平成15年2月12日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会


中央構造線断層帯(金剛山地東縁−伊予灘)の長期評価について


地震調査研究推進本部は、「地震調査研究の推進について −地震に関する観測、測量、調査及び研究の推進についての総合的かつ基本的な施策−」(平成11年4月23日)を決定し、この中において、「全国を概観した地震動予測地図」の作成を当面推進すべき地震調査研究の主要な課題とし、また「陸域の浅い地震、あるいは、海溝型地震の発生可能性の長期的な確率評価を行う」とした。

地震調査委員会では、この決定を踏まえつつ、これまでに、陸域の活断層として、25地域27断層帯の長期評価を行い、公表した。

今回、引き続き、陸域の活断層である中央構造線断層帯について、現在までの研究成果及び関連資料を用いて評価し、別添のとおりとりまとめた。

なお、今回の評価は、現在までに得られている最新の知見を用いて最善と思われる手法により行ったものではあるが、データとして用いる過去地震に関する資料が十分にないこと等による限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される次の地震の規模の数値には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。


平成15年2月12日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会

中央構造線断層帯(金剛山地東縁−伊予灘)の評価

 

中央構造線断層帯は、近畿地方の金剛山地の東縁(注1)から、和泉山脈の南縁、淡路島南部の海域を経て、四国北部を東西に横断し、伊予灘に達する長大な断層帯である。

ここでは、地質調査所(現:産業技術総合研究所)(平成7−12年度)、和歌山県(平成10年度)、徳島県(平成9−11年度)及び愛媛県(平成8−11 年度)によって行われた調査をはじめ、これまで行われた調査研究成果に基づいて、この断層帯の諸特性を次のように評価した。


1 断層帯の位置及び形態 

中央構造線断層帯は、奈良県香芝(かしば)市から五條市、和歌山県和歌山市、淡路島の兵庫県三原郡南淡(なんだん)町の南方海域を経て、徳島県鳴門市から愛媛県伊予市まで四国北部をほぼ東西に横断し、伊予灘に達している。断層はさらに西に延びるが、ここでは佐田岬北西沖付近よりも東側を評価の対象とした。全体として長さは約360kmで、右横ずれを主体とし、上下方向のずれを伴う断層帯である(図1−1、2−1、2−2、2−3及び表1)。なお、断層帯の最東端の奈良県香芝市から五條市に至る金剛山地東縁部は西側が相対的に隆起する逆断層である。



2 断層帯の過去の活動

中央構造線断層帯は、過去の活動時期の違いなどから、全体が5つの区間に分けられる。

金剛山地東縁の奈良県香芝市から五條市付近を経て和泉山脈南縁の和歌山市付近に至る区間では、1世紀以後、4世紀以前に最新活動があったと推定され、その平均的な活動間隔は約2千−1万2千年であった可能性がある。

和歌山市付近ないしその西側の紀淡海峡から鳴門海峡に至る区間の最新活動は、約3千百年前以後−約2千6百年前以前で、その平均的な活動間隔は、約4千−6千年であった可能性がある。最新活動の際に本区間よりも東側及び西側が同時に活動したかどうかは不明である。

四国東端の鳴門市付近から愛媛県伊予市を経て伊予灘の佐田岬北西沖付近に至る区間では、 16世紀に最新活動が起こったと推定される。この時には、鳴門市付近から佐田岬北西沖付近まで同時に活動したと推定されるが、複数の区間に分かれて活動した可能性もある。また、一つ前の活動では、石鎚断層及びこれより東側の区間(讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部)、石鎚山脈北縁の岡村断層からなる区間、川上断層及びこれより西側の区間(石鎚山脈北縁西部−伊予灘)の3つに分かれて活動したと推定される(図2−1、2−2、2−3)。岡村断層は、その東半分が讃岐南縁−石鎚山脈北縁東部の区間と並走し、また、西半分が石鎚山脈北縁西部−伊予灘の区間と並走する(図2−2)。各区間の1回の活動に伴う右横ずれ量は、讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部で6−7m程度、石鎚山脈北縁の岡村断層で6m程度、石鎚山脈北縁西部−伊予灘で2−3m程度であった可能性がある。それぞれの区間の平均的な活動間隔は、東側の讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部では、約1千−1千6百年、中央の岡村断層では、約1千−2千5百年、西側の石鎚山脈北縁西部−伊予灘では、約1千−2千9百年であった可能性がある(表1)。



3 断層帯の将来の活動

中央構造線断層帯は連続的に分布しており、断層の形状のみから将来の活動区間を評価するのは困難である。ここでは主に過去の活動時期から5つの区間に区分したが、これらの区間が個別に活動する可能性や、複数の区間が同時に活動する可能性、さらにはこれら5つの区間とは異なる範囲が活動する可能性も否定できない。

5つの区間が個別に活動する場合には、以下のような地震の発生が想定される。

金剛山地東縁から和泉山脈南縁の和歌山市付近に至る区間が活動すると、マグニチュード8.0程度の地震が発生する可能性がある。

和歌山市付近もしくはその西側の紀淡海峡から鳴門海峡に至る区間が活動すると、マグニチュード7.7程度の地震が発生する可能性がある。

讃岐山脈南縁から石鎚山脈北縁東部の石鎚断層に至る区間が活動すると、マグニチュード8.0程度もしくはそれ以上の地震が発生し、その際に6−7m程度の右横ずれが生じる可能性がある。

石鎚山脈北縁の岡村断層が活動すると、マグニチュード7.3−8.0程度の地震が発生し、その際に6m程度の右横ずれが生じる可能性がある。

石鎚山脈北縁西部の川上断層から伊予灘の佐田岬北西沖に至る区間が活動すると、マグニチュードが8.0程度もしくはそれ以上の地震が発生し、その際に2−3m程度の右横ずれが生じる可能性がある(表1)。

これらの5つの区間がそれぞれ個別に活動する場合の長期確率は表2に示すとおりである。

また、上記5つの区間とは異なる区間が活動する可能性や断層帯全体が同時に活動する可能性も否定できない。断層帯全体が同時に活動する場合は、マグニチュード 8.0程度もしくはそれ以上の地震が発生すると推定される。この場合の地震発生の長期確率は求めることはできないが、上で想定した5つの区間が個別に活動する長期確率を超えることはないと考えられる。

本評価で得られた地震発生の長期確率にはいずれも幅があるが、その最大値をとると、金剛山地東縁から和泉山脈南縁に至る区間は、今後 30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の活断層の中では高いグループに属することになる(注2、3)。また、紀淡海峡から鳴門海峡に至る区間、讃岐山脈南縁から石鎚山脈北縁東部の石鎚断層に至る区間、石鎚山脈北縁の岡村断層からなる区間、及び石鎚山脈北縁西部の川上断層から伊予灘の佐田岬北西沖に至る区間は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の活断層の中ではやや高いグループに属することになる(注2、3)。



4 今後に向けて

本断層帯ではこれまで数多くの調査研究が行われているが、本断層帯は長大であり、その活動様式は複雑であると考えられる。したがって、過去の活動履歴をより一層明らかにするとともに、その活動区間や活動様式の特性を明らかにする必要がある。

また、ここでは佐田岬北西沖を本断層帯の西端として評価したが、活動度がやや低いと推定される区間を経て断層はさらに西に延びており、九州の別府−万年山断層帯へと続いている(図 1−2)。したがって、ここで評価した断層帯の西端付近については、さらに西側の断層との関係を再度検討する必要がある。


表1 中央構造線断層帯の特性

表2 将来の地震発生確率等

注1: 金剛山地東縁部は南北方向に延びる活断層帯であり、地質境界としての中央構造線とは位置が異なるが、活動度が高いとされる活断層は和泉山脈南縁部から屈曲しながら連続して北方に延びている。このため、ここでは金剛山地東縁の活断層も中央構造線断層帯の一部として評価することとした。
注2: 我が国の陸域及び沿岸域の主要な98の活断層帯のうち、2001年4月時点で調査結果が公表されているものについて、その資料を用いて今後30年間に地震が発生する確率を試算すると概ね以下のようになると推定される。
98断層帯のうち約半数の断層帯:30年確率の最大値が0.1%未満
98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が0.1%以上−3%未満
98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が3%以上
(いずれも2001年4月時点での推定。確率の試算値に幅がある場合はその最大値を採用。)
この統計資料を踏まえ、地震調査委員会の活断層評価では、次のような相対的な評価を盛り込むこととしている。
今後30年間の地震発生確率(最大値)が3%以上の場合:
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる」
今後30年間の地震発生確率(最大値)が0.1%以上−3%未満の場合:
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになる」
注3: 1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震及び1847年善光寺地震の地震発生直前における30年確率及び集積確率(このうち、1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震については「長期的な地震発生確率の評価手法について」(地震調査研究推進本部地震調査委員会,2001)による暫定値)は以下のとおりである。

     

「長期的な地震発生確率の評価手法について」に示されているように、地震発生確率は前回の地震後、十分長い時間が経過しても100%とはならない。その最大値は平均活動間隔に依存し、平均活動間隔が長いほど最大値は小さくなる。平均活動間隔が1千年の場合は30年確率の最大値は20%程度、2千年の場合は10%程度である。
注4: 信頼度は、特性欄に記載されたデータの相対的な信頼性を表すもので、記号の意味は次のとおり。 ◎:高い、○:中程度、△:低い
注5:

文献については、本文末尾に示す以下の文献。
文献1:愛媛県(1999)
文献2:愛媛県(2000a,b)
文献3:後藤・中田(2000)
文献4:後藤ほか(1999b)
文献5:後藤ほか(2001)
文献6:長谷川ほか(1999)
文献7:地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001a)
文献8:伊藤ほか(1996)
文献9:海上保安庁水路部(1998)
文献10:河村ほか(2001)
文献11:三浦ほか(2001)
文献12:水野ほか(1996)
文献13:水野ほか(2000)
文献14:七山ほか(1999)
文献15:七山ほか(2002)
文献16:小川ほか(1992)
文献17:岡田(1970)
文献18:岡田・寒川(1978)
文献19:岡田・堤(1997)
文献20:岡田ほか(1998a)
文献21:岡田ほか(1999a)
文献22:岡田・東郷編(2000)
文献23:大野ほか(1997)
文献24:大塚ほか(2001)
文献25:斉藤ほか(1997)
文献26:佐竹ほか(1997)
文献27:佐竹ほか(1999)
文献28:徳島県(2000)
文献29:佃(1997)
文献30:佃ほか(1998)
文献31:佃・佐藤(1996)
文献32:堤・後藤(2002)
文献33:Tsutsumi and Okada(1996)
文献34:堤ほか(2000)
文献35:横倉ほか(1998)
文献36:山崎ほか(1995)
文献37:吉川ほか(1992)

