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想定東南海地震の想定震源域

 この領域では、1498年以降、1498年の明応東海地震(M8.3)、1605年の慶長地震(M7.9)、1707年宝永地震(M8.6)、1854年の安政東海地震(M8.4)、1944年の(昭和)東南海地震(M7.9)が発生しており、1498年の明応東海地震以外の4つの地震は、南海地震と同時、または東南海地震の発生後2年以内に南海地震が発生しています。
 この領域で今後30年以内に地震が発生する確率は60%〜70%です。
 なお、次の南海地震と東南海地震の発生時期の関係は、過去の事例から、同時又は相互に近接して発生するかのいずれかである可能性が高いと考えられます。後者の場合には、東南海地震、南海地震の順番で発生する可能性が高いと考えられます。
  (※図をクリックすると大きく表示されます。)
 2004年9月5日23時57分、紀伊半島南東沖でM7.4の地震が発生し、三重県松坂市、香良洲町(現・津市)、奈良県下北山村、和歌山県新宮市で震度5弱を観測しました。この地震により、神津島で93cm、串本町で86cmなど、房総半島から四国までの太平洋沿岸及び伊豆諸島、小笠原諸島で津波を観測しました。また、この地震の約5時間前の19時07分には、M7.4の地震の発生場所付近でM7.1の地震が発生し、奈良県下北山村及び和歌山県新宮市で震度5弱を観測し、神津島で63cmなど、伊豆諸島から四国に掛けての太平洋沿岸で津波を観測しました。なお、この地震は、いわゆる「東南海地震」の想定震源域の外側で発生しており、地震のメカニズムも異なることから、想定東南海地震の震源域が破壊したものではないと推定されており、この地震活動が東南海地震に与える直接的な影響はないと考えられています。

 【 将来の地震発生の可能性 】  【 もしこの地震が発生したら 】
 【 南海トラフの大地震の過去の発生状況と被害 】  【 リンク 】

○将来の地震発生の可能性  [上に戻る]
 地震の規模  : M8.1前後
 地震発生確率: 30年以内に、70%程度
 地震後経過率: 0.78  地震後経過率とは?
 平均発生間隔: 111.6年
 最新発生時期: 1944年(昭和)東南海地震

 詳しい内容を知りたい方は、「南海トラフの地震の長期評価」( html版 / PDF版(9.6MB) )をご覧下さい。


○もしこの地震が発生したら  [上に戻る]

【「詳細法」・「簡便法」とは?】

 【簡便法震度分布】
≪東南海地震≫

≪東南海地震−南海地震(連動)≫
≪想定東海地震−東南海地震−南海地震(連動)≫


 詳しい内容を知りたい方は、 「全国地震動予測地図」 をご覧下さい。


 【長周期地震動】
  速度応答スペクトル(周期5秒)の分布   速度応答スペクトルとは?

 1944年タイプの東南海地震が起こったときに発生すると考えられる長周期地震動を予測したものです。固有周期5秒の建物において、建物をおもりの動きに模した時の揺れの速度を地図に示しています。周期5秒、速度応答が100cm/sの場合、約0.8m(往復約1.6m)揺れることになります。一般的な超高層ビルにおいては、その建物の頂部の揺れ方は、応答スペクトルの値の20〜30%程度増しになる場合もあると考えられています。

 詳しい内容を知りたい方は、 長周期地震動予測地図2009年試作版 をご覧下さい。

○南海トラフの大地震の過去の発生状況と被害  [上に戻る]

