側にずれて推定されているものの一部重なっており ( 図4) 、震度分布を考慮して、 宮城県沖地震の一つであると同定した。
1933年6月19日の地震
震源が日本海溝寄りにある(宇津1999) ことから、宮城県沖地震には当らないと考えた。
1915年11月1日の地震
震源が日本海溝寄りにある(宇津1999) ことから、宮城県沖地震には当らないと考えた。
1898年4月23日の地震
小津波が観測されており、津波に基づく推定波源域は 、1897年2月20日(当該地震の14ヶ月前)の地震 [4] (以下「前年2月の地震」という。)の波源域と重なるように推定されている (図5)。しかし、中央氣象臺(1902)は、前年2月の地震 [5] と 揺れの分布を比較し、当該地震の震源が、前年2月の地震とは異なる [6] と述べている。
震度分布には烈震域がなく(図6)、地震の規模はやや小さめのM7.2(宇津1999)と推定されており、宮城県付近に烈震域がある前年2月の地震の震度分布と異なる [7] 。
また、当該地震の8ヶ月前(1897年8月5日)には、日本海溝寄りでM7.7の地震が発生している。
これらのことから、1898年4月23日の地震は、前年2月の地震とは異なる震源域で発生し、前年2月と8月の地震の両者に誘発されて発生したものであると推定した。このため、1898年4月23日の地震は宮城県沖地震には当らないと考えた。
1897年8月5日の地震
震源が日本海溝寄りにある(宇津1999) ことから、宮城県沖地震には当らないと考えた。
1897年2月20日の地震
震源が陸寄りにある(宇津1999) こと、また津波の記録があり、陸寄りに波源域が推定されていること(図5)から、陸寄りの地震の可能性が高いと判断した。また、 震度分布では、烈震域(現在の震度5弱以上に相当(三浦1964))があり、強震域(現在の震度4に相当)は青森、秋田、神奈川にまでおよぶ(図7;中央氣象臺1897)。これらのことから、 宮城県沖地震の一つであると同定した。
1861年10月21日の地震
この地震の震度分布が 1978 年の震度分布と良く似ており(都司 2000 )、また津波の史料が見出されている(図8)。これらのことから宮城県沖地震の一つであると同定した。
1855年9月13日の地震
震度分布において、震度5弱以上の範囲が1978 年の地震に比べ極狭い範囲に限られている(図9)ことから、この地震の震源は陸にあると判断し、 宮城県沖地震には当らないと考えた。
1835年7月20日の地震
この地震の震度分布が1978 年の震度分布と良く似ている(図10)ことから、宮城県沖地震の一つであると同定した。なお、顕著な津波があったことを示す史料の記述は、同年チリ付近に発生した地震によるもの(都司 2000 )と判断した。
1793年2月17日の地震
この地震は、岩手県から宮城県の沿岸で2〜5mの高さの津波があったという記録から日本海溝寄りの震源域の活動とされているが、震度5弱以上の範囲が宮城県から北の方へ細長く伸びている(図11)ことから、日本海溝寄りと陸寄りの震源域が連動して破壊したと判断し、宮城県沖地震の一つであると同定した。
GPS(図12)など地殻変動のデータから、宮城県沖地震の震源域付近のプレート間は十分な結合力を示していることが推定されている(例えば、El−Fiky et al.1999、Nishimura et al.2000、Ito et al.2000)。
1978 年の地震は低角逆断層型であり、プレート境界面で平均2.1〜 2.3mのずれがあった(Seno et al. 1980 )。この平均的なずれの量は、 年間 約8cmというプレートの相対運動速度から期待されるずれの累積値より有意に小さい。この地域の海溝におけるプレート間の結合の程度を示す係数が1.0より小さい(例えば、川崎・他1998)ことを考慮すると、約2mのずれの量と約37年の平均活動間隔は、プレート運動速度と矛盾しないと考えられる。
2−3 将来の活動
各種の 地震発生の可能性を検討する手法は試案の段階である。このため、地震発生の可能性の評価は、 地震調査委員会長期評価部会(1999)に示された手法 を用いた試算の結果も参考にしつつ、次のように総合的に実施した。
宮城県沖地震の発生間隔の分布は、AIC(Akaike1974 、坂元・他1983)を計算して比較した結果、ランダムに地震が発生しているとするモデル(指数分布モデル;以下「ポアソン過程」という。)に比べ、更新過程の対数正規分布モデルを適用する方が妥当であると考えられた。このため、対数正規分布モデルを用いて各種確率を試算した。試算においては、平均活動間隔のばらつきのパラメータとして、表2の地震系列から算出される試算値(対数標準偏差 σ=0.176(注);地震調査委員会長期評価部会,1999)を利用した。評価時点は、2001年1月1日とした。
