平成13年6月13日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会

有馬−高槻断層帯の評価


  有馬−高槻断層帯は、北摂(ほくせつ)山地と大阪平野・六甲山地の境界部にほぼ東北東−西南西に延びる断層帯である。ここでは、平成7年度に地質調査所によって行われた調査研究の成果などに基づいて、この断層帯の諸特性を次のように評価した。

1 断層帯の位置及び形態

 有馬−高槻断層帯は、神戸市北区の有馬温泉西方から高槻市街地北部に至る長さ約55kmの断層帯である。並走、あるいは分岐する多くの断層線からなる。断層帯の東部(宝塚−高槻)では2つの断層が並走して地溝帯を形成していることが多い。有馬温泉付近以西(約12km)ではいくつかのやや不明確な活断層に分岐する(図1、2及び表1)。

2 断層帯の過去の活動  

 有馬−高槻断層帯は活動度の高い(A級−B級)右ずれ北側隆起の断層帯であり、少なくとも東部(宝塚−高槻)は過去約3千年間に3回活動している。それらの活動の間隔は1千−2千年程度であった。最新の活動は西暦1596年の慶長伏見地震であったと推定される。その時のずれの量は3m程度であったと推定される(表1)。

3 断層帯の将来の活動

 有馬−高槻断層帯のうち、少なくとも東部では、ずれの量が右ずれ最大3m程度、マグニチュードが7.5程度(±0.5)の地震が発生すると推定される(表1)。本断層帯の最新活動後の経過率及びこのような地震が発生する長期確率は表2に示すとおりである(注1)。断層帯の西部については資料が少なく判断できない。

4 今後に向けて

 有馬−高槻断層帯についてより詳しく評価するためには、過去の活動履歴と、地下深部における断層構造をさらに明らかにすることが重要である。また、隣接する六甲・淡路島断層帯の活動との関連の可能性を検討する必要がある。


表1 有馬−高槻断層帯の特性

   注:7月11日に以下の部分を訂正。
     「北緯34°57’」を「北緯34°54」(赤字)に訂正。

表2 将来の地震発生確率等

注1: 「長期的な地震発生確率の評価手法について」(地震調査研究推進本部地震調査委員会、2001)によれば、1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震及び1847年善光寺地震の地震発生直前における30年確率(暫定値)と集積確率(暫定値)は以下のとおりである。

    「長期的な地震発生確率の評価手法について」に示されているように、地震発生確率は前回の地震後、十分長い時間が経過しても100%とはならない。その最大値は平均活動間隔に依存し、平均活動間隔が長いほど最大値は小さくなる。平均活動間隔が2千年の場合は30年確率の最大値は10%程度、5千年の場合は5%程度である。
 
注2: 信頼度は、特性欄に記載されたデータの相対的な信頼性を表すもので、記号の意味は次のとおり。
◎:高い、○:中程度、△:低い
注3: 文献については、本文末尾に示す以下の文献。
文献1:藤田・笠間(1971)
文献2:地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)
文献3:活断層研究会(1991)文献4:松浦ほか(1995)
文献5:中田ほか(1996)
文献6:岡田・東郷編(2000)
文献7:岡田ほか(1996)
文献8:寒川(1978)
文献9:寒川・杉山(1996a)
文献10:寒川・杉山(1996b)
文献11:寒川・杉山・宮地(1996a)
文献12:寒川・杉山・宮地(1996b)
文献13:寒川・杉山・宮地(1996c)
文献14:杉山ほか(1996)
文献15:戸田ほか(1995)
文献16:渡辺ほか(1996)
注4: 評価時点はすべて2001年1月1日現在。「ほぼ0%」は10-3%未満の確率値を示す。
注5: 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間を、平均活動間隔で割った値。最新の地震発生時期から評価時点までの経過時間が、平均活動間隔に達すると1.0となる。今回の評価の数字のうち、0.2は4百年(西暦2000年−西暦1596年)を2千年で割った値であり、0.4は4百年(西暦2000年−西暦1596年)を1千年で割った値。
注6: 前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率。

(説明)

1.有馬−高槻断層帯に関するこれまでの主な調査研究

 有馬−高槻断層帯は、北摂(ほくせつ)山地と大阪平野・六甲山地の境界部にほぼ東北東−西南西に延びる長さ約55kmの断層帯であり、中・古生代の地層(丹波層群、有馬層群)と白亜紀の花崗岩との境界となっている。この断層帯が第四紀後期に活発に活動していることは、藤田・奥田(1973)によって指摘され、有馬−高槻構造線と命名された。

