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兵庫県南部地震からの20年 地質調査研究推進本部の流れとともに 地震調査委員長 本藏義守

 平成7年1月17日の未明、世田谷区の自宅で眠っていた筆者は突然の揺れで目覚め、不吉な予感に襲われた瞬間が未だに脳裏を去らない。関東でよく発生する地震の揺れとは違い、遠方の規模の大きな地震が予想されたからである。TVの臨時ニュースは近畿地方の震度4~5の分布を示していた。ところが神戸周辺がすっぽり抜け落ちていた。事態の深刻さに気付いた瞬間であった。震源は神戸で、直下の六甲断層系が活動したに違いない。その後のTV映像にくぎ付けになった。当初の映像は大被害を示すようなものではなかったが、それは束の間であった。地震予知連絡会の臨時会の後、想像を絶する大被害に圧倒されつつも何もしないではおられない悲痛な思いで観測のために淡路島に向かったが、神戸の夜景が消えていたことに何とも言えない悲しさがこみ上げてきたことを思い出す。これらが地震調査研究推進本部(地震本部)における筆者の活動の原点である。
 地震本部(当初は推本と呼ばれていた)の創設経緯はホームページに紹介されている。政策委員会と地震調査委員会が設置されており、それぞれの下に部会、小委員会、分科会、ワーキンググループがある。地震本部発足時に筆者は政策委員会の委員を仰せつかった。ホームページの記載によれば、平成7年8月9日に第一回政策委員会が開かれたことになっている。筆者の記憶によれば、それよりは早く会議が開催され、筆者の昔の手帳には6月29日に科技庁政策委員会(15−17)とある。科技庁となっているのは、地震本部は地震防災対策特別措置法に基づき総理府に設置されたからである。また同手帳には、7月18日科技庁政策委員会(10−12)→ 7月17日午前に変更との記載もある。因みに、地震本部のホームページには、第一回本部会議が7月18日(11:20~)に科学技術庁特別会議室で開催との記載がある。したがって、手帳記載の政策委員会とは正式なものではなく、準備会のようなものであったと思われる(図1)。


図1

図1  兵庫県南部地震による火災(阿部勝征氏提供)


1 編集者注:兵庫県南部地震を受けて、平成7年6月、当時科学技術庁に設置されていた地震予知推進本部(地震調査研究推進本部の前身)に、政策委員会と観測結果評価委員会が設置された。これらは、平成7年7月18日に地震調査研究推進本部が正式に発足するまで、地震調査研究推進本部の政策委員会、地震調査委員会の準備会合として機能した。



いずれにしても、委員長の伊藤 滋先生の議事進行は大変味わい深く、委員の顔をご覧になりながら指名して発言を求めたり、あるいはご自分で含蓄のある発言をされたり、自由闊達な雰囲気を楽しませていただいた。今から思えば筆者の拙い発言も自然に受け入れていただいたような気がする。
 その後、政策委員会の下に調査観測計画部会、予算小委員会などが設置され、特化した課題について検討が進められていった。筆者にとっての大仕事は、調査観測計画部会が指定した基盤的調査観測データの流通を円滑に行うための体制の整備であった。とくに、高感度地震データの流通・公開であった。当時、気象庁、防災科学技術研究所、大学の3機関がそれぞれ独自の観測体制をもっており、データの相互利用は協定に基づいて行われてはいたが、所属にかかわらず研究者が自由にデータにアクセスできるようにはなっていなかった。これを一体化させてフリーアクセスを可能とするにはどうしたらよいか、ワーキンググループ(WG)で時間をかけて検討することとした。その一環として米国のIRISデータ流通システムの現地視察も行った。最終的には、上記3機関の役割分担を明確化し、難航した経費分担も何とか解決にこぎつけることができた。これがHi-netと呼ばれるシステムである。3機関のルーティン観測データは気象庁と防災科学技術研究所にリアルタイムで伝送され、気象庁はデータ処理センターとして震源決定を担い(一元化震源)、防災科学技術研究所はデータセンターとしてデータアーカイブ及び利用者への配信を担うこととなり、大学は必要に応じてリアルタイムでデータを受信し、研究観測に利用することとなった。WGの主査を務めた筆者でさえ感動するほどの美しいシステムがこうして実現した(図2)。検討の節目での関係機関及び関係者の英断には今でも感謝している。


図2

図2 高感度地震観測データの流通・公開について(平成14年当時)
平成14年8月公表の「地震に関する基盤的調査観測等の結果の流通・公開について」より引用。


 地震本部の重要なミッションの一つに「関係行政機関の予算等の事務の調整」がある。具体的には、政策委員会の下に設置された予算小委員会が関係機関から提出された次年度の概算要求案について調整を行うこととなっていた。しかし、その中で改善されるべき事項があっても、小委員会としての意見として報告書に記載するに留まっていた。これでは小委員会の意見が予算案に直接的に反映される見通しがはっきりしない。平成21年2月に予算等の事務の調整の進め方が改定され、予算小委員会と同じく政策委員会下の「成果を社会に活かす部会」の機能を引き継ぐ形で設置された総合部会が調整機能を担うことになった。これを機に、概算要求に際しての基本的考え方等について関係機関へのヒアリングを実施するとともに、部会としての評価も導入した。この方式により、部分的ではあるが部会の意見が概算要求に反映されるようになった。より重要なことは、調査観測計画部会や地震調査委員会下の部会等の長期的調査研究に向けた取り組みが各年度の概算要求に反映され、地震本部の目標達成に向けた見通しにつながり始めたということではないかと筆者は思っている。
 地震調査委員会では毎月の地震活動に関する現状評価のほかに、地震発生の長期予測を担う部会等、地震が発生した場合の強震動予測(表層地盤の影響を含む)と地震発生長期予測を総合化した地震動予測地図の作成を担う部会等が活動している。兵庫県南部地震以前の地震予知偏重からの方向転換を図り、地震科学の現状に即しつつ、より防災・減災に貢献することを基本方針としている。地震動予測地図は国民あるいは自治体等に活用される必要があるが、確率論的予測となっていることから“確率表示はわかりにくい”、“使い方がわかりにくい”といった意見が少なからずあった(地震本部のアンケート調査)。この問題点の解消に向けた取り組みについては、現在でも総合部会で議論されており、少しずつではあるが改善されつつある(例えば、確率論的地震動予測地図はわかりにくいという意見は減少しつつある)。筆者は自然災害に対して地域防災を担う自治体防災部署とのさらなる連携強化が必要ではないかと思っている。
 本稿は、筆者がかかわった地震本部活動の20年を概観しつつ、その一部について個人的感想を記述したものに過ぎないが、地震本部へのさらなる理解と支援につながれば幸いである。

本藏 義守(ほんくら・よしもり)

著者の写真

東京工業大学名誉教授。専門は固体地球物理学。
1974年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。東京大学地震研究所助手、東京工業大学助教授、教授を歴任。同理学部長、理工学研究科長、理事・副学長などを務めた。2012年より地震調査研究推進本部地震調査委員長。

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