注6: 評価時点はすべて2003年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を示す。
注7: 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間を、平均活動間隔で割った値。最新の地震発生時期から評価時点までの経過時間が、平均活動間隔に達すると1.0となる。今回の評価の数字で、例えば紀淡海峡−鳴門海峡において、0.4は2600年を6000年で割った値であり、0.8は3100年を4000年で割った値。
注8: 前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率。


(説明)

1 中央構造線断層帯に関するこれまでの主な調査研究

中央構造線は西南日本を内帯と外帯に分ける重要な地質境界線であり、中生代後期以降多様な断層活動を経てきたとされている。第四紀後期にはほぼ一様に右横ずれ成分の卓越する断層運動を行っており、特に四国から紀伊半島にかけての地域では明瞭な断層変位地形が連続的に認められる。本断層帯については多くの調査研究があるが、その主なものは以下のとおりである。

中央構造線の最近の地質時代における活動については、辻村・淡路が1920−1930年代に四国山脈山麓線北側の断層崖の形成を認めている。岡田(1970,1973)は、第四紀後期に活動度A級の活断層として活動している中央構造線と地質断層としての中央構造線とを区分し、後者を主境界断層または狭義の中央構造線と呼んだ。

本断層帯における主な物理探査、地形・地質調査として、金剛山地東縁については佐竹ほか(1997,1999)による調査などがあり、また、紀ノ川沿いの和泉山脈の南縁においては、岡田・寒川(1978)、吉川ほか(1992)、斉藤ほか(1997)、佃ほか(1998)、岡田ほか(1999a)、水野ほか(2000)、河村ほか(2001)の調査、和歌山平野から友ヶ島水道、さらに淡路島南部を経て鳴門海峡に至る範囲については、海上保安庁水路部(1978a,b,1979,1998,2000)、国土地理院(1984)、地質調査所(1995,1997)、吉川ほか(1996)、佃(1997)、水野ほか(1996,1998)、横倉ほか(1998)、和歌山県(1999a,b,)、七山ほか(1999)などの調査がある。また、四国地方においては、佃・佐藤(1996)、岡田(1968,1970,1973)、岡田ほか(1989,1998)、岡田・堤(1997)、Tsutsumi etal(1991)、堤ほか(1992,2000)、山崎ほか(1995)、伊藤ほか(1996)、愛媛県(1997,1998,1999,2000a,b)、後藤ほか(1997,1999b,c,2001)、長谷川ほか(1999)、徳島県(1998,1999,2000a,b)など多くの調査研究がある。伊予灘においても、堤ほか(1990)、小川ほか(1992)、三浦ほか(2001)、大塚ほか(2001)、七山ほか(2002)などにより調査が実施されている。

また、中央構造線断層帯のセグメント区分が、岡田(1992)、佃(1996)、Tsutsumi and Okada(1996)、中田・後藤(1998)、地質調査所活断層研究グループ(2000)などにより行われている。

中央構造線断層帯の活断層位置については、海上保安庁水路部(1978a,1998)、活断層研究会(1980、1991)、水野ほか(1993,1994,1996)、七山ほか(1999,2002)、岡田・東郷編(2000)、後藤・中田(2000)、1:25,000都市圏活断層図(中田ほか,1996;岡田ほか,1996a,b,c;後藤ほか,1998;中田ほか,1998;岡田ほか,1998;堤ほか,1998;後藤ほか,1999;中田ほか,1999;岡田ほか,1999a,b;堤ほか,1999)などにまとめられている。



2 中央構造線断層帯の評価結果

地震調査研究推進本部(1997)は、近畿地方の金剛山地東縁から四国西部に至る活断層帯を中央構造線断層帯として、中央構造線断層帯(和泉山脈南縁−金剛山地東縁)、同(淡路島南部)、同(讃岐山脈南縁)、同(石鎚山脈北縁)、及び、同(愛媛北西部)の5つの断層帯に区分している。しかし、四国の石鎚山脈北縁において断層線に雁行配列が見られるものの、これら5つの断層帯は互いにほぼ連続しており、松田(1990)の基準にしたがえば、5つを合わせた全体が一つの起震断層となる。したがって、これらを一括して評価することが妥当と判断し、中央構造線断層帯として評価することとした。

四国西部では、断層は陸域から伊予灘に達しているが、断層は伊予灘からさらに西へ延び、豊後水道から別府湾に達することが確認されている(図1-2;七山ほか,印刷中)。別府湾には別府−万年山(べっぷ−はねやま)断層帯(地震調査研究推進本部,1997)を構成する別府湾海底断層群(活断層研究会,1991など)が分布し、大分市内にも断層が伏在することが指摘されている(大分県,2001;千田ほか,2001)。したがって、断層は紀伊半島から四国を経て九州までほぼ連続することとなり、中央構造線断層帯の西部については、別府−万年山断層帯との関係を含めて検討が必要であるが、別府−万年山断層帯の評価は別途行うこととし、ここでは、七山ほか(2002)の図において、完新世に活動した断層の分布が途切れる佐田岬北西沖付近(図2-3)を評価範囲の西端として、これより東側について評価することとした。

なお、金剛山地東縁部の活断層は、地質境界としての中央構造線とは位置が異なるが、活動度が高いとされる活断層は和泉山脈南縁から北へ屈曲しほぼ連続して延びている。このためここでは中央構造線断層帯に含めることとした。一方、地質境界としての中央構造線は和泉山脈南縁からさらに東方に延びているが、活動度が低いなどの理由からここでは評価の対象としない。


2.1 断層帯の位置・形態

(1)中央構造線断層帯を構成する断層

中央構造線断層帯は近畿地方から淡路島南方の海域を経て四国北部をほぼ東西に横断し、伊予灘の佐田岬北西沖に至る長大な断層帯である。本断層帯を構成する断層の位置、名称は図 2−1、2−2、2−3及び表1に示すとおりである。ここでは、断層の位置、名称は、近畿地方については岡田・東郷編(2000)、紀淡(きたん)海峡及び鳴門海峡については海上保安庁水路部(1998)、七山ほか(1999)、水野ほか(1996)、四国地方については後藤・中田(2000)、伊予灘については七山ほか(2002)によった。

本断層帯は、全体としてほぼ東北東−西南西方向に延びる断層帯であるが、東端の奈良県五條市付近で屈曲して 10数km北に延び、金剛山地の東縁に沿って山田断層、金剛断層の中北部、山口断層及び当麻断層がほぼ南北走向で分布し、北端は奈良県香芝市に達している。金剛断層は五條市付近で西南西方向に屈曲し、和泉山脈の南縁に沿って東北東−西南西方向に延びる五条谷断層に連なる。和泉山脈の南縁では、さらに西へ向かって桜池断層、根来(ねごろ)断層、根来南断層が一部で互いに並走しながら全体としてほぼ一直線上に延びて和歌山平野に達する。和歌山平野の北端には磯ノ浦断層が分布し、その南側の和歌山平野下には和歌山北断層が伏在している。

和歌山北断層は紀淡海峡の友ヶ島水道断層に連続すると推定される。断層はさらに西に延びて、淡路島の南端付近の海域を経るが鳴門海峡には鳴門海峡断層が分布する。

徳島県鳴門市付近から讃岐山脈のほぼ南縁に沿って、鳴門断層、鳴門南断層、板野断層、神田(ずんでん)断層、父尾(ちちお)断層、井口断層、三野(みの)断層、箸蔵(はしくら)断層、池田断層及び佐野断層が一部で並走しながら、全体としてほぼ一直線状に東北東−西南西方向に延びている。

讃岐山脈南縁よりも西に至ると、石鎚山脈の北縁に沿って、寒川(さんがわ)断層、畑野断層、石鎚断層、岡村断層、川上断層が分布する。石鎚断層と岡村断層の東部、及び岡村断層の西部と川上断層の東部は、それぞれ長さ 10kmないしそれ以上にわたって、雁行・並走関係にある。

川上断層は、石鎚山脈の北縁に沿ってさらに西南西方向に延び、わずかに南よりに方向を変えつつ愛媛県北西部の松山平野東端に至る。その西方延長上の松山平野東部には重信断層が分布し、さらにその西方では、方向をやや南向きに変えて、松山平野の南縁に沿って伊予断層が延びている。伊予断層の北側には米湊(こみなと)断層が並走する。この両断層の西端は伊予灘に達しており、愛媛県大洲市付近の海岸線及び佐田岬半島の北岸に沿って、その数 km沖合いを伊予灘東部断層と伊予灘西部断層が延びており、佐田岬北西沖に達している。

 

(2)断層帯の位置と形状

本断層帯は、紀伊半島から四国西方の伊予灘まで、全体として東北東−西南西方向に延びる断層帯である(図1−1、2−1、2−2、2−3)が、東端付近で北方へ屈曲し、末端部は金剛山地東縁に沿ってほぼ南北走向となる。本断層帯の全体の長さ及び一般走向は、概ね東北東−西南西方向にほぼ直線状に連なる奈良県五條市付近と評価範囲の西端である佐田岬北西沖を直線で結んで計測し、長さを約360km、一般走向を概ねN70°Eとした。なお、断層帯東端の金剛山地東縁部(当麻断層−金剛断層中北部)の長さは当麻断層の北端と屈曲点を直線で結んで計測すると約16km、一般走向はほぼN−Sとなる。上述のように断層線は伊予灘からさらに西に延びていることが明らかになっている。したがって、ここで記述した長さは連続する一連の断層帯としての長さではなく、ここで評価した中央構造線断層帯の長さである。