 その後、寒川(1978)はこの断層帯が第四紀後期に右ずれの変位を累積していること、その平均変位速度が0.5−1.5m/千年となることを示した。1995年兵庫県南部地震以後、地質調査所は川西市、箕面市、茨木市で計9箇所のトレンチ調査や反射法弾性波探査などを行い、活動歴や地下構造について多くのことを示した(寒川・杉山・宮地、1996cなど)。また、国土地理院は断層の詳細位置を1:25,000都市圏活断層図(岡田ほか、1996;中田ほか、1996;渡辺ほか、1996)に示した。岡田・東郷編(2000)は、1:50,000地形図に本断層帯の位置を示した。

 有馬−高槻断層帯は、神戸市北区の有馬温泉西方から高槻市街地北部に至る東北東−西南西方向の断層帯である。この断層帯は部分的に並走、分岐しながら断続する大小多数の断層からなるが、断層帯の東部では2つの断層が並走して地溝帯を形成していることが多い。

 この断層帯を構成する主な断層としては、有馬温泉付近より東側では、西から寒川(1978)の六甲断層、清荒神(きよしこうじん)断層、花屋敷低地帯北縁・南縁の断層、五月丘断層、坊島断層、真上(まかみ)断層、安威(あい)断層などがある(図2)。岡田・東郷編(2000)は、真上断層・安威断層の東方の高槻−天王山間の断層を本断層帯に含めている。また、有馬温泉よりさらに西方には、有野−淡河(おうご)断層、柏尾谷断層、古々山(ふるふるやま)断層、湯槽谷(ゆぶねだに)断層などがある(藤田・笠間、1971;活断層研究会、1991;岡田・東郷編、2000)。活断層研究会(1991)の図、1:25,000都市圏活断層図(中田ほか、1996;岡田ほか、1996;渡辺ほか、1996)及び岡田・東郷編(2000)の図は、断層線の位置については概ね一致している。

 宇佐美(1996)は歴史資料をもとに我が国でこれまで発生した歴史地震について、被害の状況を整理し、規模の推定などを行った。寒川(1996)、寒川(1997a)及び寒川(1997b)は、有馬−高槻断層帯沿いをはじめとする周辺の各地での地震跡などから、西暦1596年慶長伏見地震がこの断層帯の活動であると指摘した。また、地質調査所は、この断層帯の最新の活動が慶長伏見地震に対応するとした(寒川・杉山・宮地、1996cなど)。一方、梅田ほか(1984)は、花屋敷低地帯南縁の相対的隆起部でこの断層帯の活動によると考えられる多数の地割れが弥生時代の土器片を含む黒土によって充填されていたことから、この断層帯の地震として天長四年(西暦827年)の地震の可能性を指摘した。さらに梅田(1991)はこの地点近くの別の遺跡の地割れも含めて歴史地震との関係を議論している。

 また、橋本(1997)及びToda et al(1998)は兵庫県南部地震に伴う周辺地域の応力変化の計算を行い、本断層帯の東部では地震の発生が早まり、逆に西部では発生時期が遅くなる効果を与えていることを示した。

2.有馬−高槻断層帯の評価結果

2−1. 断層帯の位置・形態等

(1)有馬−高槻断層帯を構成する断層

 有馬−高槻断層帯を構成する主な断層として図2及び表1に示す諸断層が認められる。このうち、宝塚市付近以西の断層に関しては活動歴などに関する資料がほとんどないこと、宝塚市付近で六甲−淡路島断層帯が派出していてセグメント境界である可能性があることを考慮して、以下、宝塚市付近以西(六甲断層以西)をこの断層帯の西部、それ以東(清荒神断層以東)をこの断層帯の東部とよぶ。活動歴に関する評価は主としてこの断層帯の東部について行った。 

(2)断層面の位置、形状

 本断層帯の断層の位置・形状を図2に示す。
 断層面上端の深さは、断層面が地表に達していることから0kmとした。
 断層帯の長さは活断層研究会(1991)、岡田・東郷編(2000)の図によれば宝塚以西の断層を含めて約55km、それを含めない場合(宝塚−高槻)は33km程度である。
 断層面の傾斜は、反射法弾性波探査の結果(藤田ほか、1996a、b;寒川・杉山・宮地、1996c;杉山ほか、1996;戸田ほか、1995)や断層線の形態の特徴(直線的であること)から、高角で北に傾斜するものと考えられる。
 幅や下限の深さなどの深部の形状については、地表の地形地質に基づく調査研究の範囲では資料がないが、地震発生分布から下限の深さは約15kmと推定される。

(3)断層帯の変位の向き(ずれの向き)(注7)