発生年月日 地震の規模 被害等
1498年9月20日
(明応7)
(明応東海地震)
M8.2〜8.4 津波が紀伊半島から房総半島(千葉県)の沿岸を襲い、志摩半島や浜名湖周辺で高かった。津波の高さの分布は尾鷲から渥美半島までの範囲では昭和東南海地震と同程度のものであったと推定される。震度分布は、潮岬から浜名湖までの範囲では概ね昭和東南海地震と同様。
伊勢大湊で家屋流失1千戸、溺死5千、伊勢・志摩で溺死1万、静岡県志太郡で流死2万6千など。
1605年2月3日
(慶長9)
(慶長地震)
M7.9 津波は四国から東海の太平洋沿岸を襲い、室戸岬周辺や浜名湖周辺で高かった。津波の高さの分布は潮岬以西では安政南海地震と概ね同様であり、潮岬から渥美半島(愛知県)までの範囲ではデータは少ないものの、志摩半島周辺では昭和東南海地震と概ね同様であると推定される。室戸岬周辺では、津波の高さは10mに達するところもあったとされている。また、九州南部にも津波が来た可能性もあるとされている。しかし、震害の記録は見当たらないとされている。南海地震と東南海地震が同時に発生した地震と思われる。
八丈島で死者57、浜名湖近くの橋本で100戸中80戸流され、死者多数。紀伊西岸広村で1700戸中700戸流失、阿波宍喰で波高2丈、死者1500余、土佐甲ノ浦で死者350余、崎浜で死者50余、室戸岬付近で死者400余など。
1707年10月28日
(宝永4)
(宝永地震)
M8.6 足摺岬沖から駿河湾周辺にかけての広い範囲を震源域とすると考えられているプレート間地震で、これまでに発生したわが国最大級の地震の一つ。津波の襲来状況及び震度分布、津波の記録から、南海地震と東南海地震が同時に発生した地震であると推定されているが、南海地震が発生した1〜2時間後に東南海地震が発生したという見方もある。震度6強から6弱相当になったと推定されている範囲は九州東部から駿河湾沿岸域までで、場所によっては震度7相当になった可能性もあるとされている。また、津波は伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸及び大阪湾・播磨・伊予・防長、さらに八丈島を襲った。四国から伊豆半島では津波の高さは5m以上に達し、紀伊半島の尾鷲市(三重県)の周辺では8〜10mに達するところもあったと推定されている。
被害は、全体で少なくとも死者2万、潰家6万、流出家2万。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどかった。
1854年12月23日
(安政元)
(安政東海地震)
M8.4 紀伊半島東部の沖(熊野灘)から駿河湾にかけての領域を震源域としたプレート間地震。津波が四国東部から房総半島までの太平洋沿岸を襲ったが、潮岬から渥美半島(愛知県)までの範囲では、その高さの分布は昭和東南海地震と概ね同様。三重県の一部では津波の高さは10mに達した。震度5弱相当以上になったと推定されている範囲は、紀伊半島、近畿地方、中部地方の大部分、及び関東地方の一部であり、震度6強または6弱相当になったと推定されている範囲は、志摩半島(三重県)、中部地方の内陸の一部、及び駿河湾沿岸。また、遠州灘沿岸では、震度7相当になった可能性もあるとされている。
被害は関東から近畿に及び、特に沼津から伊勢湾にかけての海岸がひどかった。この地震による居宅の潰・焼失は約3万軒、死者は2千〜3千人と思われる。
1854年12月24日
(安政元)
(安政南海地震)
M8.4 四国の沖から紀伊半島沖にかけての沿岸部を含んだ南海トラフ沿いの地域を震源域として発生したプレート間地震。高知県や徳島県の沿岸地域で震度6相当、紀伊半島西部沿岸地域や大阪周辺でも震度5〜6相当の揺れであったと推定される。さらに、遠く出雲地方でも震度5〜6相当の揺れがあったと推定される。被害は中部地方から九州地方にかけての広い範囲に及んだが、前日の安政東海地震による被害と区別できないものも多くある。
1944年12月7日
(昭和19)
((昭和)東南海地震)
M7.9 紀伊半島東部の沖(熊野灘)から遠州灘にかけての領域を震源域としたプレート間地震。津波は、紀伊半島西部から伊豆半島の太平洋沿岸を襲った。紀伊半島東部沿岸では、津波の高さは6〜9mに達した。震度5弱相当以上となった範囲は、近畿地方の一部、紀伊半島東部から静岡県御前崎までの沿岸域であり、震度6弱相当以上となった範囲は、三重県から静岡県御前崎町までの沿岸域の一部。
全体の被害は、死者、行方不明者1,223名、負傷者2,864名、家屋全壊17,599など。ただし、太平洋戦争中に発生したこともあり、被害数は調査により大きく異なる。軟弱な地盤の地域に被害が大きく、名古屋市では家屋全壊1,024、同半壊5,820などに達した。
1946年12月21日
(昭和21)
((昭和)南海地震)
M7.9 安政南海地震と同じく四国の沖から紀伊半島沖にかけての沿岸部を含んだ南海トラフ沿いの地域を震源域として発生したプレート間地震。和歌山市、串本町、徳島市、高知市、津市、彦根市などで震度5が観測された。
被害は、中部地方から九州地方にまで及び、全体で死者・行方不明者1,443名、負傷者3,842名、住家全壊約9千などであり、その他多数の流失や焼失した家屋があった。
(「南海トラフの地震の長期評価」、「日本の地震活動」、および理科年表(平成19年版)をもとに作成)

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