本断層帯は、過去の活動履歴から5つの活動区間に分かれることが推定される(後述)。各々の活動区間の長さ及び一般走向は表1に示すとおりである。

断層面上端の深さは、断層による変位が地表に達していることから0kmとした。

断層面の傾斜角及び深部形状は、以下のとおりである。

金剛山地東縁の金剛断層は、反射法弾性波探査結果(図3;佐竹ほか,1999)によると、深さ約300mより浅いところでは西傾斜約15−45°と推定される。

和泉山脈南縁の根来断層と桜池断層が並走する地域で実施された反射法弾性波探査結果(図4;吉川ほか,1992)によると、この付近では深さ約1000m以浅で断層は概ね20°で北傾斜していると推定される。河村ほか(2001)はこの西側で反射法弾性波探査を実施し、この付近を並走する複数の断層のうち、北側の高角断層が地下で南側の傾斜約20°の低角断層に収斂している可能性が高いとした。また、笠原ほか(1998)は、根来断層西部で実施した反射法弾性波探査により、新期堆積層と和泉層群の境界として認められる中央構造線の傾斜を45°と報告している。和歌山北断層で行われた反射法弾性波探査結果(佃,1997)によると、深さ500m以浅では北側に傾いており、その傾斜は約15−30°と推定される。紀淡海峡で行なわれた音波探査結果(図5;横倉ほか,1998)では、深さ約1.3km付近まで断層が示されている。断層は海底付近では高角であるが、深くなるにつれ次第に北に傾く。高角をなす浅い部分を除いた地下約700m付近から約1.3km付近の傾斜は約30°と推定される。

讃岐山脈南縁の鳴門断層では、佃・佐藤(1996)により反射法弾性波探査が実施されており(図6)、その結果によると、断層面の傾斜は深さ500m以浅では北傾斜約40°と推定される。また、伊藤ほか(1996)により父尾断層で実施された反射法弾性波探査結果によると、深さ約5000m以浅では地質境界としての中央構造線が30−40°北傾斜していると推定される(図7)。

石鎚山脈北縁以西の陸域ではトレンチ壁面に現れた断層などから、地表付近に限ると高角度と推定される。 伊予灘では大野ほか(1997)により反射法弾性波探査が行われている。その結果によると、深さ約2km以浅では高角で北傾斜の可能性がある。

以上のことから、本断層帯における地下の断層面の傾斜は、東端部の金剛山地東縁では、深さ約300m以浅において西傾斜15−45°、和泉山脈南縁から紀淡海峡を経て淡路島南部に至る範囲では、深さ1kmよりも浅いところでは北傾斜15−45°、また、四国の讃岐山脈南縁では、地質境界が活断層の断層面であるとすれば深さ5km以浅では北傾斜30−40°と推定される。なお、これより西側の石鎚山脈北縁から愛媛県西部に至る区間は地表及び海底付近に限れば高角であると推定されるが、地下深部については資料が得られていない。また、伊予灘では深さ2km以浅では高角度で北傾斜の可能性がある。

地震発生層の深さを概ね15km(後述)とし、反射法弾性波探査で得られた傾斜が地下深部まで続くとすれば、断層面の幅は、和泉山脈南縁から紀淡海峡に至る付近では概ね20−60km程度、四国の讃岐山脈南縁では概ね20−30km程度となる。


(3)断層の変位の向き(ずれの向き)(注9)

本断層帯東端の金剛山地東縁部は、その地形と反射法弾性波探査結果などにより推定される断層面の傾斜から、西側が相対的に隆起する逆断層であると考えられる。横ずれ成分は認められていない。

本断層帯の主要部分である和泉山脈南縁から評価範囲西端の伊予灘に至る区間は、陸域の和泉山脈南縁や四国において、岡田(1970)や岡田・寒川(1978)などに示された河川の屈曲や段丘崖の変位などから、右横ずれが主体と考えられる。全体に上下方向の変位を伴っているが、その向きは場所により異なり、北側隆起の部分と南側隆起の部分とがある。和泉山脈南縁、紀淡海峡及び讃岐山脈南縁では北側が相対的に隆起しており、石鎚山脈北縁では南側が相対的に隆起している。愛媛県北西部では隆起の方向が一定しない。また、三浦ほか(2001)によると、伊予灘では複数の断層が並走し、これらの断層に挟まれて断層凹地が形成されている。


2.2 断層帯の過去の活動

(1) 平均変位速度(平均的なずれの速度)(注9)

本断層帯の平均変位速度に関する資料として以下のものがある。

@ 佐竹ほか(1997)は、金剛山地東縁の奈良県北葛城郡新庄町林堂の山田断層において、露頭調査とボーリング調査結果に基づき、大阪層群の海成粘土層(Ma3)と層準的にこれに対比される約87万年前の火山灰層(アズキ火山灰)が、断層を挟んで約80mの標高差をもって分布していることから、山田断層の平均上下変位速度を約0.1m/千年と推定した。ただし、山田断層の西側には金剛断層の北部が並走することから、この付近の断層帯全体としての平均上下変位速度は0.1m/千年以上と推定される。また、佐竹ほか(1998)は、御所市名柄の金剛断層において、約2−5万年と推定される段丘面が上下方向に10m程度変位していること、また、約8−13万年前の段丘面が断層により50m以下の変位を示していることから、上下変位速度を0.6m/千年以下と推定した。この付近では並走する他の断層は認められていない。佐竹ほか(1999)は、以上をまとめ、金剛断層系の平均上下変位速度を0.1−0.6m/千年としている。
A 岡田・寒川(1978)は、和歌山県那賀郡粉河(こかわ)町から和歌山市付近に分布する3つの低位段丘のうち中位の面から得た14C年代値から、この面の形成年代を約2.5−3万年前と推定し、これをもとに、他の2つの面のうち古い方の面の年代を約5−6万年前、若い方の面の年代を約1−1.5万年前と推定して、これらを刻む河谷の根来断層による右ずれ屈曲量を多くの箇所で求め、この付近の平均右横ずれ変位速度を0.9―3.1m/千年とした。また、形成年代を10±2万年前頃及び20−30万年前頃と推定した段丘面を刻む河谷の屈曲量から求めた平均右横ずれ変位速度もほぼ同じ値になるとしている。その後、斉藤ほか(1997)は、岡田・寒川(1978)が2.5−3万年前とした段丘を構成する礫層の下部に姶良−Tn火山灰が認められたことから、段丘面の離水期を約2万年前と岡田・寒川(1978)よりも若く見積もり、岡田・寒川(1978)求めた変位量のうち精度が高いと推定したもののみを用いて、根来断層の平均右横ずれ変位速度を約1.8−3.5m/千年とした。
B 七山ほか(1999)は、紀淡海峡の友ヶ島水道断層において、並走する2つの断層のうち南側の断層を挟んで、ピストンコアリングを実施し、約9千年前と推定した層の変位量から、最近9千年間の上下変位速度を0.8−1.0m/千年と求めている。北側の断層について七山ほか(1999)は最新活動時の上下変位量は小さいとしているが、具体的な平均上下変位速度は求めていない。
C 岡田・堤(1997)は、岡田(1970)が求めた徳島県阿波郡市場町の東西走向の父尾断層による段丘崖の水平変位量と段丘崖の形成年代を再検討し、、段丘崖の水平変位量を約50m、その形成年代を約8千年前とした。これらの数値から右横ずれ変位速度を求めると約6m/千年となる。また、岡田(1970)は、徳島県美馬郡美馬町の三野断層で、形成年代を約2万5千年前よりも新しいと推定した扇状地面を開析する河谷の屈曲量が200−230mであるとして、その右横ずれ変位速度は8−9m/千年のオーダーに達するとし、さらに、岡田(1968)が14C年代値をもとに推定した段丘礫層下の不整合面の形成年代(約3万年前)と、断層による横ずれ変位量(約200m)を用いて、徳島県三好郡池田町の池田断層における右横ずれ変位速度を7m/千年以上とした。
D 活断層研究会(1991)は、岡田(1973)が求めた愛媛県新居浜市における石鎚断層を横切る谷の屈曲量から、その右横ずれ変位速度を3.5−4.4m/千年としている。ただし、石鎚断層は、東側の畑野断層及び西側の岡村断層と並走する断層であり、これらをあわせて断層帯全体としてみれば、右横ずれ変位速度はさらに大きくなると考えられる。
E 岡田ほか(1998a)は、愛媛県西条市飯岡でほぼ東西方向に延びる岡村断層に沿って掘削された複数のトレンチにおいて、断層北側の壁面と南側の壁面とで地質構成が全く異なることに注目し、北壁面の角礫層は、これらのトレンチ群の西側を北流する谷によって南側の山地から北に開けた扇状地にもたらされ、その後の右横ずれ断層運動により東に移動したものと考え、その角礫層の年代値と谷からの距離とから、右横ずれ変位速度を5−6m/千年と求めている。

以上、本断層帯では、いくつかの地点で平均的な変位速度が求められているが、その数値は地域により異なり一様ではない。

本断層帯の平均右横ずれ変位速度は、和泉山脈南縁では斉藤ほか(1997)の数値を用いると約1.8−3.5m/千年程度と推定され、讃岐山脈南縁では、概ね6−9m/千年程度、また、石鎚山脈北縁の中部にあたる岡村断層では5−6m/千年程度の可能性がある。

このほか、後藤・中田(2000)は、完新世の河谷が川上断層で45m、伊予断層で20m右横ずれ変位しているとしている。これらの右横ずれ量が仮に過去1万年間の変位の累積であるとすれば、川上断層及びそれより西側では、四国東部に比べ平均右横ずれ変位速度が小さい可能性がある。

平均上下変位速度については、断層帯東端の金剛山地東縁で西側隆起0.1−0.6m/千年程度と推定され、紀淡海峡で北側隆起0.8m/千年以上、また、讃岐山脈南縁の父尾断層で北側隆起0.6m/千年の可能性がある。

(2) 活動時期

○地形・地質学的に認められた過去の活動

中央構造線断層帯においては、数多くのトレンチ調査やボーリング調査により過去の活動時期に関する資料が得られている。以下、主な調査地点について、地形・地質学的に認められた過去の活動時期についてその概略を述べる。

(a)金剛断層(名柄地点)

金剛断層では、奈良県御所市名柄の完新世の段丘面上において2つのトレンチ調査が実施された(佐竹ほか,1999)。このうち第2トレンチでは、断層がD層及びこれより下位の地層を切っており、北側壁面では断層がC2層に覆われているのが観察された(図8)。D層及びC2層より得られた14C年代値から、本地点における最新活動は約2千年前以後、4世紀以前にあったと推定される。なお、佐竹ほか(1999)は、本トレンチ近傍の断層露頭においても最新活動時期としてこれとほぼ整合する年代値を得ている。