 本断層帯は、河谷の屈曲などの地形から判断すると、全体としては右横ずれが卓越する断層帯である。上下変位は概して北側隆起であるが、有馬−高槻断層帯東部の地溝帯南縁の断層は南側隆起である。

2−2. 過去の活動

(1)活動度と平均変位速度(平均的な断層のずれの速度)(注7)

 この断層帯のほぼ中央部にある五月丘断層について、寒川 (1978)は、低位段丘(形成年代を2−3万年前と推定)を下刻する川の屈曲量(20−30m)によって同断層の右ずれの平均変位速度を0.5−1.5m/千年と推定し、上下成分は右ずれ成分の10分の1程度であるとした。
 上記の平均変位速度は、一つの断層についてのものであり、断層の集合である断層帯全体の値はこれより大きい可能性がある。このような資料から、この断層帯の活動度をA−B級(A級ないしそれに近いB級)と考える。なお、この断層帯の平均活動間隔の算出には平均変位速度として1.5m/千年を用いる。

(2)活動回数と時期  活動回数と時期に関する資料は、いずれもこの断層帯東部の、川西市K1地点(花屋敷低地帯南縁断層付近)、箕面市M1地点(坊島断層)、同M2地点(坊島断層)、茨木市I1地点(安威断層)、同I3地点(安威断層)、同I4地点(真上断層)のものである(地点名は寒川・杉山・宮地、1996cによる;図2)。

 過去の活動の評価に際しては、寒川・杉山・宮地(1996c)の資料のほか、K1地点については寒川・杉山(1996a)、M1、M2、I3地点についは寒川・杉山・宮地(1996a)、I1地点については寒川・杉山(1996b)、I4地点については寒川・杉山・宮地(1996b)を参照した(いずれも地質調査所研究資料集、注8)。
 上記の各地点で見出されたイベント(注9)の時代に基づいて、この断層帯では3千年前頃(注310)以後3回の活動があったと判断した。それらの活動の時期を時代の新しい順に活動時期1、活動時期2、活動時期3と呼ぶ(注9)。活動時期1は安土桃山時代以後江戸時代以前(注11)、活動時期2は奈良時代以後鎌倉時代以前、活動時期3は縄文時代後期―晩期の3千年前頃である。活動時期1の活動は歴史地震の資料を合わせて考えると、西暦1596年の慶長伏見地震であったと推定される。
 活動時期1はK1地点のイベント1、活動時期2はM1地点のイベント2、活動時期3はI3地点のイベント2に基づいて設定された。M1地点のイベント2は今回新たに認めたものであるが、後述のように別様の考えもある。

(3)活動時期1(安土桃山時代以後江戸時代以前)

 活動時期1は、K1地点のイベント1で代表される。I4地点のイベント1も活動時期1の活動と考えられる。そのほかM1、M2、I1及びI3の各地点のイベント1が活動時期1の活動に当たる可能性がある。以下K1、M1、I1、I3及びI4地点のイベント1について記す。

 K1地点(川西地区、花屋敷低地帯南縁断層の副断層)のイベント1:この地点で花屋敷低地帯南縁断層の活動にともなって生じたと考えられる4本の雁行地割れと1本の小断層が見出された。地割れとその傍らの小断層は、安土桃山時代の遺物包含層(注12)を切り江戸時代の遺物包含層に覆われている(図3;寒川・杉山・宮地、1996c)ので、この地点の最新イベントは安土桃山時代以後江戸時代以前である。

 M1地点(箕面地区、坊島断層)のイベント1:北側低下でほぼ鉛直の断層面を持つ断層が露出した(図4;寒川・杉山・宮地、1996a、1996c)。この断層は鎌倉時代−室町時代の遺物と炭素同位体年代が約7百年前(鎌倉時代、注13)を示す試料を包含する地層(M7層)を切り、江戸時代の遺物を包含し2百−4百年前(安土桃山時代−江戸時代)を示す試料を含む地層(M8層)に覆われている。したがって、このイベントは鎌倉時代以後江戸時代以前であり、活動時期1または2の活動に該当する。

 M2地点(箕面地区、坊島断層、M1の約0.5km東方)のイベント1:露出した断層は鎌倉−室町時代の遺物を含む地層を切り、江戸時代の暗渠跡を覆う地層に覆われる(寒川・杉山・宮地、1996a)。

 鎌倉−室町時代の遺物を含む地層に含まれている試料の炭素同位体年代は、約9百年前(平安時代)と約2千8百年前(縄文時代)を示す。後者は、算出する遺物の年代と著しく不調和であること、この層よりも下位の地層の炭素同位体年代と年代値の逆転をもたらす(寒川・杉山・宮地,1996a)ことから、この層の時代推定には用いない。