(注)本評価文発表当初は σ=0.197(誤)となっておりましたが、 これは平成13年3月14日にσ=0.176(正)に訂正されました。 なお、この訂正による評価結果の変更はありません。
試算値によると、次の宮城県沖地震の発生の危険率(1年当りの発生確率)は、ポアソン過程と仮定した場合の危険率を、2005年末頃までには超える(指標(1))。また、2001年から20年以内に発生する確率は、約80%となる。さらに、10年以内に発生する確率は、今後年々急速に高まっていき2010年には約70%(2010年までに発生しなかったという条件の下での2010年から2020年の間に発生する確率)となる(図14)。集積確率についても、2005年頃から年々急速に高まっていく(図15)。
これらを踏まえ、 地震発生の可能性は、 年々高まっており、今後20年程度以内(2020年頃まで)に次の地震が起こる可能性が高いと考えた。
なお、陸寄りと日本海溝寄りが連動した場合は、過去に大津波が発生したことが知られているので、津波の発生にも注意が必要である。
表3 宮城県沖地震の系列の同定に関する調査研究と本報告の評価
(凡例)
・文献番号の欄の記号
○ :宮城県沖地震の一つと同定。
△ :内陸に発生した地震、日本海溝寄りに発生した地震、又は少なくとも地震があったと判断したか、陸寄りの海域以外に発生した可能性があると判断。
× :地震そのものがなかったか、存在が疑わしいと判断。
−:判断を示していないか、資料不十分と判断。
・ 本報告の欄の記号
◎ :宮城県沖地震の一つであると長期評価部会が同定した地震。
△ :宮城県沖地震には当らないと長期評価部会が判断した地震。
なお、1793年より前は長期評価部会は評価しなかった。
・ 津波の欄の記号
有:津波が観測された地震(津波による被害がないものも含む。)
?:津波があった可能性があるか、津波の存在を示す資料が否定された地震。
無:津波が観測されなかった地震。
−:津波の有無の研究成果が発表されていない地震。
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注*1)Mの欄は〔26〕の表に記述されたMを示し、〔23〕のMがあれば左側に併記した。 〔23〕は、新たに震度分布や津波の規模から再調査した結果である。 〔26〕は、「1884年以前の震央の緯度・経度とマグニチュードは宇佐美(1996)の書物(〔24〕)によるが、同書に範囲として示されているものは範囲の中央値を記入し、また分数は小数に直し小数点以下1桁で打ち切った。」としている。また、〔26〕は、「1885〜1980年の震源とマグニチュードは宇津の表による。1981年以降は気象庁資料による。」としている。但し、1861年10月21日の地震についてはM7.3とされているが、その根拠が不明のため記入しなかった。 また、宇津([26])がMを決めるうえで気象庁Mを引用した地震に関しては、気象庁による改訂M値(2003年9月25日)を採用した。
注*2) 津波の欄は、1898年は〔5〕から、それ以外は〔26〕又は〔23〕の記述を記入。〔26〕と〔23〕とで記述が異なる場合は〔23〕の記述を記入。 |
表4 宮城県沖地震の系列の同定に関する調査研究の概要
参考文献(アルファーベット順)
〔1〕Akaike,H.(1974):A new look at the statistical model identification. IEEE Trans. Automat. Contrl. AC−19, 667−674.
〔2〕 中央氣象臺(1897):「明治30年地震報告」.
〔3〕 中央氣象臺(1902):「明治31年中央氣象臺年報」第二編,戊ノ部,地震報告.
〔4〕 El−Fiky, G.S. and T. Kato(1999):Interplate coupling in the Tohoku district, Japan, deduced from geodetic data inversion. J. Geophys. Res., 104, 20361−20379.
〔 5 〕羽鳥徳太郎(1975):三陸沖歴史津波の規模と推定波源域.地震研究所彙報, 50, 397−414.
〔 6 〕羽鳥徳太郎(1987):寛政5年(1793年)宮城沖地震における震度・津波分布. 地震研究所彙報, 62, 297−309.
〔 7 〕Ito T., S. Yoshioka, and S. Miyazaki(2000):Interplate coupling in northeast Japan deduced from inversion analysis of GPS data. Earth Planet. Sci. Lett., 176, 117−130.
〔 8 〕地震調査委員会(1999):「日本の地震活動−被害地震から見た地域別特徴−<追補版>」. 395pp.
〔 9 〕地震調査委員会長期評価部会(1999):「(改訂試案)長期的な地震発生確率の評価手法について」.74pp.