(b)根来断層(上黒谷地点、仁王谷地点、根来寺地点)

根来断層では、和歌山市東部の上黒谷地点及びこれより約3km西方の仁王谷地点においてトレンチ調査が実施されている。

上黒谷地点では計5つのトレンチ調査が行われており、このうち東西に延びる北向き低崖基部の沖積谷底平野で掘削されたNo.3トレンチ(佃ほか,1998)では、東西両壁面において少なくともU層の下部までが断層により切られているのが認められた(図9)。この断層活動は少なくとも1回と考えるのが妥当であり、U層から得られた14C年代値から、その時期は少なくとも1世紀以後と推定され、U層から得られた他の14C年代値に基づくと7世紀以後であった可能性もある。また、東壁面において断層F2がX層の途中まで確実に切り、V層に覆われている。X層及びV層から得られた14C年代値から、この活動の時期は約1万3千年前以後、約4千年前以前であったと推定される。

上黒谷No.3トレンチから約100m西方の沖積面上で、水野ほか(2000)により掘削された上黒谷No.4トレンチでは、トレンチ内に認められた断層や地層の変形程度の違いなどから、少なくとも3回の活動が認められる。各地層から得られている14C年代値によると、最新活動の時期は1世紀以後と求められ、他の2回の活動時期は約2万8千年前以後、2世紀以前となる。ただし、反対側の壁面で得られた14C年代値を用いると、最新活動以外の2回の活動のうち、新しい方の活動は約7千3百年前以後であった可能性がある。

一方、岡田ほか(1999a)により上黒谷の約3km西方の沖積低地で掘削された仁王谷トレンチにおいても断層活動が認められた。断層により切られる地層とこれを覆う地層から得られた14C年代値から、本地点における最新活動は約3千9百年前以後、4世紀以前にあった可能性がある。ただし、断層を覆うとされる地層はいくぶん傾いているようにも見えることから、最新活動はより新しい時期に起こった可能性も否定できない。

また、上黒谷地点の東方約5kmの根来断層の近傍に位置する根来寺では、12世紀後半以降の遺構が発掘されているが、この中に地震による被害の痕跡は発見されておらず、また、地震による被害の記録も残されていない(水野ほか,2000)。したがって、少なくとも13世紀以後には本地点付近では断層活動はなかった可能性がある。

(c)和歌山北断層(河西公園・第2阪和国道予定地)

 和歌山平野下に伏在する和歌山北断層について、和歌山平野西端に位置する和歌山市の河西公園(水野ほか,1998)と和歌山市街地北方の第2阪和国道予定地(和歌山県,1999a,b)において反射法弾性波探査とボーリング調査が実施されている。河西公園からは約5200年前(暦年未補正値)以後、約3000年前(暦年未補正値)以前の活動(水野ほか,1998)が、また、第2阪和国道予定地では6500年前(暦年未補正値)以後、1500年前(暦年未補正値)以前の活動(和歌山県,1999a,b)が推定されている。しかし、これらにおいて活動の根拠とされた地層の変形はわずかであり、これらのボーリング結果のみからは断層活動が確実にあったとはいえない。

(d)友ヶ島水道断層

和歌山北断層の西方延長上に位置する友ヶ島水道断層では、紀淡海峡の東縁部で音波探査とコアリングが実施された(七山ほか,1999)。陸上のトレンチ調査から得られたデータと同等の信頼度の評価は困難であるが、その結果によると、海底堆積物の堆積速度の変化から、約5千百年前以後、約2千6百年前以前(注11)に最新活動があり、約8千6百年前以後、約7千百年前以前に1つ前の活動があった可能性がある。なお、七山ほか(1999)は、コアで認められた2層の土石流堆積物(Df1層及びDf2層)をイベント堆積物とすれば、これら2回の活動時期がさらに限定される可能性があるとしている。

(e)鳴門海峡断層

鳴門海峡においても、音波探査及び鳴門市の沖合い約1.5km付近でコアリングが実施された(水野ほか,1996)。友ヶ島水道断層における調査結果と同様、陸上のトレンチと同等の信頼度で評価することは困難であるが、反射面の変位と地層の14C年代値から、この付近における最新活動は約3千百年前以後、約2千3百年前以前(注11)にあった可能性がある。なお、水野ほか(1996)によると、変位量の差から、約3千4百年前以前ないし約5千4百年前以前に少なくとも1回、最新活動以外の活動があったことになる。

(f)鳴門南断層(段関・大代地点)

徳島県(2000b)は、鳴門市の沖積低地上をほぼ東西に延びる微高地列南縁の比高50cm程度の低崖を挟んでトレンチ調査を行った(図10)。トレンチ壁面からは、連続性のよい粘土の薄層(C層)の撓曲変形が認められた。C層から得られた14C年代値から本地点の最新活動は3世紀以後にあったと推定される。また、その下位ではF層が撓曲変形し、それを上位のD層が覆っているのが認められる。F層及びD層の上位のC層から得られた14C年代値から、1つ前の活動が約3千4百年前以後、3世紀以前にあった可能性がある。さらに、わずかではあるがG層とH層の傾斜に差がみられることから、両層の堆積の間に2つ前の活動があった可能性がある。両層から得られた14C年代値からその時期は3千3百−3千4百年前頃となる。

(g)板野断層(川端地点)

徳島県板野町の川端地点では、徳島県(2000b)により、Aトレンチ、B予察トレンチ及びBトレンチの計3つのトレンチ調査が行われている。

Aトレンチは、南に開いた小規模な谷の出口で掘削され、断層は確認されていないが、10世紀以後の液状化跡が認められ、地震活動に伴うものであることが示唆される。

B予察トレンチ及びBトレンチは、Aトレンチから数百m東方の別な小規模な谷の出口で掘削された。

予察トレンチでは耕作土よりも下位のすべての地層を切る断層が認められ、断層に切られる地層から得られた14C年代値から、7世紀以後に最新活動があったと推定される(図11)。

Bトレンチも耕作土直下の1層が液状化によると考えられる擾乱を受けており、地震活動に伴うものであることが示唆される(図12)。また、Bトレンチでは、擾乱を受ける前の活動として4a層堆積後、2層堆積前の活動が認められ、さらにもう1つ前の活動として4d層(または4c層)堆積後、4b層堆積前の活動が認められる。各層から得られている14 年代値はばらついているが、徳島県(2000b)による4a層及び4b層の花粉分析結果も考慮すると、液状化による擾乱の年代は5世紀以後と推定され、前者の活動の時期は、4b層及び1層から得られた14C年代値から1世紀以後、6世紀以前となる。また、後者の活動時期はは4d層及び4b層の14 年代値に基づけば約2千2百年前以後、2世紀以前となるが、徳島県(2000b)が行った4d層の花粉分析結果を考慮すると、この活動の時期はさらに1千年以上古くなる可能性がある。

以上のことから、川端地点では最新活動が7世紀以後にあったと推定されれ、1つ前の活動が1世紀以後、6世紀以前に、また、2つ前の活動が約2千2百年前ないしこれよりも1千年程度古い時期以後、2世紀以前にあったと推定される。

(h)神田(ずんでん)断層(熊谷寺東南地点)

徳島県板野郡土成(どなり)町の熊谷寺東南地点で行われたトレンチ調査結果(Tsutsumi and Okada;1996)によると、トレンチからは少なくとも3回の活動が認められ、さらにもう1回別な活動があった可能性もある。このうち、最新活動については、断層により切られる地層から13−16世紀の陶器片が出土することから、その時期は13世紀以後であったと推定される。最新活動より古い活動については、個々の活動時期を特定する14C年代値は得られていないが、下位に再堆積したアカホヤ火山灰(約7千3百年前)の火山ガラスを含有する地層が認められることから、本地点では、最新活動を含めて、約7千3百年前以降に少なくとも3回の活動があったと推定され、この期間にさらにもう1回の活動があった可能性もある。

(i)父尾断層(上喜来地点)

父尾断層では、徳島県阿波郡市場町上喜来の沖積低地においてトレンチ調査が行われた(図13)。その結果をまとめた岡田・堤(1997)によると、東側壁面では断層EF1に沿ってT層の一部がV字状に落ち込んでおり、その落ち込み部分から16世紀頃とされる遺物が出土している。このことから、本地点における最新活動は16世紀以後にあったと推定される。また、これより古い活動として、西側壁面で断層WF2がW層中の礫を直立させ、上位のV層が撓曲状の堆積構造を示している。さらに上位のU層がこの撓曲状の窪みを埋めるように堆積することから、この間に活動があったと推定される。一方、東壁面では断層EF2が同じようにW層の礫を直立させるが、上位のV層には変位が認められない。東西両壁面で認められたこれらの活動は別な活動ともみえるが、いずれにせよW層から得られた14C年代値によると、約2千4百年前以後に、最新活動に先行する活動が少なくとも1回あったと推定される。

(j)三野断層(池ノ浦地点、上野地点)

徳島県美馬(みま)郡美馬町池ノ浦の中位段丘面上に形成された溝状凹地で徳島県(2000b)によって行われたトレンチ調査によると、断層F1・1及びF1・2が2層及び3層を切断しているのが認められる(図14)。2層から得られた14C年代値から、最新活動は16世紀以後にあったと推定される。なお、徳島県(2000b)は、この断層を覆う水田土壌の窪みから産出した炭化物の14C年代値から、信頼度は低いとしながらもこの最新活動の時期は17世紀後半より前としている。また、4層を切り、3層に覆われる断層が東西両壁面で認められることから、先行する活動がこの間にあったと推定され、両層から得られた14C年代値から、その時期は約4千9百年前以後、約3千5百年前以前となる。

一方、徳島県三好郡三野町の上野地点では、池ノ浦地点と同様の中位段丘面上に形成された溝状凹地で、徳島県(2000b)によってトレンチ調査が行われた。トレンチ壁面では断層に切られる地層に14−15世紀の遺物が含まれることから、最新活動は14世紀以後にあったと推定され、また、これに先行する活動として、アカホヤ火山灰(約7千3百年前)層と考えられる(徳島県,2000b)地層の変形から、7千3百年前以後、最新活動より前に少なくとも1回活動があったと推定される。

(k)池田断層(平山地点、上石床地点、上石床西地点、)