 したがってこのイベントの時代は平安時代以後(炭素同位体年代による)あるいは鎌倉時代以後(遺物による)であり、活動時期1または2の活動に該当する。

 I1地点(茨木地区、安威断層)のイベント1:北側トレンチの西側壁面(図5の上、寒川・杉山、1996b、寒川・杉山・宮地、1996c)の上部に露出した江戸時代の遺物包含層はほぼ水平で変形を受けていないが、その下位のシルト質層は断層付近で下位層とともに変形(撓曲)している(寒川・杉山・宮地、1996c)可能性があり、また南側トレンチ(図5の下)ではシルト質層(上部に鎌倉時代の遺物を含む)の上面に地割れ状の構造が認められる(寒川・杉山、1996b)ので このイベントの時代は鎌倉時代以後江戸時代以前である。したがって、このイベントは活動時期1または2の活動に該当する。

 I3地点(茨木地区、安威断層、I1地点の約0.1km西方)のイベント1:トレンチ壁面(図6;寒川・杉山・宮地、1996c)に露出した断層は、M4層を切り、M5層に覆われている。M4層の時代は12試料の炭素同位体年代がいずれも約8百年前から約3千6百年前まで(縄文時代が6試料、弥生・古墳・奈良時代相当が各1試料、平安時代が3試料)の年代を示し、弥生時代の遺物を多量に産出するので、平安時代以前を示唆する。一方、イベント後のM5層の時代は3試料の炭素同位体年代が約1千5百年前から約2千年前まで(弥生時代)を示し弥生時代の土器が出土しているので、弥生時代を示唆する。

 このように下位にあるM4層が上位にあるM5層より若い(時代的に逆転している)という矛盾がある。このため、上記の資料だけからはこのイベントの時代は決められない。しかし、後述のように、下位の層準には活動時期3の活動であるイベント2が認められる。したがって、イベント1は活動時期1、2、3のいずれかの活動に該当する。

 I4地点(茨木地区、真上断層)のイベント1:北トレンチの東側壁面(図7;寒川・杉山・宮地、1996b、1996c)では、断層はM7層とその上位のS3層までを切り江戸時代の遺物を含む盛土層(M8層)に覆われている。M7層は鎌倉−室町時代の遺物を含み約5百年前(いずれも室町時代)の炭素同位体年代を示す。S3層からは約5百年前(室町時代)の炭素同位体年代値(寒川・杉山・宮地、1996b)が得られている。したがって、そのイベントの時期は室町時代以後であり、活動時期1の活動に該当すると考えられる。なお、この壁面では弥生時代後期以後このイベント以外にイベントは認められない。

(4)活動時期2(奈良時代以後鎌倉時代以前)

 活動時期2に該当するイベントはM1地点のイベント2である。M1、M2、I1、I3の各地点のイベント1(いずれも既述)及びI1地点のイベント2もこの活動時期2の活動に該当する可能性がある。以下、M1地点とI1地点の各イベント2について記す。

 M1地点(箕面地区、坊島断層)のイベント2:図4において、旧耕作土(M6層)がM5層とそれ以下の変形した地層(M3層など)を不整合で覆い、その基底部がM5層に生じた地割れを充填していることから、M5層とM6層の境界付近にイベント層準がある。
 M5層とM6層の時代に関しては、下記のようにM5層は奈良−平安時代以後、M6層は鎌倉時代であると考える。したがってこのイベントの時代は奈良時代以後、鎌倉時代以前と考えられる。
 M5層は奈良−平安時代の遺物を含み(寒川・杉山・宮地、1996c)、炭素同位体年代値は約1千4百年前(1試料、古墳時代)と約4百−5百年前(2試料、室町時代−安土桃山時代)とを示している。
 M6層は鎌倉時代の遺物を含むが炭素同位体年代は約1千1百年前(1試料、平安時代)と約4百−5百年前(3試料、室町時代−安土桃山時代)を示す。上記のM5層およびM6層の約4百−5百年前は、産出する遺物の年代と著しく不調和であること、両層よりも上位のM7層の約7百年前に対して年代値の逆転をもたらすことから、約4百−5百年前の値は炭素同位体年代値の若返りによるものと考えてM5、M6の時代推定には用いなかった。
 イベントの層準を上記ではM5層とM6層の間であるとしたがM5層(とM6層)の上面は人工的に削平されているので、上記のようにM4層・M5層が下位のM3層と同様に変形(分布南端で直立)しているのか、上記と異なってすでに直立していたM3層の崖にM5層(プラスM4層)が不整合で接して(アバットして)堆積したのか判然としない。このため、後者であるとしてM5層(プラスM4層)とM3層の間(約3千8百−2千6百年前以後奈良−平安時代以前)に別のイベントを考えることもできる(その場合、それをM1地点のイベント3と呼ぶ)。
 このようにM1地点においてイベント2ではなくイベント3が生じたのか(あるいは両方が生じたのか)は確定しがたい。ただし、イベント3だけを考える場合にはM6層基底の地割れの形成を別途に考える必要がある。