〔10〕川崎一朗,浅井康広,田村良明(1998):三陸沖におけるプレート間モーメント解放の時空間分布とサイスモ・ジオデティック・カップリング−中・長期予測の基礎−. 地震2,50別冊,293−307.
〔11〕気象庁(1983):日本付近の地域・海域別の被害地震・津波地震の表および震度分布図.
〔12〕気象庁(1996):「震度を知る−基礎知識とその活用−」.ぎょうせい,238pp.
〔13〕松浦律子,唐鎌郁夫,中村操(2000):歴史地震の震源域位置および規模の系統的再検討−第2報−(1586年天正地震など10地震). 日本地震学会秋季大会予稿集.pre−print
〔 1 4 〕 三浦武亜(1964):気象庁震度の変遷.測候時報, 31, 134−138
〔 1 5 〕 Nishenko, S. P. and R. Buland(1987):A Generic Recurrence Interval Distribution for Earthquake Forecasting. Bull. Seism. Soc. Am. 77, 1382−1399.
〔 1 6 〕 Nishimura, T., S. Miura, K. Tachibana, K. Hashimoto, T. Sato, S. Hori, E. Murakami, T. Kono, K. Nida, M. Mishina, T. Hirasawa, and H. Miyazaki(2000): Distribution of seismic coupling on the subducting plate boundary in northeastern Japan inferred from GPS observations. Tectonophysics, 323, 217−238.
〔 1 7 〕 大竹政和(1998a):宮城県沖地震の地震像と長期予測.地震工学振興会ニュース, 162, 8−11.
〔 1 8 〕 大竹政和(1998b):★意見32.地震調査委員会長期評価部会(1999)「(試案)長期的な地震発生確率の評価手法及びその適用例について」に対する意見募集の結果及び寄せられた意見に対する長期評価部会の考え方について」. 46.
〔 1 9 〕 大竹政和(1999):宮城県沖における次の大地震の発生確率とプレート間相対運動収支. 日本地震学会1999年度秋季大会講演予稿集, P031.
〔 20 〕 坂元慶行,石黒真木夫,北川源四郎 (1983):「情報量統計学」. 共立出版, 236pp.
〔 21 〕 瀬野徹三(1979):宮城県沖に予想される地震について.地震予知連絡会会報, 21, 38−43.
〔 22 〕 Seno, T., K. Shimazaki, P. Somerville, K. Sudo and T. Eguchi(1980):Rupture process of the Miyagi−Oki, Japan, Earthquake of June 12,1978. Phys. Earth Planet. Inter., 23, 39−61.
〔 23 〕 都司嘉宣(2000):宮城県沖地震の史料的評価.Pre−print.
〔 24 〕 宇佐美龍夫(1996):「新編 日本被害地震総覧」[増補改訂版416−1995]. 東京大学出版会,516pp.
〔 25 〕 Utsu, T. (1984): Estimation of Parameters for Recurrence Models of Earthquakes. Bull. Earthq. Res. Inst., Univ. Tokyo 59, 53−66.
〔 26 〕 宇津徳治(1999):「地震活動総説」. 東京大学出版会, 894pp.
〔 27 〕 Wesnousky, S. G., C. H. Scholz, K. Shimazaki, and T. Matsuda(1984):Integration of Geological and Seismological Data for the Analysis of Seismic Hazard.A Case Study of Japan.Bull. Seism. Soc. Am. 74, 687−708.
[1] この報告書では、Mの数値の推定のばらつきについて、「程度」及び「前後」を使用。「程度」は「前後」よりばらつきが大きい場合に使用した。
[2] 同上。
[3] 最大波高は、 津波の全振幅の最大のことである。地震調査委員会(1999) p.75の「津波の高さ」は、最大波高のことである。なお、「津波の高さ」は、平常潮位から津波の山までの高さを示すことが多い。
[4] 宮城県沖地震の一つと同定(後述)。
[5] 中央氣象臺(1902)の記述では、「昨二十九年」としているが、「昨三十年」の誤りとみられる。
[6] 「 ……往々陸前地方ヲ激動スル地震(注1)ト是等ノ地震(注2)トハソノ震源地ヲ一ニセルモノ丶如ク考ヘラル丶ト雖モ其實全ク相異ナルモノニシテ ……」
(注1)このような地震として1897年2月20日の地震が含まれる。(注2)「是等」は、中央氣象臺(1902)では、三陸沿岸域を激動する地震のことを指しており、1898年4月23日の地震もその特徴を持っているとしている。
[7] 1898年(明治31年)から震度階級が変更された(三浦1964)ものの、この地震については、中央氣象臺(1902)の記述から、1897年までの震度階級で観測結果が報告されていたものと考えられる。