愛媛県川之江市平山の沖積低地で愛媛県(2000a,b)によって行われたトレンチ調査によると、トレンチ壁面ではE層以下の地層が断層によって切られているが、それらを覆うD層には断層変位は見られない(図15)。しかし、D層及びその上位のC層には、E層を切る断層の直上及びそれよりもやや北側にのみ、堆積後に流動した構造が見られる。このことから、D層及びC層も断層活動を被っている可能性を否定できない。愛媛県(2000a,b)もこれらの流動化跡が地震動によるものである可能性を指摘している。したがって、本地点における最新活動は、E層堆積後、D層堆積前、もしくはC層堆積後、B層堆積前と推定される。E層とD層の14C年代値は逆転しているが、前者の場合はこの活動の時期は9−14世紀となり、後者の場合は、活動時期は14世紀以後となる。また、G層堆積後、E層堆積前に一つ前の活動があった可能性があり、両層から得られた14C年代値から、その時期は約3千3百年前以後、11世紀以前となる。

また、愛媛県伊予三島市中之庄町上石床の沖積面で、後藤ほか(1997,2001)により行われたジオスライサーによる調査では、中世の遺物を含むMGs−V層が断層に切られているのが確認された(図16)。遺物の年代値から、最新活動の時期は13世紀以後と推定される。

愛媛県(2000a,b)は、上記ジオスライサー調査地点のすぐ西側でトレンチ調査を実施した(上石床西地点;図17)。その結果によると、トレンチ西壁面ではB層を切りA層に覆われる断層が認められる。東側壁面のB層の下位のC層からは14世紀の14C年代値が得られているが、A層とB層との関係が不明確であるため、西側壁面のC層から得られた14C年代値を用いると、最新活動の時期は12世紀以後と推定される。また、愛媛県(2000a,b)はC層が地溝を埋めるように堆積していることから、この地溝を形成した断層活動があったとしている。D層からは年代値が得られていないが下位のF層とC層から得られた14C年代値から6世紀以後、9世紀以前にも活動があった可能性がある。

(l)畑野断層(上野田地点、市木地点、上野地点)

畑野断層では愛媛県宇摩(うま)郡土居町上野田、同町市木及び同町上野においてトレンチ調査が実施されている。

上野田トレンチは、愛媛県(2000a,b)により、沖積扇状地面上の低崖を挟んで掘削されたトレンチで、トレンチ壁面では断層が耕作土(A層)直下まで達している(図18)。断層に切られるC層から得られた14C年代値から、最新活動時期は2世紀以後と推定される。また、E層を切りD層に覆われる断層と、F層を切りE層に覆われる断層が認められることから、最新活動よりも前に2回の活動が推定される。これらの地層から得られた14C年代値から、これらの活動時期は新しい方が約2千4百年以後、約2千年前以前、古い方が約2千6百年前以前と推定される。

市木トレンチでは断層は確認されていないが、11世紀以降の液状化に伴うと推定される地層の流動化跡がみられる(愛媛県,2000a,b)。

上野地点では、長谷川ほか(1999)により複数のトレンチ調査が行われている。このうち、上野Gトレンチでは、鮮新世後期−更新世中期の岡村層相当層を変位させる断層が認められる。断層を覆う地層から得られた14 年代値によると、断層活動の時期は3世紀以前と推定される。

上野SK−2トレンチでは、3a層が断層により変形を受けているのが認められる(図19)。上位の2層は変形しているかどうか不明であるが、さらに上位の1b層には変形が見られない。3a層からは年代値が得られていないが、下位の4層から得られた14C年代値によると、断層活動の時期は9世紀末以後となる。一方、断層による変形を受けていない1b層からは14世紀−15世紀の14 年代値が得られており、その下位の2層からはこれより新しい15世紀−17世紀の14 年代値が得られている。したがって、本地点における断層活動は、9世紀末以後、15世紀以前、もしくは9世紀以後、17世紀以前にあった可能性がある。

以上、上野地点で行われた複数のトレンチ調査結果によると、SK−2トレンチでは少なくとも9世紀以後に活動が認められるのに対し、Gトレンチでは最新活動は3世紀以前であった可能性があり、最新活動時期が矛盾することになる。上野SK−2地点では、断層を覆う地層からほぼ同年代の14 年代値が得られており、他の地層から得られた年代値もこれとほぼ整合するのに対し、上野G地点で概ね2世紀の年代値が得られた地層からはさらに古い年代値(約3千7百年前)が1つ得られているのみで、これら以外には年代値が得られていない。このため、ここでは、年代値データが豊富で、その信頼度が相対的に高いと推定されるSK−2トレンチの年代値のデータを重視して、9世紀以後、15世紀以前、または9世紀以後、17世紀以前に最新活動があったと判断する。また、これよりも古い活動が3世紀以前にあったと推定される。上野地点ではこの他にもトレンチ調査が実施されているが、上記と整合する結果が得られている。

(m)石鎚断層(本郷地点)

愛媛県宇摩郡土居町本郷において、愛媛県(2000a,b)により掘削されたトレンチでは、D層を切りA層に覆われる断層が認められる(図20)。したがって、最新活動はD層堆積後、A層堆積前で、D層から得られた14C年代値からその時期は14世紀以後と推定される。また、I層をF層が傾斜不整合で覆っていることから、この間に少なくとも1回の活動があったと推定される。両層より得られた14 年代値から、この活動の時期は約6千2百年前以後、9世紀以前と推定される。さらに、愛媛県(2000a,b)はもう1つ古い活動を記載しているが、活動の根拠とされた堆積構造が明確に示されていない。このため、この活動があったかどうかは不明である。

(n)岡村断層(岸ノ下地点、飯岡地点)

新居浜市岸ノ下では、2つのトレンチ調査とジオスライサーによる調査が行われている。愛媛県(1999)が扇状地性の段丘面と沖積面を境する低断層崖の延長上にあたる沖積面上で実施した岸ノ下東トレンチでは、2世紀以後の最新活動とこれに先行する約9千7百年前以後、1世紀以前の活動が推定される。

愛媛県(1999)は、上記岸ノ下東地点の約100m西方の沖積面においてもトレンチ調査を実施した(岸ノ下西トレンチ;図21)。このトレンチの東壁面では、断層がD層及びこれ以下の地層を切り、上位のC層に覆われている。D層と、C層の上位のB層から得られた14C年代値から、最新活動は9世紀以後、14世紀以前にあったことになる。また、東壁面のF1断層の派生断層及び西壁面のF2断層が、ともにH層を切りG層に覆われている。両層から得られた14 年代値から、約5千3百年前以後、約2千2百年前以前にも活動があったと推定される。さらに、J層中の礫が直立しており(愛媛県,1999)、J層とH層は傾斜不整合の関係とみられることから、J層堆積後、H層堆積前に活動があった可能性がある。J層からは年代値は得られていないが、H層から得られた14C年代値から、この活動の時期は約5千百年前以前となる。

ジオスライサーによる調査は、上記愛媛県(1999)による岸ノ下西地点のごく近傍で実施された(図22)。この結果は後藤ほか(2001)によりまとめられている。これによると、16世紀以後の年代を示す腐植層を挟むGs−IV層が断層によって切られ、Gs−U層に覆われている。したがって、16世紀以後に最新活動があったと推定される。

以上のように、岸ノ下地点では、ジオスライサ−の結果と岸ノ下西トレンチの結果による最新活動の時期が整合しない。しかし両地点は非常に近接しており、各地層の層相も類似することから、別の活動を捉えているとは考えにくい。ここでは、両者の最新活動は同時に発生したもので、年代値の矛盾は測定された年代値の誤差等によるものと考え、両地点から得られた最新活動の年代値を総合して、岸ノ下地点における最新活動は9世紀以後に発生したものとする。また、最新活動よりも古い活動として、約5千3百年前以後、約2千2百年前以前と、約5千百年前以前の二つの活動が認められる。

岸ノ下地点の約3km西方に位置する西条市飯岡の小規模な沖積扇状地上では、T−Xの5つのトレンチが掘削されている(岡田ほか,1998;山崎ほか,1995)。

岡田ほか(1998a)による飯岡Tトレンチでは、断層に沿う細長いV字形の落ち込みが認められ、この落ち込みから土器(土師器)片が得られている。土器の年代から最新活動の時期は4世紀以後と推定される。また、トレンチからは、最新活動よりも前の活動として、約5千3百年前以後2回の活動があったことが認められる。

飯岡Uトレンチにおいても断層によるV字状の落ち込みが認められる(図23;岡田ほか,1998a)。この落ち込み部から得られた土器片の年代値から、最新活動は5世紀以後に起こったと推定される。最新活動より前の活動として、岡田ほか(1998a)は、複数の腐植層の上下変位量に差があること、また、反対壁面では腐植層が直立し、別な腐植層に覆われることを根拠として2回の活動を認めているが、これらは、同じ活動である可能性も否定できないことから、ここでは、約4千5百年前以後、最新活動よりも前の活動回数は少なくとも1回とする。

岡田ほか(1998a)による飯岡Vトレンチ調査結果からは、約3千3百年前以後の最新活動と、これに先行する約3千4百年前以後、約3千年前以前の活動が推定される。

飯岡XトレンチのB−Wセクションでは、断層に切られるVb層中に、縄文土器、弥生式土器及び古墳時代の土師器の破片が含まれる(図24;山崎ほか,1995)ことから、最新活動は4世紀以後にあったと推定される。一方、断層を覆うVc層からは7世紀以降の須恵器が出土するが、近世の陶器も含まれることから、Vc層の年代を特定することはできない。また、これより前の活動として、Vb層とこれより下位のVa層とで変形の程度に差があることから、この間に活動があったと推定され、その時期は両層に含まれる土器の年代から、縄文時代後期以後、弥生時代以前となり、他の壁面から得られた14 年代値によれば、約3千3百年前以後、約2千年前以前となる。さらにVa層よりも下位のU層がより大きな引きずり変形を受けているのが認められることから、この間にも活動があったと推定され、他の壁面から得られた14C年代値から、その活動時期は約1万3千年前以後、約2千9百年前以前となるが、この活動が1回であったかどうかは不明である。

以上、飯岡地点における各トレンチから得られた過去の活動時期をまとめると、最新活動は5世紀以後と推定され、これに先行して約3千3百年前以後、約3千年前以前の活動と、約5千3百年前以後の活動があったと推定される。トレンチの結果からはさらに古い活動も想定される。