 I1地点(茨木地区、安威断層)のイベント2:北側トレンチの西側壁面下部にある砂礫層は北へ低下する撓曲構造をなしているがその付近に断層があり地層上面にいくつかの地割れが生じている(図5、寒川・杉山・宮地、1996a;寒川・杉山・宮地、1996c)。
 その上位のシルト質層はそれらの地割れ状構造を充填している。したがって、両層間に地割れを生じたイベントが考えられる。
しかしシルト質層は、砂礫層の撓曲部分付近では無構造で上面・下面がいずれも浸食不整合面(または人工削平面)であるため、地割れ状構造が及んでいる上限の層準や、シルト層自体が砂礫層と同様撓曲しているかどうかはわからない。したがって、イベント層準が、シルト質層中にある可能性もある。
砂礫層の時代は不明であるが、その下位の地層からは約3千6百年前(縄文時代)という炭素同位体年代が得られている。シルト質層にはその比較的下部に弥生−古墳時代、比較的上部に鎌倉時代の遺物が含まれ、約2千2百−1千7百年前の炭素同位体年代値が得られている。
 したがってこのイベントは縄文時代以後鎌倉時代以前であり活動時期2または3の活動に該当する。

(5)活動時期3(縄文時代晩期、約3千年前)

 活動時期3はI3地点のイベント2で代表される。K1地点のイベント2、M1地点のイベント3、I1地点のイベント2及びI3地点のイベント1も活動時期3の活動である可能性がある。M2地点では、この時期のイベントの存否に関する資料は得られていない。I4地点ではこの時代の地層の露出がない。

 I3地点(茨木地区、安威断層)のイベント2:東側壁面(図6)では、断層の一部が、M3層を切りM4層に覆われているので、両者間にイベント層準(イベント2)がある。M3層は上部から縄文時代晩期の遺物を産し、その下位の地層からもそれに調和する多くの炭素同位体年代値(約1万年−約3千年前)(縄文時代)が得られている。M4層は、縄文時代晩期から弥生時代にわたる遺物を産出し、その下位の部分から約3千6百年前ないし約3千年前(縄文時代)の炭素同位体年代値が得られている(寒川・杉山・宮地、1996a)。これらのことからこのイベントの時代は縄文時代晩期の約3千年前と判断した。

 K1地点(川西地区、花屋敷低地帯南縁断層の副断層)のイベント2:図3の壁面下部の炭素同位体年代が約2千6百年前を示す地層の基底面よりも下位の地層の変位量は、それよりも上位の地層の変位量よりも大きい。これらの層には堆積時の傾斜があると考えられ、この変位量の差はイベントによるものではない可能性もあるが、約2千6百年前以前に変位の増加(イベント2)があった可能性がある。したがって、それが活動時期3の活動に該当する。

M1地点(箕面地区、坊島断層)のイベント3:このイベントは活動時期2のM1地点で述べたように、図4で奈良−平安時代の遺物包含層(M5層)とその下位のM3層との間で変形の程度に不連続があるとみなした場合のM5層(プラスM4層)とM3層間のイベントである。M3層は炭素同位体年代が約2千6百年前及び約3千8百年前(縄文時代)を示し(寒川・杉山・宮地、1996a)、M5層は奈良−平安時代の遺物包含層(寒川・杉山・宮地、1996c)なので、このイベント3の時代は縄文時代晩期以後平安時代以前であり、活動時期3または2の活動に該当する

(6)1回の変位量(ずれの量)

