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  1. 地震・津波の提供情報
  2. コラム
  3. 今後の地震研究に期待すること(上原美都男)

 2010年の夏、まる一日の休みをもらって実家のある神戸を訪ねた。久しぶりの帰郷であり、その後の神戸がどうなっているのか強い関心を抱いていた。
 実家の周りは16年前の傷跡がすっかりなくなっており、外見的には街は完全に復興を遂げたかのように見える。古かった木造住宅はすべて取り壊されて新築されているようだ。実に震災は、古いものを一気に破壊して街並みを無理矢理にでも新しくしていく魔物のようなものだ。世界有数の地震国に生まれた我々は、この苦しみにある程度耐えていかねばならない。ただ、住み慣れた家が壊れることによって、愛すべき家族と死別せざるをえないとすれば、これほどまでに悲しいことはないだろう。幸い私の実家はそういった悲劇をまぬがれたが、多くの知人友人を失った。これに比べれば、背比べの柱の傷が失われてもたいしたことではないだろう。神戸の出身者としては、今後阪神・淡路大震災クラスの地震で、潰れる建物により人が亡くなるということ自体が耐え難いことである。もう金輪際やめにしてもらいたい、とつくづく思う。地震対策は容易に潰れない家に住むこと以外にはないと言ってよい。外出先の建物が壊れても困る。耐震補強が遅れている小中学校が全国にまだ3割、2万5千棟あるというのはどういうことだろう。
2年前の中国の四川省地震は単なる対岸の火事なのか。
 今後の地震調査研究に期待することは、地震被害に強い社会を作り上げるために、国民や社会に何を訴えていけばよいか、という回答を見出してもらいたいということである。京都大学名誉教授の河田先生が館長を務める「人と防災未来センター」に帰りに少し立ち寄って、何枚もの被害写真を時間の許す限り見て思わざるをえなかったことである。

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