(o)川上断層(氷見地点、土居地点)

西条市氷見で行われたトレンチ調査(図25;堤ほか,2000)によれば、本地点では断層F3がV層を切りその上位のU層に覆われていることから、V層堆積後、U層堆積以前に最新活動があったと推定され、V層から得られた14 年代値からその時期は9世紀以後と推定される。また、断層F1がW層の下面を変位させているが、上面には変位が見られない。したがって、W層堆積中にも活動があったと推定される。W層の上下のX層及びV層から得られた14 年代値により、その活動時期は1世紀以後、8世紀以前と推定される。さらに、F1断層によるW層基底の上下変位量が約40cmであるのに対し、下位のZ層の上下変位量は約75cmに達している(堤ほか,2000)ことからZ層堆積後、X層堆積以前に別の活動が少なくとも1回あったと推定され、両層から得られた14 年代値から、その活動時期は約4千9百年前以後、3世紀以前と推定される。

愛媛県(1999)は、堤ほか(2000)が掘削した氷見トレンチの西隣の土居地点でトレンチ調査を行った(図26)。この結果によると、西側壁面において断層がB層以下の地層を切り、上位のA層に覆われることから、B層堆積後、A層堆積前に最新活動があったと推定される。また、西側壁面では、上記の断層から枝分かれする断層がE層を切りC層に覆われることから、E層堆積後、C層堆積前に1つ前の活動があったと推定される。愛媛県(1999)は、堆積物の傾斜が急変することから、G層堆積後、F層堆積前にさらに古い活動を推定し、また、確実度は低いが、H層とI層の間にも活動があったとしている。以上のように、本トレンチからは4回の活動が認められる可能性があるが、それぞれの地層から得られた14 年代値は年代の逆転などが多く、再堆積によるものも数多く含まれている可能性がある。このため、それぞれの活動時期の特定は困難である。I層からは約4千5百年前の年代値が得られていることから、約4千5百年前以後、4回の活動があったと可能性がある。

(p)重信断層(高井東地点、高井地点、高井西地点)

松山市高井では、愛媛県(1999)により2箇所(高井東、高井西トレンチ)、また、後藤ほか(1999b)により1箇所(高井トレンチ)、計3つのトレンチ調査が実施されている。

この3つのトレンチ調査結果から、重信断層では、最新活動が 11世紀以後にあったと推定され、約6千2百年前以後、最新活動よりも前に少なくとも1回の活動があった可能性がある。

(q)伊予断層(市場地点、高野川地点)

後藤ほか(1999c,2001)は愛媛県伊予市市場でA、B2つのトレンチを掘削した。断層は両トレンチに現れており、断層により切られている地層から得られた14C年代値から、この活動は13世紀以後にあったと推定される。なお、断層を覆う地層からも14C年代値が得られているが、暦年補正すると16世紀−現世となり、活動時期の絞込みには使用できない。

また、愛媛県(1998)が双海町高野川で実施したトレンチ調査結果によると、断層により切られる地層とその上位の地層の液状化の痕跡が認められた。液状化の痕跡が認められた地層から約1万3千年前を示す年代値が得られており、これ以後に液状化を生じさせるような地震動があった可能性がある。

(r)本郡断層(本郡地点)

伊予市本郡において、池田ほか(2000)は、米湊断層とほぼ並行してその南東側に約1kmの長さに渡って追跡される南側低下の逆向き低崖をなす本郡断層でトレンチ調査を行い、最新活動が13世紀以後にあったとし、また、これに先行する2つの活動とその時期を報告している。しかし、これらについては、トレンチの図等が示されていないので、ここでは参考扱いとする。

(s)伊予灘東部断層(上灘沖地点)

愛媛県伊予郡双海(ふたみ)町沖の伊予灘で、小川ほか(1992)は、ソノローブによる音波探査及びピストンコアリングを行い(図27)、南北2つの断層により形成された断層凹地において短期間に厚い堆積物が形成されている層準が存在することから、2回の活動を推定した。その時期は、約4千6百−3千8百年前頃と、約6千9百−6千2百年前頃となる。ただし、新しい方の活動を示す堆積物の上位にはほとんど堆積物がなく、この活動の後にさらに別な活動があったかどうかは明らかではない。

また、三浦ほか(2001)は、伊予灘東部海域で音波探査を実施し(図28)、断層を挟んで同一面と推定した地層の標高差が急変すること、また、大塚ほか(2001)による本地域の地層の堆積速度に基づいて推定した年代値から、約1万年前以後(注12)4回の断層活動があったとしている。また、大塚ほか(2001)は断層を挟んで海上ボーリングを実施し、対比基準面の標高差の急変から、三浦ほか(2001)と同様に約1万年前以後(注12)4回の活動があったとしている。三浦ほか(2001)に基づくと、その活動の時期は、約2千5百年前以後、1つ前が約4千7百年前以後、約2千9百年前以前、2つ前が約6千7百年前以後、約6千2百年前以前、3つ前が約9千6百年前頃(注12)となる。しかしながらこれらの活動はすべて1回とは限らず、複数回の可能性もある。

以上のように、本断層帯では数多くの調査が行われており、各調査地点で認められた活動とその時期は図29のようにまとめられる。図29に示すように、本断層帯は最新活動では少なくとも3つの区間に分かれて活動したとみることができる。このうち最も西側の四国全域と伊予灘を含む区間は、最新活動よりも前の活動の際にはさらに3つの区間に分かれて活動したと推定される。また、後述のように1596年9月には数日間のうちに近畿地方の有馬−高槻断層帯、伊予地方、別府湾で地震が起こったとされている。この時に中央構造線断層帯が活動したかどうかは不明であるが、四国全域と伊予灘からなる区間は、最新活動時に比較的短い時間間隔で複数の区間に分かれて活動した可能性も否定できない。各区間の活動時期は以下のように整理される。

本断層帯東端の金剛山地東縁の当麻断層から和泉山脈南縁の根来断層、もしくは和歌山北断層及び磯ノ浦断層より東の区間(以下、「金剛山地東縁−和泉山脈南縁」とする)は一つの活動区間として活動し、その最新活動(活動1)は、1世紀以後、4世紀以前であったと推定される。本区間では、上黒谷地点の資料からさらに古い時期に2回の活動が認められるが、その時期を絞り込むことはできない。

友ヶ島水道断層と鳴門海峡断層(以下、「紀淡海峡−鳴門海峡」とする)も一つの活動区間として活動し、その最新活動(活動1)の時期は、約3千百年前以後、約2千6百年前以前で、一つ前の活動(活動2)が約8千6百年前以後、約7千百年前以前であった可能性がある。なお、和歌山平野下に伏在する和歌山北断層及びその北側の磯ノ浦断層は、この区間に含まれる可能性もある。

鳴門断層及び鳴門南断層から評価範囲西端の伊予灘西部断層までの区間(四国全域と伊予灘)では、ほとんどの調査地点において16世紀以後の活動が推定されるが、上述のように、池田断層の平山地点では、最新活動時期として9−14世紀と14世紀以後の2つの可能性が考えられ、また、畑野断層の上野地点では、最新活動時期として9−15世紀と9−17世紀の2つの可能性が考えられる。これらの地点の活動時期については、周辺の地点の調査結果から得られた活動時期を考慮して、平山地点では14世紀以後、上野地点では9−17世紀とするのが妥当と判断した。

したがって、この区間の最新活動(活動1)は、トレンチ調査結果からは16世紀以後であったと推定される。この区間は1つ前の活動(活動2)の時期の違いから、さらに3つの区間に分けられる。

鳴門南断層から石鎚断層に至る区間(以下、「讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部」とする)の活動2は概ね2千年前頃であったと推定される。さらに、最新活動よりも2つ前の活動(活動3)が少なくとも板野断層の川端地点などで認められるが、この時の活動がどの範囲に及んでいたかの特定は困難である。

一方、東半部が石鎚断層と並走する石鎚山脈北縁の岡村断層(以下「石鎚山脈北縁(岡村断層)」とする)では、讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部の活動2と同時期の活動は認められない。本区間の一つ前の活動(活動2)は約3千3百年前以後、約3千年前以前にあったと推定される。この区間ではさらに、約5千3百年前以後、約5千百年前以前に活動3があったと推定される。

岡村断層の西半部と並走し、さらに西へと延びる川上断層では、氷見地点で得られた資料から、一つ前の活動(活動2)が1世紀以後、8世紀以前にあったと推定される。一方、伊予灘の上灘沖では約2千5百年前以後に最新活動があったと推定されるが、この時期の活動は1回だけであったとは限らない。したがって、伊予灘まで川上断層の一つ前の活動(活動2)の時期と同時に活動したとみることが可能である。断層トレースからも川上断層よりも西側では明確な区分はできないことから、ここでは川上断層から評価範囲の西端である伊予灘西部断層まで(以下、「石鎚山脈北縁西部−伊予灘」とする)が同時に活動したとみなすこととする。なお、川上断層の土居地点では、活動1、2を含め約4千5百年前以後に活動が4回あったと推定されるが、一方、上灘沖では、約9千6百年前以後少なくとも4回(氷見地点の資料を考慮すると少なくとも5回)の活動があったことが認められている。このように本区間の活動2よりも古い活動については、川上断層と上灘沖とで時期が異なるようにもみえるが詳細は不明である。

○先史時代・歴史時代の活動

本断層帯付近における歴史時代の活動として、1596年9月1日に伊予地方で地震があったとの記録がある。また、その4日後の9月5日には、慶長伏見地震が発生した。この地震については、京都及び畿内において被害の記録が多く残されているが、鳴門地方や伊予地方にも被害の記録があり、さらに、現在の徳島県北東部の撫養(むや)の海岸が隆起したとの記録もある(石橋,1989)。さらに同年9月4日(または9月1日)には別府湾を中心とする地域で、慶長豊後(瓜生島)地震が発生している。また、伊予・安芸国では1649年及び1686年に大きな被害を伴う地震があったとされており(宇佐美,1996)、さらに1854年にも伊予西部で被害地震が発生している(宇佐美,1996)。