 各イベントに伴ったその地点での断層変位量は次のようである。それらの資料から、この断層帯の一回の活動に伴う変位量(主として横ずれの変位)を3m程度と考えた。
 上下変位量: 各イベントに伴う1回の上下変位量は、イベント1の場合は関連する地層が示す上下変位量の測定値(掘削面の傾斜を考慮して求めた上下変位)であるが、イベント2の場合は、イベント1に伴う変位量もその中に含まれている可能性がある(その場合にはその値からイベント1の変位量を差し引く必要がある)。以下はそれらを考慮した場合のその地点での1回のイベントの変位量である。
 K1地点:0.2m(南側隆起、イベント1)と0.2m(南側隆起、イベント2)、M1地点:0.3m以上(南側隆起、イベント1)、I1地点:0.3−0.4m(南側隆起、イベント2またはイベント1と2の合算)、I4地点:北トレンチでは0.4−0.5m程度(北側隆起)、南トレンチで約1.0m(北側隆起、撓曲)、合計1.4−1.5m、いずれもイベント1。
 このほか、寒川・杉山・宮地(1996a)によれば、トレンチ地点付近の水田面の標高差がM2地点で0.5m程度、I3地点で0.6m程度あり、これらの値が1回または2回のイベントによる上下変位量である可能性がある。
 横ずれ変位量:寒川(1996)はM1地点で水田の畦が3m右ずれしていてそれが1596年慶長伏見地震で生じたとしている。I4地点では寒川・杉山・宮地(1996b)によると、平安時代の水田耕作土中の小さな溝が複数の断層に沿ってそれぞれ上下変位量の約2倍右ずれ(計0.6m以上)していた。また付近の上下変位がない断層に沿って計0.8m以上の右ずれがあった(合計1.4m以上、いずれもイベント1)。
このように各イベントの変位量は1.5−3m程度とみなされるが、この断層帯は並走する複数の断層線からなるので、断層帯を代表する1回の活動に伴う変位量(単位変位量)はそれ以上である可能性がある。ここではそれを「3m程度」と考える。

(7)活動区間

 活動時期1−3の活動の資料が得られたのは、有馬−高槻断層帯のうち、東部区間である。
 活動時期1の活動はその区間の両端近く(花屋敷低地南縁断層のK1地点と真上断層のI4地点)で認められ、その間の坊島断層(M1地点)、安威断層(I1とI3地点)でも活動した可能性があるので、活動は少なくともこの区間の全域に及んだと考えられる。
 活動時期2の活動は東部区間の中部(坊島断層、M1地点)で認められ、東部区間の東部(安威断層I1地点とI3地点)でも活動した可能性がある。ただし、花屋敷低地南縁断層の副断層のK1地点と真上断層のI4地点では活動2は認められなかった。M2地点では隆起側の地層欠如が大きいため、活動時期2の活動の有無は不明である。
 活動時期3の活動は東部の安威断層(I3地点)で認められ、それ以西の坊島断層(M1地点)でも花屋敷低地南縁断層(K1地点)でも活動した可能性がある。
 以上のように、活動時期1と3の活動は、少なくとも川西市から茨木市までが活動したあるいはその可能性が大きいと考えられる。また、活動時期2の活動も箕面市から茨木市まですなわち断層帯東部区間の大部分が活動した可能性があると考えられる。このため、ここでは、この断層帯の少なくとも東部、宝塚付近から高槻付近までの区間(約33km)が1つの活動区間であったと考える。

(8)活動間隔

 この断層帯の活動の間隔は、活動時期1の活動を西暦1596年の慶長伏見地震(後述)、活動時期2の活動を奈良時代以後鎌倉時代以前(西暦7百−1千3百年頃)、活動時期3の活動を縄文時代晩期(約3千年前)とした場合、活動時期1−2の活動の間隔は3百−9百年程度、活動時期2−3の活動の間隔は1千7百−2千3百年程度、活動時期1−3の活動の間隔は2千6百年程度であり、平均活動間隔は1千3百年程度となる。
 またこの断層帯の平均変位速度と単位変位量を用いてより長期間の平均活動間隔を求めると、次のようになる。この断層帯の平均変位速度は個別の断層の平均変位速度(0.5−1.5m/千年)より大きい可能性があるので、最大値(1.5m)を用いる。単位変位量は3m程度である(「1回の変位量」参照)から、平均活動間隔は2千年となる。
 以上の各活動の平均活動間隔と、平均変位速度・単位変位量とから算出された平均活動間隔に基づいて、本断層帯の平均活動間隔を1千−2千年程度と考える。

(9)先史時代・歴史時代の地震

 この断層帯から発生した可能性のある歴史地震として、天長四年(西暦827年)の京都の被害地震(宇佐美、1996によるとM=6.5−7.0)、天正七年(西暦1579年)の摂津の被害地震(宇佐美、1996によるとM=6.0±1/4)、慶長元(文禄五)年(西暦1596年)の京都及び畿内の地震(宇佐美、1996によるとM=7 1/2 ±1/4;以下慶長伏見地震とよぶ)などがある。
 有馬−高槻断層帯沿いをはじめとして周辺の各地で慶長伏見地震によると思われる大規模な液状化跡などの地震の痕跡が見出されており、有馬−高槻断層帯のトレンチ内で得られた遺物の時代などから、慶長伏見地震はこの断層帯の活動であると指摘されている(寒川、1996、1997a、b)。また、後述のように、本断層帯で想定される地震の規模はマグニチュード7.5程度であり、宇佐美(1996)による慶長伏見地震の規模とほぼ一致する。
 これらのことから、ここでは慶長伏見地震を活動時期1の活動と考える。