1596年9月5日の慶長伏見地震では、有馬−高槻断層帯が活動したと推定されている(地震調査委員会,2001など)が、上述のようにその被害は現在の四国地方の一部にも及んでいる可能性がある。地形・地質的な調査結果からは、中央構造線断層帯は、四国地方全域が16世紀以後に活動したと推定されるが、四国地方の中央構造線断層帯沿いの慶長・伏見地震時の被害の記録はごく一部に限られており、慶長伏見地震の際に中央構造線断層帯も活動したと特定することはできない。1596年9月1日の伊予地方の地震及び9月4日(または9月1日)の豊後の地震も同様である。また、宇佐美(1996)によれば、1649年の地震では津波の記録がなく、断層帯からやや離れた広島や宇和島などでも松山と同程度の揺れが生じたとされている。1686年の地震も同様である。したがって、これらは深いところで発生した地震である可能性があり、中央構造線断層帯に沿って大きな被害の記録もみられないことから、これらの地震は中央構造線断層帯の活動によるものではないと推定される。1854年の地震も津波の記録はなく、中央構造線断層帯沿いに被害が集中している等の記録もない。したがって、この地震も中央構造線断層帯の活動に伴う地震ではないと推定される。

以上のことから、四国地方では少なくとも17世紀以後すなわち最近400年間は中央構造線断層帯は活動していないと推定され、トレンチ調査の結果を踏まえると四国地方における最新活動時期は16世紀に限定される。

また、畿内・七道諸国の広い範囲に被害を及ぼしたとされる西暦734年の地震について、寒川(1997)はこれが中央構造線〜金剛断層で発生した可能性を指摘している。また、今尾(1995)は,山田断層北端近傍の太田遺跡において3−4世紀から近世の間に発生した噴砂跡を発見している。しかし、これらについても本断層との関係は明らかではない。

(3) 1回の変位量(ずれの量)(注9)

本断層帯東端の金剛断層名柄地点のトレンチで、佐竹ほか(1999)は、断層活動により1回の変位を受けていると推定したD層の基底が1.2m変位しており、上盤側ではD層の基底そのものが削られている可能性があるとして、金剛断層の1回の活動に伴う上下変位量を1.2m以上とした。

岡田・堤(1997)は徳島県阿波郡市場町上喜来の父尾断層付近で遺跡調査の際に撮影された表土を剥いだ自然堆積層のほぼ上面を写した写真を分析し、断層を挟んで砂層が約6m弱右横ずれ変位しているとし、これを最新活動時の横ずれ変位量とした。また、Tsutsumi and Okada(1996)は、同地点における水田の畦の屈曲を断層活動によるものとして、その屈曲量から最新活動に伴う父尾断層の右横ずれ変位量を6.9±0.7mとし、また、同地域で別の畦で12.9mの横ずれが認められることについて、これが最新活動及び一つ前の活動の2回分の変位の累積であると解釈した。

また、岡田ほか(1998a)は、愛媛県西条市飯岡の岡村断層において、それまでに行われたトレンチ調査を総括し、その中でトレンチ群で認められる断層によるシルト層の変位から横ずれ変位量5.7mと北落ちの上下変位を認め、これを最新活動時の横ずれ変位量とした。

後藤ほか(2001)は、伊予断層の市場トレンチ地点付近において、水田の畦の系統的な右ずれを認め、これらの水田が室町期あるいはそれ以前に開墾されていた可能性が高いとして、畦の屈曲量から伊予断層の最新活動に伴う右横ずれ変位量を2.1−2.3m程度とした。また、堤・後藤(2002)は、四国の中央構造線における最新イベントに伴う変位量を求め、四国では、東部の父尾断層で求められた約7mが最大で、西部の重信断層や伊予断層における2−3mが最小であるとしている。

以上のことから、1回の活動に伴う右横ずれ変位量は、四国地方の讃岐山脈南縁から石鎚山脈北縁東部に至る区間では約6−7m、石鎚山脈北縁の岡村断層では約6m、また、これより西側の四国西部では約2−3mの可能性がある。

また、本断層帯東端の金剛断層付近では1回の活動に伴う上下変位量は1.2m以上と推定される。

(4) 活動間隔

金剛山地東縁部の金剛断層では、平均上下変位速度が0.1−0.6m/千年、1回の活動に伴う上下変位量が約1.2m以上と求められている。上下変位量を1.2mとすれば、その平均活動間隔は、2000年−12000年となる。したがって、金剛山地東縁から和泉山脈南縁に至る区間では、平均活動間隔が約2千−1万2千年であった可能性がある。

紀淡海峡から鳴門海峡に至る区間では、最新活動が約3千百年前以後、約2千6百年前以前で、1つ前の活動が約8千6百年前以後、約7千百年前以前である可能性があることから、その活動間隔を求めると4000−6000年となる。したがって、この区間の平均活動間隔は4千−6千年程度であった可能性があるが、この数値は2回の活動時期から求められたものであり、平均的な活動間隔としての信頼度はやや低い。なお、この区間では平均変位速度や1回の活動に伴うずれの量は得られていない。

四国東−中部の讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部(鳴門南断層−石鎚断層)では、父尾断層で平均右横ずれ変位速度が6m/千年、1回の活動に伴う右横ずれ変位量が6−7mと求められていることから、その平均活動間隔は約1000−1200年となる。一方、本区間の最新活動は16世紀頃で、1つ前の活動が約2千年前頃であることから、この間の活動間隔は1500−1600年となる。このように2つの方法により求められた数値は整合しないが、前者は用いた平均変位速度及び1回の活動に伴う変位量の数値の信頼度が高いとはいえず、一方、後者も過去2回の活動時期から得られた活動間隔であり、平均的な活動間隔としては信頼度が高いとはいえない。したがって、ここでは両者の数値から、本区間の平均活動間隔を、約1千−1千6百年とする。

四国中部の岡村断層では、平均右横ずれ変位速度が5−6m/千年、1回の活動に伴う右横ずれ変位量が6mと求められていることから、その平均活動間隔は1000−1200年と求められる。また、岡村断層の過去3回の活動時期から、その間の活動間隔は2300−2500年と求められる。ここでも2つの独立な方法により求められた数値は整合しないが、本区間の平均活動間隔は、これら2つの数値から約1千−2千5百年とする。

四国中−西部の石鎚山脈北縁西部−伊予灘(川上断層−伊予灘西部断層)では、川上断層の土居地点において約4千5百年前以後、16世紀以前に4回の活動があったことから、その平均活動間隔は約1000−1400年と求められる。一方、伊予灘東部断層の上灘沖では、過去約1万年間に少なくとも4回の活動が認められているが、このうち最も新しい活動の期間には2回の活動があった可能性がある。このため、上灘沖地点の活動2−4においてそれぞれ活動が1回ずつであったとしてこの間の平均活動間隔を求めると、活動2の時期が約4千6百年前以後、約3千8百年前以前で、活動4の時期が約9千6百年前であることから2500−2900年となる。川上断層と伊予灘の断層は常に1つの活動区間を形成していたかどうか不明であるが、これらの2つの数値より、本区間の平均活動間隔を約1千−2千9百年とする。

(5)活動区間

上述のように過去の活動時期の違いに基づけば、本断層帯は、@金剛山地東縁から和泉山脈南縁に至る区間(当麻断層−根来断層、もしくは当麻断層−磯ノ浦断層及び和歌山北断層)、A紀淡海峡から鳴門海峡に至る区間(友ヶ島水道断層−鳴門海峡断層、もしくは和歌山北断層及び磯ノ浦断層−鳴門海峡断層)、B讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部(鳴門断層及び鳴門南断層−石鎚断層)、C石鎚山脈北縁(岡村断層)、及びD石鎚山脈北縁西部−伊予灘(川上断層−伊予灘西部断層)の5つの区間に分けられる。このうち、B、C、Dの3つの区間は最新活動時には同時に活動したと推定されるが、比較的短期間のうちに次々と活動した可能性もある。なお、これらが複数の区間に分けられることは、1回の活動に伴う右横ずれ変位量が四国東部と四国西部で異なることと調和的である。

最も西側の石鎚山脈北縁西部から伊予灘に至る区間はさらに西へ延びている可能性もある。また、これら5つの区間はさらに古い活動時においては、複数の区間が同時に活動した可能性もある。

(6)測地観測結果

 本断層帯周辺における過去約100年間、約40年間、約20年間及び約10年間の測地観測結果によると、本断層帯周辺では北西−南東方向の縮みがみられる。最近5年間のGPS観測結果でも北西−南東方向の縮みがみられる。

(7)地震観測結果

 本断層帯付近の地震発生層の下限の深さは、断層帯全域にわたって概ね15km程度である。


2.3 断層帯の将来の活動

(1)活動区間と地震の規模

上述のように、本断層帯は、最新活動時においては少なくとも3つの区間に分かれて活動し、さらに古い時期の活動を考慮すると、全体として5つの区間に分かれて活動したと推定される。したがって、将来も同じように3つないし5つの区間に分かれて活動する可能性があるが、松田( 1990)の定義に基づけば、少なくともここで評価した断層帯全体が1つの起震断層とみなされることから、全体が同時に破壊する可能性も否定できず、最新活動時とは異なる範囲が同時に活動する可能性もある。

このように本断層帯の将来の活動区間として複数の可能性が考えられるが、四国全域や断層帯全域が同時に活動する可能性も考慮すると、その長さは200km、300km以上となり、松田(1975)による経験式の適用範囲外となる。この経験式によると、長さ80kmの断層でマグニチュード8.0となる。このため、このように断層長が非常に長い区間について、ここではマグニチュード8.0もしくはそれ以上と評価することとした。また、参考として、ここでは長さが数十km程度の比較的短い区間も含め、モーメントマグニチュード(Mw)も求めた。以上、2つの手法によって求められたそれぞれの区間の地震規模は表3のように整理される。Mwの算出にあたっては、各区間が単独で活動する場合も他の区間と連動する場合も、変位量はそれぞれの区間で常に一定と仮定した。なお、ここで用いた変位量は地表変位量として得られたものであり、地下の断層面における変位量と同じではない可能性があることに留意する必要がある。

(2)地震発生の可能性

以上のように、本断層帯で得られた資料によると、金剛山地東縁から和泉山脈南縁に至る区間においては、平均活動間隔が約2千−1万2千年、最新の活動以後の経過時間は約1千6百−2千年である。したがって、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は 0.1−1.0となる。地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(BPT分布モデル、α=0.24)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、ほぼ0%−5%、ほぼ0%−9%、ほぼ0%−20%、ほぼ0%−50%となる。また、現在までの集積確率は、ほぼ0%−50%となる(表4)。

また、紀淡海峡から鳴門海峡までの区間(和歌山北断層及び磯ノ浦断層も含まれる可能性がある)を含む区間の平均活動間隔は約4千−6千年、最新の活動以後の経過時間は約2千6百−3千百年である。したがって、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は0.4−0.8となり、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(同上)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、0.005%−1%、0.009%−2%、0.02%−4%、0.1%−10%となる。また、現在までの集積確率は、0.02%−20%となる(表4)。

讃岐山脈南縁から石鎚山脈北縁東部の石鎚断層までの区間の平均活動間隔は約1千−1千6百年、最新の活動以後の経過時間は約4百−5百年である。したがって、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は 0.3−0.5となり、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(同上)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、ほぼ0%−0.3%、ほぼ0%−0.5%、ほぼ0%−2%、0.03%−20%となる。また、現在までの集積確率は、ほぼ0%−0.2%となる(表4)。

石鎚山脈北縁(岡村断層)の平均活動間隔は約1千−2千5百年、最新の活動以後の経過時間は約4百−5百年である。したがって、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は 0.2−0.5となり、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(同上)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、ほぼ0%−0.3%、ほぼ0%−0.5%、ほぼ0%−2%、ほぼ0%−20%となる。また、現在までの集積確率は、ほぼ0%−0.2%となる(表4)。

石鎚山脈北縁西部の川上断層から伊予灘までの区間の平均活動間隔は約1千−2千9百年、最新の活動以後の経過時間は約4百−5百年である。したがって、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は 0.1−0.5となり、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(同上)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、ほぼ0%−0.3%、ほぼ0%−0.5%、ほぼ0%−2%、ほぼ0%−20%となる。また、現在までの集積確率は、ほぼ0%−0.2%となる(表4)。

以上、本評価で得られた各区間の将来の地震発生確率にはそれぞれ幅があるが、各区間それぞれ最大値をとると、金剛山地東縁から和泉山脈南縁に至る区間は、今後 30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる。また、他の4つの区間はすべてやや高いグループに属することになる。

また、これらの区間の複数が同時に活動したり、全体が同時に活動するケースも否定できないが、その場合の地震発生確率は、複数の区間をなす各区間の発生確率を超えないものと思われる。表4にこれらの確率値の参考指標(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会, 1999)を示す。



3 今後に向けて

中央構造線断層帯では、これまで数多くの調査研究が行われている。しかし、本断層帯は非常に規模が大きく、その活動様式も複雑であると考えられる。本断層帯は活動度の高い断層帯であり、その過去の活動履歴や断層の地下深部の形状等について、さらに調査を行って本断層帯の特性を明らかにし、活動区間や各区間ごとの活動度など、本断層帯で発生する地震の姿を明らかにする必要がある。また、本断層帯の西端はさらに西に延び、別府湾から大分市内に分布する別府−万年山断層帯に連続している可能性がある。このため、別府−万年山断層帯の評価の際に本断層帯との関連を検討することとする。

注9: 「変位」を、1頁の本文及び4−5頁の表1では、一般的にわかりやすいように「ずれ」という言葉で表現している。ここでは、専門用語である「変位」が表1の「ずれ」に対応するものであることを示すため、両者を併記した。以下、文章の中では「変位」を用いる。なお、活断層の専門用語では、「変位」は切断を伴う「ずれの成分」と、切断を伴わない「撓みの成分」よりなる。
注10: 10,000年BPよりも新しい炭素同位体年代については、Niklaus(1991)に基づいて暦年補正し、原則として補正年代幅1σの範囲の数値で示した。このうち2,000年前よりも新しい年代値は世紀単位で示し、2,000年前よりも古い年代値については、百年単位で四捨五入して示した。また、10,000年BP−45,000年BPの炭素同位体年代については、Kitagawa and van der Plicht(1998)のデータに基づいて暦年補正し、四捨五入して1千年単位で示した。
注11: 一般的に海底堆積物の有機物から得られた14C年代値にはリザーバー効果(年代値が古く求められる効果)があるとされているが、別府湾では4百年程度である(Ohno,1991)。リザーバー効果が瀬戸内海全域にわたって同量と確認されているわけではないが、隣接する地域の資料が得られたため本地点でも同程度とみなし、得られた14C年代暦年補正値から4百年若い年代値とした。以下同じ。
注12: 大塚ほか(2001)は約1万年前としているが、注11に示すようにリザーバー効果を約4百年と考慮すると、約9千6百年となる。



文 献

千田 昇・池田安隆・中田 高・岡田篤正・宇根 寛(2001):1:25,000都市圏活断層図「大分」.国土地理院技術資料D・1−No.375.

地質調査所(1992):中央構造線活断層系(四国地域)ストリップマップ.地質学論集,40,129−142.

地質調査所(1995):和歌山市西部地域における中央構造線の調査結果.地震予知連絡会会報,53,663−668.

地質調査所(1997):鳴門海峡海域における中央構造線活断層系の活動履歴調査. 地震予知連絡会会報, 57, 570−573.

地質調査所活断層研究グループ(2000):近畿三角帯における活断層調査−主要活断層の活動履歴と地震危険度−.第四紀研究,39,289−301.

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表3 想定される将来の地震規模

注13: ここに示した各範囲(区間)は、過去の活動に基づき想定したもので、将来の活動においては、これらと異なる範囲が活動する可能性もある。
注14: 松田(1975)に基づく以下の経験式から求めたマグニチュード。@、Aはずれの量が求められていないので、(1)のみを用いて算出した。Cはずれの量も求められているので、(1)、(2)両式を用いて算出した。また、B、D、E、Fについては、下記経験式(1)の適用範囲外と考え、松田(1975)がこれらの経験式を求める際に用いた最大長さ(80km)とその時のマグニチュード(8.0)をもとに、「マグニチュード8.0程度もしくはそれ以上」とした。ここで、Lは1回の地震で活動する断層区間の長さ(km)、Dは断層のずれの量(m)、Mは地震のマグニチュードである。
  M=(logL+2.9)/0.6  (1)
  M=(logD+4.0)/0.6  (2)
注15: モーメントマグニチュードの算出には、以下の式(3)、(4)(Kanamori,1977)を用いた。ここで、Moは地震モーメント、Mwはモーメントマグニチュード、Lは断層面の長さ(km)、Wは断層面の幅(km)である。Dは断層面上の平均的なずれの量(m)であるが、ここでは地表における横ずれ量を用いた。また、μは剛性率で地殻についての値(μ=3−4×1010N/m)を用いた。断層面の幅は、地震発生層の下限の地表からの深さと断層面の傾斜から求めた値(表1に記載した値)とした。
    Mo= μDLW            (3)
    Mw=(logMo―9.1)/1.5  (4)
なお、上述のように、ここではモーメント(Mo)を求める際のずれの量(D)として、地表の横ずれ量を使用したが、地表のずれの量は、地下の断層面におけるずれの量と同量ではない可能性があり、また、仮に同量であったとしても強震動を起こす実効的なずれの量とは異なる可能性もある。このため、本断層帯の活動に伴う強震動の計算を行う場合等には、この点に十分留意する必要がある。
注16: 各区間の長さ、幅は表1に示した数値を用いた。@のうち、金剛山地東縁のずれの量は上下変位量(1.2m)と断層面の傾斜(15−45°)から求めた。また、@のうちの和泉山脈南縁とA紀淡海峡−鳴門海峡は上記経験式(1)及び(2)から地表変位量を推定し、これをずれの量とした。B、Cのずれの量は表1に示した地表におけるずれの量を用いた。Dのずれの量の最小値は表1に示した地表のずれの量の最小値(2m)を用いたが、最大値については、区間の長さがBと同程度であることから、これと同じ値(7m)を仮定した。
C及びDの両区間の断層面の幅は不明であるが、讃岐山脈南縁−石鎚山脈北縁東部の幅と同じと仮定した。
注17: マグニチュード(M)の値には大きな幅があるが、M7.3は断層の長さ(30km)を用いて経験式(1)により求めた値で、M8.0は地表で認められた1回の活動に伴うずれの量(6m)を用いて経験式(2)から得た値。
注18: 断層帯全体が活動する場合のMwは、@〜DのMwを求めるにあたり各区間それぞれにおいて推定したずれの量をもとに算出したモーメントの総和から求めたケース(マグニチュード7.9−8.3)と、最大の想定として、ずれの量をすべての区間で7m(区間Bの最大値)と仮定して各区間においてモーメントを算出し、その総和から求めたケース(マグニチュード8.1−8.3)の、2つのケースから推定した。

   

表4 地震発生確率及び参考指標

注19: 評価時点はすべて2003年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を、「ほぼ0」は10−5未満の数値を示す。 なお、計算に用いた平均活動間隔の信頼度は低い(△)ことに留意されたい。
指標(1) 経過年数

:当該活断層があることによって大地震発生の危険率(1年間当たりに発生する回数)は最新活動(地震発生)時期からの時間の経過とともに大きくなる(ここではBPT分布モデルを適用した場合を考える。)。一方、最新活動の時期が把握されていない場合には、大地震発生の危険率は、時間によらず一定と考えざるを得ない(ポアソン過程を適用した場合にあたる。)。この指標は、BPT分布モデルによる危険率が、ポアソン過程を適用した場合の危険率の値を超えた後の経過年数である。マイナスの値は、前者が後者に達していないことを示す。紀淡海峡−鳴門海峡の場合、後者の危険率は4000分の1(0.0003)回−6000分の1(0.0002)回であり、時間によらず一定である。前者は評価時点で20000分の1(0.000005回)−2500分の1(0.0004回)であり、時間とともに増加する。20000分の1であれば前者が後者の回数に達するには今後1千6百年を要するが、2500分の1であれば、前者が後者の回数に達してから3百年が経過していることになる

指標(1) :最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間をAとし、BPT分布モデルによる危険率がポアソン過程とした場合のそれを超えるまでの時間をBとする。前者を後者で割った値(A/B)。
指標(2) :BPT分布モデルによる場合と、ポアソン過程とした場合の評価時点での危険率の比。
指標(3) :評価時点での集積確率(前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率)。
指標(4) :評価時点以後30年以内の地震発生確率をBPT分布モデルでとりうる最大の確率の値で割った値。
指標(5) :ポアソン過程を適用した場合の危険率(1年間あたりの地震発生回数)。