(10)測地観測結果

 長期的、広域的には、東南東−西北西方向の縮みが観測されているが、断層帯付近に特に大きな地殻変動は見られない。

(11)地震観測結果

本断層帯北側では、定常的に浅い(深度10−15kmが中心)地震活動が見られるが、南側の地震活動は低調である。

2−3. 将来の活動

(1)活動区間と地震の規模

 活動時期1−3の活動の活動区間は、前述のように少なくとも川西−茨木間を含み、宝塚−高槻間(約33km)に及んだと考えられる。また、その活動の変位量は個別の断層で最大3m程度、断層帯として3m程度かそれ以上であったと考えられる。経験式によると、長さ33kmはマグニチュード7.4、長さ55km(この断層帯の全長)はマグニチュード7.8に相当する。また、変位量3mは長さ30kmに相当する。
 したがって、将来の地震もマグニチュード7.5程度(誤差等を考慮して7.5±0.5)、変位量3m程度、活動区間は33kmないし55km程度と考える。
 用いた経験式は次のとおりである(松田、1975;松田ほか、1980)。Lは1回の地震で活動する断層区間の長さ(km)、Dはその時の断層変位量(m)、Mはその時のマグニチュードである。

   (1) M=(log L + 2.9)/0.6
   (2) D= 10−1

(2)地震発生の可能性

 以上のように、本断層帯の平均活動間隔は1千−2千年、最新活動時期は西暦1596年の慶長伏見地震と考えられる。したがって、平均活動間隔に対する現在における地震後経過率は、約0.2-0.4となる。また、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(BPT分布モデル、α=0.24)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、ほぼ0%-0.02%、ほぼ0%−0.04%、ほぼ0%-0.2%、ほぼ0%-9%、現在までの集積確率はほぼ0%-0.007%となる。表3にこれらの確率値及びその参考指標(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会、1999)を示す。

(3)断層活動による破壊の開始点

 本断層帯とその周辺の分岐する活断層線の分布形態をみると、池田市付近から東方では断層線が東へ開く形態を示し、西方では西へ開く傾向が認められる(図2参照)この様な形態から、地震時に破壊が池田市付近で始まりそこから東西に伝播すると考える見解がある(中田ほか、1998)。

2−4.今後に向けて

 有馬−高槻断層帯から発生する地震についてより詳しく評価するためには、過去の活動履歴、特により多くの活動時期、1回の活動の活動区間、1回の活動の横ずれ量等と、地下深部における断層構造をさらに明らかにすることが重要である。また、本断層帯の活動は隣接する六甲・淡路島断層帯の活動と関連する可能性があるので、これらの資料によってその可能性を検討する必要がある。さらに、本断層帯の東方延長部において伏在断層の存在を示唆する反射法地震探査の結果が得られているため、本断層帯との関係を検討する必要がある。

 

注7 「変位」と「ずれ」:

「変位」を、1ページの本文及び4ページの表1では、一般的にわかりやすいように「ずれ」という言葉で表現している。ここでは専門用語である「変位」が本文や表1の「ずれ」に対応するものであることを示すため、両者を併記した。以下、文章の中では「変位」を用いる。なお、活断層の専門用語では、「変位」は切断を伴う「ずれの成分」と切断を伴わない「撓(たわ)みの成分」よりなる。

注8 地質調査所研究資料集:

 引用した寒川・杉山・宮地( 1996a)など(地質調査所研究資料集No.236237238241)については、引用条件として「筆頭著者に連絡し、その承認を得ること」となっている。本評価では、これらの文献について筆頭著者の承認を得た範囲で引用している。(M1地点のM5層から産出した遺物についての記載は引用が承認されなかったため、引用していない。)

注9イベントとその時代および「活動時期」:

 地形・地層などの観察によって、その地点において断層の活動した跡が時代的に分離して個々に区別し得たとき、その区別し得た活動を本評価ではイベントと呼ぶ。同一地点で複数のイベントが認められた場合には、新しい順にイベント1、イベント2、のように呼ぶ。なおその断層帯のすべての調査地点で同じ時期のイベントが見出されるとは限らない。イベントの認識は観察地点の位置・露頭条件によって左右されたり、あるいは地表の変位は不連続的にしか出現しないことがしばしばあるからである。
 イベントの時代は、露頭におけるその位置(イベント層準)の上下にある地層の形成年代によって推定することが多い。地層の形成年代は、その地層中に含まれている生物遺骸の炭素同位体年代や考古遺物の時代などによって推定する。それらの生物遺骸や考古遺物などの試料は、古い時代のものがその後に二次的に運び込まれて堆積した場合があり、その場合には試料の年代は地層の形成年代よりも古い。また炭素同位体年代の場合は、試料が地層中に含まれてから後に汚染されて地層ができた年代より新しい年代値を示すこともある。地層の形成年代を決めるにはこれらのさまざまな可能性を慎重に考慮して行うが、その時代を詳細には決められないこともしばしばある。
 なお、本評価では上記のような調査地点で得られた各イベントの時期に基づいて、その断層帯(あるいは調査対象としている区間)全体を代表する活動時期を認定し、その活動の時期を断層帯の「活動時期1」「活動時期2」などと呼んだ。

注10 BPと補正値炭素同位体年代:

 本評価では測定された炭素同位体年代値をNiklaus(1991)の「CalibETH」で暦年代に補正した年代で表示した。

注11 以前・以後:

 時代限定の際に用いる「以前」「以後」の言葉は、その語の直前の語の時代を含む場合に用いる。例えば「室町時代以後江戸時代以前」は、室町時代の初めから江戸時代の終わりまでの期間を指す。さらに狭く時代を限定する場合には、例えば「終了後」「開始前」あるいは「より後」「より前」を用いる。

注12 遺物とその包含層の時代:

 原資料に用いられている下記の言葉を本評価では以下のように扱った。「A時代の遺物包含層」と記されている場合、その遺物が作られた時代がA時代の初期であるか末期であるかが不明であるため、地層の形成時代はA時代の開始以後終了までのいつかである。「A〜B時代の遺物包含層」と記されている場合には、その遺物の形成時代がA時代かB時代かを特定できないがそのどちらかまたは両方という意味であり、地層の形成時代はA時代の開始以後B時代の終了以前のいつかである。
 一般に遺物(化石も同じ)は二次堆積物である可能性がある(注9参照)が、原則としてA時代の遺物(および化石)を包含している地層の形成時代はA時代であるとみなした。

注13 考古学的時代・歴史時代と暦年:

 暦年と考古学的時代・歴史時代との関係は、次のように扱った。縄文時代後期(約4千年前−約3千年前)、縄文時代晩期(約3千年前−約2千4百年前)、弥生時代(約2千4年前−3世紀末)、古墳時代(4世紀初−6世紀末)、飛鳥時代(6世紀末−8世紀初)、奈良時代(8世紀初−8世紀末)、平安時代(8世紀末−12世紀末)、鎌倉時代(12世紀末−14世紀前半)、室町時代(14世紀前半−16世紀後半)、安土桃山時代(16世紀後半−17世紀初)、江戸時代(17世紀初−19世紀後半)。

 



文 献

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表3 地震発生確率及び参考指標

注14:評価時点はすべて2001年1月1日現在。「ほぼ0%」は10-3%未満の確率値を、「ほぼ0」は10-5未満の数値を示す。

指標(1)経過年数 : 当該活断層があることによって大地震発生の危険率(1年間当たりに発生する回数)は最新活動(地震発生)時期からの時間の経過とともに大きくなる(ここではBPT分布モデルを適用した場合を考える。)。一方、最新活動の時期が把握されていない場合には、大地震発生の危険率は、時間によらず一定と考えざるを得ない(ポアソン過程を適用した場合にあたる。)。この指標は、BPT分布モデルによる危険率が、ポアソン過程を適用した場合の危険率の値を超えた後の経過年数である。マイナスの値は、前者が後者に達していないことを示す。後者の危険率は1千分の1(0.001)回−2千分の1(0.0005)回であり、時間によらず一定である。前者は現在ほぼ0回であり、時間とともに増加する。前者の値が後者の値に達するには今後3百−1千年を要することになる。
指標(1)比 : 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間をAとし、BPT分布モデルによる危険率がポアソン過程とした場合のそれを超えるまでの時間をBとする。前者を後者で割った値(A/B)。
指標(2) : BPT分布モデルによる場合と、ポアソン過程とした場合の評価時点での危険率の比。
指標(3): 評価時点での集積確率(前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率)。
指標(4) : 評価時点以後30年以内の地震発生確率をBPT分布モデルでとりうる最大の確率の値で割った値。
指標(5): ポアソン過程を適用した場合の危険率(1年間あたりの地震発生回数)。